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進出日本企業トップインタビュー第26回「日本航空オーストラリア支店長 宝本 聖司 さん」

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進出日本企業 トップ・インタビュー

第26回 日本航空オーストラリア

支店長 宝本 聖司 さん

日本航空(JAL)は今年、シドニー線就航50周年を迎える。日本人の海外旅行の一般化に合わせて豪州路線も順調に拡大し、1980年代から90年代にかけてはオーストラリア観光ブームの追い風を受けた。その後、日本発の航空需要の低迷期を経て、近年はオーストラリア人訪日客の急増と共に日本人の訪豪者数も回復に転じ、再び上昇気流に乗っている。同社オーストラリア支店長の宝本聖司さんに話を聞いた。(インタビュー=ジャーナリスト・守屋太郎)

日豪の人・モノの交流を促進したい
利益を社会に還元したい

――最初に日本航空の企業概要について教えてください。

1951年に日本の航空輸送を担う国策会社としてスタートし、53年に法律に基づく半官半民の民間航空会社として前身が設立されました。初の国際線は54年、羽田−サンフランシスコ線でした。その後、機体のジェット化を進め、一気に世界各地に路線網を拡大していきます。国内線も東海道新幹線の開業と共に大競争時代を迎えます。

64年の海外旅行自由化を契機に日本人にとって海外はより身近になり、70年代以降はボーイング747(ジャンボ)による大量輸送時代が到来します。JALも70年にホノルル線を皮切りに747を導入。JALを国際線と国内の幹線に特化した国の航空政策を背景に、日本のフラッグシップ・キャリアとして優雅なサービスと規模拡大を追求し、83年には世界の航空業界で輸送量トップ(国際航空運送協会=IATA)を記録しました。

しかし、85年の123便墜落事故を経て、87年の完全民営化後も「親方日の丸」的な社風を改められず、バブル経済の中で規模拡大に突き進んでいきました。こうした甘い体質が、後の経営破たんにつながったのだと考えています。

2008年のリーマン・ショックで急速に日本経済が冷え込む中で、体力を失いました。10年1月に経営破たんし、企業再生支援機構の支援を受けて再出発を図りました。「アメーバ経営」を唱える京セラ創業者の稲盛和夫氏を代表取締役会長(現在、名誉顧問)に迎え、意識改革と採算意識の徹底を図りました。「赤字でも国が助けてくれるだろう」といった社員の甘えを断ち切り、「どんぶり勘定」の体質から部門別に採算を徹底的に管理する組織へと生まれ変わりました。

社員のあるべき姿・考え方を示した「JALフィロソフィ」を導入して意識改革を図ると共に、不採算路線を大胆に整理し、ボーイング787などのコンパクトで燃費に優れた機体への移行を進めるなど、収益性を重視した経営に転換しました。経営破たんから2年7カ月後の12年9月には東証への再上場を果たしています。

19年3月時点のJALグループ就航路線数(コードシェア便を除く)は、国内線が126、国際線が56。保有機体数は235機(自社所有211機、リース24機)、グループ全体の従業員数は3万3,000人。規模は大幅に縮小しましたが、V字回復を果たすことができました。

――令和元年の今年、1969年のシドニー線就航から50年目の節目の年を迎えます。

1969年9月30日に就航した東京−シドニー第1便
1969年9月30日に就航した東京−シドニー第1便

シドニー定期航路を開設したのは1969年9月30日です。機体は「空の貴婦人」と呼ばれたダグラスDC-8を使用し、羽田から香港、マニラを経由して所要時間は16時間も掛かっていました。直行便ではなかった理由は、航続距離の問題だけではなく、豪州だけでは需要が見込めなかったからです。当時の豪州の利用は一部の政府関係者やビジネス・パーソンに限られていました。それでも将来の成長が見込める豪州に足場を築きたかったのです。

75年にはDC-8による直行便を就航させ、就航から10年後には送客数は5倍に増えました。81年に747を導入し、バブル期から90年代にかけて日本人の豪州観光ブームは最高潮に達しました。新婚旅行や卒業旅行の渡航先としても人気を集めました。90年代初頭には、あまりの人気に供給が追いつかず、カンタス航空から機材を借りて運航していた時代もあったのです。

――日本人の訪豪者数は90年代後半に90万人以上に達しましたが、その後は日本の景気低迷や「安・近・短」(安く、近く、短い海外旅行を好む傾向)と呼ばれた日本人海外旅行客の質の変化を背景に、日豪間の航空需要は冬の時代が続きます。ところが、近年は豪州人の訪日客が急増すると共に、豪州を訪れる日本人の数も急回復。双方向の人の流れは年間約100万人と過去最高の水準に達しました。

2011年には、豪州を訪れる日本人の数は約30万人と最盛期のおよそ3分の1まで落ち込みました。当時の豪州人の訪日者数を合わせて、双方向の航空需要は年間50万人を切るまで縮小しました。JALはシドニー線を残して他の豪州路線から撤退し、他の主要航空会社も撤退したり便数を大幅に減らしたりしました。

しかし、2011年以降、豪州人の訪日客が年々増えてきました。他にはない日本の独特の文化に魅力を感じているのでしょう。すしやラーメンなど日本食の人気も高いです。今年はラグビー・ワールド・カップ、来年は東京五輪パラリンピックとスポーツの大型イベントが控えています。従来から豪州人に人気が高いスキーの他、トレッキング、サイクリングなど自分で楽しむスポーツの需要も見込め、底堅い豪州の景気を背景に訪日客はまだまだ伸びると予想しています。

日本からの送客も回復してきています。資源ブームをきっかけに出張需要は底堅く推移してきましたが、日豪経済連携協定(EPA)の締結などを背景にビジネス交流は多角化しています。日本人観光市場を見ても、比較的資金に余裕のある人が豪州に訪れるようになってきました。欧米と比べて豪州は一般的に治安が良く、安心・安全な留学先としても人気があります。

――半世紀にわたるJALの豪州路線の歴史を振り返りつつ、今後の展望についてお聞かせください。

日豪の人・モノの交流は、戦後間もない1957年の日豪通商協定締結によって再開しました。JALはその12年後にシドニー線を就航させ、日豪間の人・モノの拡大を支えてきました。日本と豪州は現在、非常に良好な2国間関係を築き、観光や資源だけではなくサービス産業、情報技術(IT)、医療など幅広い分野で交流が進んでいます。双方向で航空需要が伸びているのは、航空運送事業者としてはありがたいところです。

日豪の交流は今後も伸びていくでしょう。JALは2017年に豪州第2の都市メルボルンへの路線を開設するなど需要拡大に対応しています。他の空港からも「JALに飛んで欲しい」という声も頂いています。日本の主要空港の国際線発着枠拡大といったチャンスを生かし、日豪路線のネットワーク拡充に努力していきます。

現在の日豪路線に就航しているJALのボーイング787
現在の日豪路線に就航しているJALのボーイング787

JALの持ち味は、お客様の心に寄り添った、丁寧なサービスです。社内の市場調査によると、豪州人のお客様にもJALブランドを高く評価して頂いており、今後もサービス向上に努めていきます。豪州線の787では、エコノミー・クラスでもスペースを広く取り、食事をしっかり提供するなど、お客様のニーズを踏まえて最高のサービスの提供を心掛けています。日本人の美点である「定時性」では、JALが世界でトップ・クラスであることも豪州のお客様にアピールしていきたいですね。

10月1日には、シドニーを出発するJAL772便の搭乗口で、ささやかな50周年の感謝イベントを開きます。今後も日豪間の人・モノの交流を促進することで、利益を日本と豪州の社会に還元していきたいと思います。例えば、日本の代表的な観光地やスキー場だけではなく、スポットの当たらない地域の良さもアピールすることで、地方活性化につながればと考えています。

PROFILE: たからもと せいじ
1990年、京都大学法学部卒。同年、日本航空株式会社入社。香港支店・名古屋支店総務マネジャー、本社広報部 報道グループ長などを経て2017年4月より現職

<会社概要>
英文社名:Japan Airlines Co., Ltd. Australia Branch
事業内容:航空運送業
代表者:宝本聖司 (Seiji Takaramoto)
拠点:シドニー、メルボルン(豪州内)
従業員:41人(2019年3月現在)

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