人生で一度の貴重な経験となるオーストラリアでのワーキング・ホリデー(以下、WH)。WH中の過ごし方は人それぞれ異なるが、来豪のきっかけや仕事の見つけ方、家の探し方などリアルな生活が気になるところ。今回は、WHを体験したモデル2人の生活の一部を公開。WHを検討している人はもちろん、WHで在豪中の読者にも参考となる情報を紹介する。※本記事の情報は2019年3月時点のものです。
「上野蓮さんのリアル・ライフ」へ ▶▶▶
山田はるかさんのケース
プロフィル
24歳、北海道出身。在豪1年10カ月目。学生時代にカナダへ留学し、「海外に住みたい」と決意。短期大学を卒業後、ホテルで訪日客相手の接客を担当。英語力をもっと伸ばしたいと来豪。学生ビザへの切り替えで在豪3年目を目指す
――オーストラリアでWHをしようと思ったきっかけや、目的を教えてください。
短期大学時代に、カナダのバンクーバーで5カ月くらいの留学を経験しました。歩きながら歌う人や、バス停で全く知らない人に話し掛ける人などとにかく皆フレンドリーで、英語をうまく話せなくても、人と接することが楽しい!と思いました。
卒業後はホテルのレセプションで勤務し、毎日外国人観光客と接していました。しかし、うまくコミュニケーションを取れないことがあり、自分の英語はまだまだだと感じて、英語力向上と海外で日本と異なる文化を経験することを目的にWHを決意しました。オーストラリアに決めた理由は、出身地の北海道とは真逆の環境、海と気候の良さに惹かれたからです。
――準備に掛かった期間と資金はどのくらいでしたか。
来豪半年前からWHに向けて準備を始めました。準備資金は合計で約100万円。飛行機代、保険代、3カ月分の語学学校代を合わせて70万円ほど、所持金に30万円くらいを用意しました。語学学校での交友関係が常に流動的で思い出作りのための交際費が必要だったことに加え、物価の高さから生活費が予想以上に掛かってしまい、途中お金がなくて困った時期があります(笑)。
――趣味は何ですか。
オーストラリアでウクレレを始めました。メルボルンに住んでいた際に友人からウクレレを借りたのがきっかけです。始めたころに駅でウクレレを弾いていたら見ず知らずの通行人が曲に合わせて歌ってくれた経験をしました。思いも寄らないうれしい思い出が今もなおウクレレにはまっている要因の1つかもしれません。時々ローカルのウクレレ交流会にも参加しています。
気軽に行けるプチ・トリップも好きで、ゴールドコーストから1時間程度のバイロン・ベイやブリスベンやモートン島に足を運び、違う街の雰囲気も楽しんでいます。
――オーストラリアに来てから恋愛体験はありましたか。
今までに2人と付き合いました。1人はランゲージ・エクスチェンジ会で出会ったオーストラリア人で、もう1人はファームで知り合ったドイツ人です。どちらも半年ほど付き合いました。日本での“お付き合い”と異なると思ったことは、人前でもスキンシップが積極的なのと、良い意味で関係性を周りにオープンにしてくれることです。関係を隠して付き合うのは日本独特なのだと感じました。「付き合おう」という正式な告白を受けるというよりは、仲良くなって自然と友達以上の関係に発展するという海外ならではの恋愛を体験できました。
――WHを経験してみて思うこと、日本にいる時と価値観に変化はありましたか。
自分から人に声を掛けられるようになりました。日本で知らない人に話し掛けるということはしませんが、こちらでは普通に歩いていても「可愛い服だね」と言われて会話が広がることもありますし、自分から積極的に話し掛けるようにしています。
またメルボルンのカフェで働いていた時にオーストラリア流の働き方を学びました。カフェのオーナーがお客様の些細(ささい)な変化を見逃さず、かつフレンドリーに会話につなげることが、オーストラリアならではの接客の一部だと感じました。お客様との会話が広がることで、さまざまな知識を得られたり、自分の視野が広がるきっかけとなり、人間力が豊かになったと感じています。お客様との会話が必要最低限の日本では味わえない経験を通して「人に対してオープン・マインドでいても良いんだ」という価値観を持てるようになりました。
人見知りするタイプでしたが、イタリアン・レストランの呼び込み業のお陰か、今では人に話し掛けることに全く抵抗がありません。フレンドリーに会話をするオーストラリアの環境に身を置いたことで英語力は各段にアップしたと思います。
――今だから思うWH前にやっておけば良かったことはありますか。
英語の最低限の勉強はもちろんですが、リスニングとスピーキングの練習をもっと意識してやっておけば良かったです。外国人の集まるバーに行くなどはしていましたが、英語への抵抗感をなくしておくのは大事だと思います。日本語を少し話せる外国人と友達になっておけば、ランゲージ・エクスチェンジもできますし、勉強にもなります。やっぱり会話の中で英語を覚えていくことが一番効果的だと思いました。あとは独り言を英語にするのも有効です!
――今後の展望を教えてください。
2年目のWHビザが終わるタイミングなのですが、もう少しオーストラリアの生活を楽しみたいのと、仕事につながることを学びたいと思い、ツーリズム系の専門学校に入学を検討しています。将来的にインターナショナルな環境で仕事をしたいと思っているので、それをかなえるために頑張っていきたいと思います。
どうやって見つけたの!? どうして選んだの?
学校編
来豪前に日本で数件のエージェントから情報を収集しました。親身に相談に乗ってくれ、リアルな体験談を教えてくれた個人経営のエージェントを利用しながら、自分の足りない能力を補える科目をフレキシブルに選べる学校を選びました。来豪前から英検2級程度の英語力があり日常会話には困らなかったのですが、更なる語学力の向上と現地で友達が欲しかったので、3カ月間毎日学校に通いました。午前中は自分で時間割を組み立て受講し、午後はさまざまな知識を学べるアクティビティー・コースに出席していました。学校に通いスピーキング力が向上したと実感しています。そして、アクティビティー・コースの1つであるカフェ・スキルを1カ月程度受講し、コーヒーの淹れ方やサーブの仕方を学び、それが後の就職活動に役立ちました。
住まい編
現在、ブロードビーチに住んでいます。部屋は180ドルのオウン・ルームで、韓国人と中国人がフラットメイトです。部屋選びに当たっては、オウン・ルームであること、清潔かつ英語環境であること、それからハウス・ルールが自分と合うか、設備は申し分ないか、公共交通機関へのアクセスが良いかを確認しています。ブリスベンのシティー近くで200ドル、メルボルンで270ドルが、オウン・ルームのレントの平均かと思います。
ファーム編
メルボルン市内から北西部へ公共交通機関を8時間利用して行った所にある、ミルジューラという内陸の町の友人がいるファームに1人で向かいました。ミルジューラのファームでは、木の高い所に生えるオレンジとレモンをピッキングしていたのですが、木に登って果物を収穫すること、重い収穫物を背負った状態で行う炎天下での仕事は想像以上に体に応えて、3週間でコフス・ハーバー付近のウールグールガのファームに移動しました。
そこではブルーベリーやラズベリーの収穫をしていたのですが、柑橘類の果物に比べて体力的に楽で、その上、前のファームよりも時給が高かったのでファーム選びは重要だと思い知らされました。
早朝から晩まで共に働く同僚とファーム・ジョブの辛さを分かち合いながらも、仕事後やオフの日はアクティビティーを楽しんでいたのが思い出として残っています。お金を使うのは食費のみだったので、この時にだいぶ貯金をすることができました。セカンド・ビザが欲しくてファームに行ったのですが、当初は本当に行きたくなく憂鬱(ゆううつ)でした。ただ、いざ終わってみれば良い経験になり、ファームでできた友達と日本を旅行するなど、結果的に充実していました。
仕事編
来豪してすぐに仕事探しをスタートし、生活を始めて1カ月後にブリスベンの日本食レストランでウェイトレスとして職を見つけ、そこで3カ月間働きました。その後、興味のあったメルボルンに移動し、カフェのインターンとして4カ月間週5日働き、そこからイタリアン・レストランのウェイトレスと呼び込みの仕事をしました。1年目は3つの店で働かせてもらいました。
メルボルンでは仕事を見つけやすかった印象があります。大体日給で130ドルほど稼いでいました。
ファームで働いた後は一時帰国し、ゴールドコーストに拠点を移しました。ゴールドコーストではタイ料理店、鉄板焼き店、バックパッカーズ、モダン・レストランとさまざまな場所で働きました。バックパッカーズには、日本での前職の経験を生かしつつ海外で自分の力を試してみたいと思い受付の仕事に応募しました。前職の経験と面接時の英語力が認められたことで、受付業を1人でオペレーションできると判断され、職を得ることができました。基本的にWH2年目はカジュアルとして働いていたので、生活費を稼ぐために2つの仕事を掛け持ちしていました。
仕事を見つけるに当たっては、「ローラー作戦」というレストラン街の全ての店にレジュメを配るアナログな方法と、日豪プレスやガム・ツリーといったオンラインの2通りの方法を使っていました。
さまざまな所へレジュメを配ったり面接をしましたが、私の経験から、ローカル・ジョブでもいろいろな国籍の人が働いている店は、仕事を手に入れやすいと思いました。最初はなかなか自分の思ったように働けないこともありましたが、振り返ってみるとそのような経験もポジディブに捉えています。特に雇い主は経験を重視していると思うので、コツコツとオーストラリアでの職歴を積み上げて、魅力のあるレジュメを完成させていくことが大切だと学びました。とにかく良い職場に巡り合えるまで、めげない・諦めない気持ちを持っていたからこそ、結果的に今充実したオーストラリア・ライフを過ごせていると思います。
「上野蓮さんのリアル・ライフ」へ ▶▶▶