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オーストラリアの田舎で暮らせば④ブッシュファイア(森林火災)の痕跡と備え

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 オーストラリアの夏、特にブッシュと呼ばれる森や茂みの多い地方部の夏はブッシュファイアと不可分な関係にある。シドニーから約200キロ南のサウス・コーストでも、3年前の大規模なブッシュファイアの記憶は今も色あせない。田舎暮らしを始めて最初の夏に、ブッシュファイアと共存していくための備えを学んでいる。(文・写真:七井マリ)

焦げたユーカリの木が語るもの

国立公園内の自然林。ユーカリの幹の一部が黒く変色している

 住まいから程近い国立公園内、森の間を縫って走る木漏れ日の道は海からの風が涼しく、オーブンの中のように暑く乾いたオーストラリアの夏の陽射しをしばし忘れさせてくれる。

 緑の多い景色の中で、木々の幹の黒い変色が目につく。樹皮が焼け、炭化しているのだ。ハイウェイ沿いや家の周りでも同じ光景を時々見る。炎は木の表面をなめるように焼くにとどまり、幹の深部まで及ばなかったのだろう。ユーカリの一種に近づいて指で触れると、健康な茶色の樹皮からは細かいかけらが剥がれ落ちるのに対し、炭化した部分は固くこわばり時間が止まっているようだ。

 私が暮らすサウス・コーストは、ブッシュファイア(bushfire)の可能性を伴うエリアの1つ。ブッシュファイアは森林火災と訳され、高温低湿なオーストラリアの夏の一側面だ。私はまだ経験がないが、森や草原が焼け、畑や家が焼け、人や家畜、野生動物も例外ではない。

 火災を大きくする乾いた下草や枯れ枝などの「燃料」を、夏より前に人為的に燃やしておくことでブッシュファイアの被害を低減するのもオーストラリアでは毎年恒例だ。専門家が行うこの手法はハザード・リダクション・バーニング(hazard reduction burning)と呼ばれる。私が見た炭化した樹皮がハザード・リダクションによるものか、それともブッシュファイアによるものかは見分けがつかない。それでも、すぐ近くにある森林火災の危険を感じるには十分だ。

「ブラック・サマー」の記憶

ある日の「火災危険度」の案内。緑は「並」の危険度と火災対策を呼び掛ける

 ブッシュファイアのきっかけは、油分や引火性物質を多く含むユーカリなどの摩擦や落雷による発火もあるが、たばこの火の不始末、個人の火の取り扱いミス、放火などさまざまだ。真夏の高温と低湿、そこに強風が加われば、延焼のリスクはいとも容易に跳ね上がる。

 オーストラリアでは2019年から20年に掛けての夏の数カ月間、異常気象の影響による大規模なブッシュファイアが相次ぎ、「ブラック・サマー」の名でその壮絶さを記録に残した。極度の少雨で乾燥した干ばつ気候が何年も続いた後の酷暑で、国内各地で相次いだ火災が約550万ヘクタールを焼いた。日本でいえば九州と四国を合わせた面積に近い。

 当時シドニーにいた私はブッシュファイアとは物理的な距離があったが、水道水の利用制限は干ばつの深刻さを物語っていた。連日の報道で見た赤々と燃え盛る炎や逃げ惑う人びとの様子は今も忘れられない。ある被災者は牧草地を渡る大火を「炎の列車」にたとえ、ニュース・キャスターは「国全体が燃えている」と言った。

 現在私が暮らす地域にも火が迫り、不安な日々が続いたと聞く。隣人いわく、近くの火災現場で発生した濃い煙が空を覆い、昼間だというのに真っ暗になった日もあったそうだ。ある時は、既に長い干ばつで乾ききっていた柑橘の木が2キロ以上先から飛んできた火の粉で焼けたが、燃え広がらなかったのは幸運だったという。「火の玉のような火の粉を見た」と隣人は振り返る。この地域では一時、即刻避難を指示する「Evacuate now」や、安全な避難経路が絶たれたことを示す「Too late to leave」の警告も発出された。

ブッシュファイアとの共存

オーストラリア固有種のバンクシア。松ぼっくりのような実の中に種がある

 例年より雨の多い今年は、見ている景色と火災のイメージに隔たりがある。朝露に濡れた草地、青々と葉を茂らせる樹木、結んだ実を日に日に太らせる庭の果樹。しかし暑く乾燥した日が1週間も続けば、保水性の低い粘土質の地面が小さくひび割れ、柔らかい草が枯れ、景色は音もなく変わり始める。庭の隣の自然林の大部分を占めるユーカリは主として常緑樹だが、悪天候や乾燥で大量の葉を落とす。乾いた枝葉はすなわち火災を悪化させる「燃料」だ。

 ブッシュファイアに備えてやるべきことは無数にある。火が渡ってくるのを防ぐために住まいの周りの樹木を剪定し、間引き、倒木や枯れ枝を遠ざける。雨樋に溜まる落ち葉をこまめに掃除する。芝生や下草を短く刈る。タンクや溜め池に水を張り、長いホースを用意しておく。

 火災を悪化させない努力は、家や町だけでなく自然も守る。田舎に移り住んで以来、ブッシュファイアと共存するオーストラリアの在り方をより強く感じるようになった。

 日本で鉢植えや切り花として知られるバンクシアなどオーストラリア原産の植物には、ブッシュファイアの高温を経て種が芽を出す特性を持つものが多数ある。火災で森の草木の密度が下がれば、植生の新陳代謝も活性化する。植物は火災を生存戦略の一部として、ブッシュファイアと共存しているのだ。

 とはいえ昨今の気候変動による異常気象は、従前とは一線を画す異様な規模のブッシュファイアを起こした。ブラック・サマーの影響で広大な生息地を失ったコアラは今や絶滅危惧種で、既に絶滅した生物種もあるとみられる。欠けていく生態系の循環の輪の中で、私たち人間の居場所だけが不変と無邪気に考えるのはあまりに難しい。

火災から半年後のユーカリの木立ち

2020年、冬のサウス・コーストで見たブラック・サマーの痕跡

 異常気象に端を発したブラック・サマーは、当時の政権による気候変動の軽視、採掘業や大規模農業による膨大な水利用と干ばつの深刻化、大量生産方式に依存した消費生活など、人間社会の構造的な問題を浮き彫りにした。少なくとも、気候変動を減速させ自然災害を食い止めるために何を重視すべきかが、多くの人の目に明らかになったとは言える。

 火災シーズン前のハザード・リダクションについては、先住民族のカルチュラル・バーニング(cultural burning)という慣行が注目された。自然との共生への一歩として、当地の動植物への配慮をもってブッシュファイアと折り合うその知恵が浸透すると良い。

 ブラック・サマーから半年後、被災地域を車で通る機会があった。冬のサウス・コーストの路傍の、焼け焦げた樹木だけが延々と続く寒々しさに言葉を失った。しかしよく見ると、1本1本の枝先のみならず幹本体から小さな緑があふれるように芽吹いている。ユーカリは火に焼かれても、根や幹の芯が生きている限り再生する力があるのだ。

 だが、火災で失われた生物種は帰らず、元通りの森には戻らない。気候変動に歯止めをかけなければ生態系のバランスの悪化は続くだろう。循環の輪を自ら壊してきた私たち人間はどこまで行けるだろうか。願わくは、手に取るもの、口にするもの、その全てを賢く選択しながら生態系へのダメージを和らげていけたらと、再生する木々の写真を見るたび考える。

著者

七井マリ
フリーランスライター、エッセイスト。2013年よりオーストラリア在住

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