スコット・モリソン首相

政界こぼれ話人物編 その214

スコット・モリソン首相
Scott Morison

第30代目の連邦首相となったスコット・モリソンは、1968年5月13日にNSW州のウェーバリーで誕生している(50歳)。父親は警察官で、母親も事務の仕事に携わるなど、共稼ぎの家庭であった。

敬虔なキリスト教徒であった両親は、教会の活動や慈善活動などを通じて、地元コミュニティーに大いに貢献した。モリソンは小学校から大学まで、一貫して公立校であったが、高校は政府選抜校のシドニー・ボーイズ校である。大学はニュー・サウス・ウェールズ大学で、ここで応用科学の学士号を、優等で取得した。また同大学では経済学や地理学も併せて学んだ。

大学卒業後はビジネス界に入り、2004年から06年にかけて、豪州政府観光局の幹部を務めている。またモリソンは2000年から4年間にわたり、NSW州自由党支部事務局長の要職にあった。

政界入りを果たしたのは、ハワード保守政権が敗北し、ラッド労働党政権が誕生した07年選挙の時である。モリソンはシドニー南部に位置するクック連邦下院選挙区から出馬して、見事初当選を果たしている。実は同選挙区の自由党公認候補はトウクという人物であったが、経歴詐称などの問題から、党幹部会の介入でトウクは公認候補の資格を失い、モリソンにお鉢が回ってきたという経緯がある。

当選後は約10カ月ほど陣笠議員を務め、そしてターンブルの野党党首就任に伴い、08年9月に実施された影の組閣において、影の閣外大臣である影の住宅・地方政府担当相に抜擢されている。更にアボットの野党党首就任に伴う09年12月の影の組閣では、影の閣内相で、選挙上も極めて重要な影の移民・市民権相に抜擢されている。

13年9月にはアボット保守政権が誕生したが、モリソンはそのまま移民相に就任し、重要政治イシューかつ保守連合の公約であった、密入国ボート・ピープルの流入をストップさせ、大いに評価された。その後、改造で社会サービス相に異動したが、15年9月の「アボット降ろしクーデター」では、ターンブルを支持し、その論功行賞の意味もあって、重要な財務相に抜擢されている。そして今年8月24日に実施された党首選挙で自由党党首に選出され、同日より連邦首相に就任し、現在に至っている。

思想、信条だが、自由党右派に分類できる。人柄だが、敬虔なキリスト教徒で、社会への奉仕精神や慈愛に満ちた人物である。弁も立つし政策通でもある。選挙にも通暁(つうぎょう)している。ただ政治家としてのモリソンの最大の武器は、常にユーモアに満ちた、それと同時に労働党への痛烈な皮肉を込めた標語を考案できる点、しかも有権者に対し、それを明確に伝えることができる点であろう。

家族は細君のジェニーと小学生の娘が2人である。ラグビー・リーグの地元チームである「シャーク」の熱烈なファンであり、同チームの名誉ある「ナンバー1チケット・ホールダー」でもある。自由党のハワード元首相を「師匠」と仰いでいる。

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