悔いなく生きるために/福島先生の人生日々勉強

福島先生の人生日々勉強

悔いなく生きるために

「侘は是れ吾に非ず、更に何れかの時をか待たん」、読みは「たはこれわれにあらず、さらにいずれのときをかまたん」。

この言葉は、道元禅師の書かれた『典座教訓(てんぞきょうくん)』という本の中に出てきます。若き日の道元禅師が宋の禅寺で修行中のこと、ある夏の昼下がり、太陽の照りつける中を、1人の老典座(ろうてんぞ)と食事係の老僧がシイタケを干していました。背中は曲がり、眉は真っ白です。あまりに大変そうなので、道元禅師は「高齢のあなたがご自身でなさらなくとも、若い者か下働きの者にさせたらいかがですか」と話し掛けました。すると、老典座は「侘は是れ吾に非ず」と答えました。「人にやらせたらその人の修行になるのであって、私の修行にはなりません」というのです。道元禅師はこう続けます。

「では、こんな暑い最中になさらなくとも、もう少し涼しくなってからなされてはいかがですか」

老典座は「更に何れかの時をか待たん」と返しました。「『またいずれ』という時があると思うのですか。今やるべきことは今やらねばなりません」、この言葉を聞き、道元禅師は修行の何たるかを悟ることができたと言います。

一瞬先の命を約束されている人は1人もいません。命あるもの全てが、ただ今この瞬間で終わりを告げるかもしれない命を生きています。ところが、逃れようのない死を目の前に突きつけられない限り、私たちはなかなか本気になれません。「明日がある」と甘えてしまい、その甘えが、「今」という二度と戻らないその瞬間を、失わせてしまいます。人生の時は、休むことなく常に流れ続けています。大変なことは人任せ、面倒なことは後回しでは、ただ時の流れに引きずられていくようなものです。いやいや引きずられているうちに、あっという間に人生の終着点に行き着いてしまいます。

特に今日、私たちを取り巻く環境はより複雑で、後から後から付け足されていく伝統やしがらみでがんじがらめになって、ますます自己を喪失しやすくなっています。私たちは、常に主体的な自分というものをはっきりと自覚し、より積極的に行為を選び取っていかなければなりません。

「流れを断って。勇敢であれ」という仏陀真理の教えがあります。日常を川の流れだと思ってください。流れに埋没していると、自分の姿さえ見えません。思い切って流れを断ち、全体を見渡せる岸に上がるのです。惰性に流され、小事に振り回されて出口が見えなくなっている自分を突き放し、遠くから眺め、全体を見渡してみるのです。そうすることで、どう生きるべきなのかが明らかになっていくということです。人生を大切に生きましょう。果てしなく「今」を取り逃がし続けることのないように。


教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。32年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

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