マーベラス・メルボルン「難破船海岸とグレート・オーシャン・ロード」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第15回 難破船海岸とグレート・オーシャン・ロード

切り立った絶壁が難破船生存者を拒んだ
切り立った絶壁が難破船生存者を拒んだ

メルボルン郊外の最大の見どころは全長243kmに及ぶグレート・オーシャン・ロードであるが、別名「難破船海岸」とも言われ、かつて船乗りたちに恐れられていた。

オーストラリア大陸発見の初期のころ、タスマニアは同大陸の一部だと考えられていて、実際に1万年前まではビクトリアの一部であった。

メルボルンとタスマニアの間には「バス海峡」があり、強い潮流と南極からの強風により、咆哮(ほうこう)する南緯40度線として知られている。イギリスからの調査船や移民船は、バス海峡には強風で近づけないため、タスマニアのホバートまで南下してからシドニーへ向かった。シドニーやホバートに比べてメルボルンの発見や定住が50年ほども遅れたのはこのためだ。

オーストラリア大陸を初めて船で一周し、同地が大陸であると証明したフリンダース船長が1798年にバス海峡を発見し、乗船していた船医で友人の名を取りその名前を付けた。

バス海峡にはキング島やフリンダース島など多数の島があるが、いずれも強風と難破船で悪名高い。フリンダース船長は「このような恐ろしい海岸は見たことがない」と航海日誌に記入し、難波船海岸という名前が付いた。

捕鯨拠点であった難破船海岸のポート・フェアリー
捕鯨拠点であった難破船海岸のポート・フェアリー
ビクトリア最古の町、ポートランド
ビクトリア最古の町、ポートランド

難破船海岸からバス海峡に掛けて、数多くの船が沈没しているが、ビクトリア州の海岸だけでも776隻が難破し、タスマニアも含めると1,000隻を超え1万人以上が亡くなっている。

当時は帆船最後の世代にあたり、イギリスの造船技術は航海術も含めて世界最高レベルであった。最新鋭の大型船が次々と跡形もなく消え去っていくため、人びとはバミューダ・トライアングルをも超える悪魔がすむ海域として怖れた。

それほどの犠牲を払ってまでメルボルンやビクトリアに向かったのは、もちろんゴールド・ラッシュの魅力のためであった。

また、難破船海岸にはもう1つの恐ろしい試練があった。それは海岸に聳(そび)える高い断崖絶壁。難破船から九死に一生の思いで脱出して、海岸にたどり着いても、200kmを超える長大な地域にわたる、高さ50mを超える岸壁を登ることができずに多くの船員、船客が餓死していった。

この地域は石灰岩でできているため、長い時間を掛けて侵食し、現在の奇怪な島影や断崖絶壁が形成されている。現在では観光地となっているが、難破船の遭難者にとっては死活問題であった。

グレート・オーシャン・ロードの見どころ

メルボルンからの入り口の町、トーキーのベルズ・ビーチは、サーフィンの世界的なメッカである。ローン、アポロベイなど美しいビーチ・エリアが続き、ポート・キャンベルからワーナンブールに掛けては最大の名所で12使徒、難破船のロック・アード、ロンドン・アーチがある。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る