マーベラス・メルボルン「メルボルン監獄とネッド・ケリー」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第17回 メルボルン監獄とネッド・ケリー

メルボルン監獄
メルボルン監獄

メルボルン監獄は1839年に建設されたビクトリア最古の刑務所であり、留置場、裁判所、民事裁判所、女性用刑務所など実際の生活に関わりが深い小規模な刑務所であった。51年、ゴールド・ラッシュの始まりと共に、多くの金塊目当ての移民が流入し、わずか人口4万人ほどのビクトリアが40万人へと激増した。そこで、植民地政府にとって大きな問題となったのは、犯罪者の激増とそれに対応する法と秩序の維持であり、51年からメルボルン監獄の建物を大幅に建て直した。メルボルン監獄やタスマニアのポート・アーサー監獄は、当時最先端のコンセプトと設備を持った刑務所で、ロンドンのペントンビル監獄をモデルとしている。中央棟を始点として放射状に延びる3つの長いブロック獄舎があった。礼拝所やエントランス、残存する壁は1860年代初期の建築物である。バララット、ベンディゴなどビクトリアの主要都市に9つの刑務所が建設された。

バララット監獄
バララット監獄
メルボルンのヒーロー、ネッド・ケリー
メルボルンのヒーロー、ネッド・ケリー
メルボルン監獄の隣に建つ旧メルボルン裁判所
メルボルン監獄の隣に建つ旧メルボルン裁判所

金鉱山での一攫千金を狙った若い単身男性は、簡単に金塊輸送馬車や銀行を狙う強盗団に変身した。いわゆるブッシュ・レンジャーである。オーストラリアの犯罪史上で最も有名なブッシュ・レンジャーであるネッド・ケリーも、メルボルン監獄で処刑され敷地内に埋葬された。

ネッド・ケリーの父は貧しい囚人移民で、小さい時から家族ごと、地域社会や警察から差別されてきた。ケリー兄弟は家族を痛めつける警官に反発し殺害、その後、ネッド・ケリーは官憲などの権力への反抗というテーマを鮮明に掲げた。植民地政府は、駐在英国軍や警察力を使って囚人移民や貧しい者を弾圧する姿勢が強く、民衆には嫌われていた。ネッド・ケリーは、多くの銀行を襲ったが、殺害したのは警官のみで、貧しい者には一切手を出さなかった。けが人を出さないクリーンな手口や金銭やビールを人びとに振る舞うなど、義賊として貧しい民衆のヒーローとなった。ネッド・ケリーが強盗の際に着用した防護ヘルメットは今でもオーストラリアのシンボルの1つとなっている。

メルボルン・シティーから南へ伸びる華やかなセントキルダ通りにもブッシュ・レンジャーが多く現れセントキルダ強盗団として名を馳せた。

メルボルン監獄では133人が処刑され、多くは一般墓地での埋葬を拒否されたために監獄内の敷地に埋葬された。メルボルン監獄は、シティー中心部のラッセル通りを北へ300m程歩いた場所にあり、周りには旧裁判所、警察本部が並ぶメルボルンのかつての司法地区である。現在は博物館となって内部はツアーで回ることができる。

なお、メルボルン監獄はネッド・ケリーなどの幽霊が出る場所として幽霊観光ツアーの名所ともなっている。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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