マーベラス・メルボルン「アルバート・パーク」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第30回 アルバート・パーク

アルバート・パークは、市内中心部から真っすぐ南へ3キロほどの場所に位置するメルボルン最大の公園で225ヘクタールの面積がある。

同公園は、1840年に英国ビクトリア女王がいとこのアルバート公と結婚式を挙げたことを記念して造られた。公園周辺の5.3キロの公道を周回するF1グランプリは毎年3月に行われるが、アルバート・パークは世界で最も美しいF1コースと称賛されている。

メルボルン初期の時代には、公園がある辺りはヤラ川河口デルタ地帯で、大きな池や湖が点在する湿地帯であった。アルバート・パーク中心部にある巨大な湖は湿地帯の名残である。

メルボルン最大の公園、アルバート・パーク。中心部の湖は湿地帯であった名残だ
メルボルン最大の公園、アルバート・パーク。中心部の湖は湿地帯であった名残だ

原住民アボリジニーは4万年ほど前からそこに居住しており、アルバート・パークは、アボリジニーの部族であるウルンジェリ族の集合場所の1つであった。

1835年に移民が始まり、ヤラ川の湿地帯は埋め立てや灌漑(かんがい)で農業地や住宅化が進められた。英国駐留軍の演習地としても使われたが、ラトローブ初代総督により公園予定地リザーブに指定され、64年に正式に公園となった。広大な公園は現在、オーストラリアン・フットボール、テニス、ローンボーリング、クリケット、ボートなど、さまざまなスポーツの拠点として使用されている。

公園内にあるゴルフ・レンジ
公園内にあるゴルフ・レンジ
毎年3月、公園周辺の公道をコースにF1GPが開催される
毎年3月、公園周辺の公道をコースにF1GPが開催される

ドイツの小公国国王の二男王子アルバート公は、知的な美男子で白い色が好きであった。オーストラリアやインドなど世界中に植民地を有した大英帝国君主として絶大な権力を誇ったビクトリア女王であったが、いとこのアルバート公を深く愛していたため、ウェディング・ドレスをそれまでの伝統である金色を止め、アルバート公が好きな純白のウェディング・ドレスを選んだ。これがきっかけで純白のウェディング・ドレスは、イギリスやアメリカで流行し、世界中に広まった。

62年にアルバート公が42歳で若くして他界すると、絶望したビクトリア女王は、10年以上も黒い喪服を着用した。

ビクトリア女王は37年に18歳で即位すると、他界する1901年まで在位し、この間はビクトリア時代と呼ばれた。これはメルボルンに移民が始まる1835年から、オーストラリア連邦政府が成立してメルボルンが初代の首都になる1901年までのマーベラス・メルボルンと呼ばれた時代とほぼ同じである。

ビクトリア女王が若くして即位した際に首相であったのがメルボルン侯爵であった。メルボルン首相は、ビクトリア女王がアルバート公と結婚するまでの間、首相として信認された。そのころにできた南太平洋植民地の新しい町の名前がメルボルンと名付けられた。

ビクトリアの地、メルボルンにあるアルバート・パークは深く愛し合った2人を記念する公園である。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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