【新連載】元発行人のローマ便り

元発行人のローマ便り 第1回

2年前、パリに6カ月ステイした際にリポートした、発行人のパリ便りが好評(!?)だったということで、今回ローマに6カ月ステイすることになり、元発行人のローマ便りをという依頼を頂きました。ま、前は発行人だったわけですが、今は日豪プレスのいち愛読者という立場なので、貴重な紙面を、そこらのおっさんがローマがどうとかこうとかいうのに使うことに大きな躊躇がありましたが、新GM兼編集長として奮闘する馬場くんからの依頼となると、一助になるのであれば喜んでと言わざるを得ません。できるだけ目を凝らし耳をそばだて、面白い便りができるよう頑張りますので、また6カ月お付き合いください。

もう若い人が海外へ行くことに興味を持たなくなったと言われて久しいですが、70〜80年代の若者たちにとっての一番の夢は、海外飛躍でした。それぞれが、ファースト・ラブの国を心に抱いていましたね。アメリカとか、フランスとか、スイスとか。私の場合はイタリアでした。理由は歌なんです。


ジリオラ・チンクエッティ

東京オリンピックが開かれた1964年(大昔です)、イタリアから届いた「夢みる想い」という歌が日本で大ヒットしました。ジリオラ・チンクェッティという16歳の美少女歌手が、その年のサンレモ音楽祭に史上最年少で優勝した曲というふれこみでした。すぐ虜になりました。それまでカンツォーネ(イタリアの歌)は、「ボラーレ」とか「オー・ソレ・ミオ」とかのクラッシックなものは知っていましたが、現代的で情緒にあふれた曲は新鮮でした。ここから日本でも70年代の終わりまで続いたカンツォーネ・ブームが到来するのですが、同じようにカンツォーネにはまりました。当時友達はやっぱり、ビートルズやローリング・ストーンズに熱中していましたので、「カンツォーネ、何それ?」と蔑視されましたね。それから、サンレモ音楽祭がどういうものなのかを、このころ多くの日本人が知ったと思います。特に1965年の音楽祭には、日本から伊東ゆかりが出場し(当時は1曲を、イタリア人と外国の歌手が歌うというシステム)、「恋する瞳」で見事入賞したので(YOU TUBEで振袖姿でイタリア語で歌う彼女を見ることができます)、大きな市民権を得ました。今でも時々「サンレモ」というイタリアン・レストランを見かけることがありますが、ここから来ているものと思います。


ナヴォーナ広場の彫像

それで、このころ決めました。必ずいつかチンクェッティに会おう。そして必ずいつかサンレモ音楽祭を見に行こうと。幸運にも2つとも実現することができました。

サンレモに行ったのは1974年。初めてのヨーロッパ旅行で、もちろん貧乏旅行でした。チケットなどを手配できたのは、当時アリタリア航空のオーストラリア支局に勤めていた知り合いのおかげ。会場前でのスナップが残っていますが、ジャケットは着ていますが、まるでボロ着をかき集めた感じ。特に当時は紳士淑女が正装して行く音楽祭。こんな格好でよく入れてもらえたもんだと感心します。ま、過ぎ去った青春の1コマというやつです。チンクェッティに会えたのは本紙のインタビューで。90年代のころ、ピーターシャムにあるCasa Del DiscoというCDショップでよくイタリアのCDを買っていたのですが、オーナーから「イタリアからチンクェッティを始め、数名歌手が来豪しコンサートを開く」という朗報を聞き、早速インタビューのアレンジをしてもらいました。楽屋でインタビューさせてもらいましたが、実際のチンクェッティは背が高く、いい意味でシンプルで、綺麗な人でした。デビュー当時はオズオズと歌う少女歌手といわれ、実力はそう評価されませんでしたが、独自の世界を築きちゃんと残っています。先日、テレビでインタビュー番組に出ているのを見ました。60代後半になると思いますが、体型も変わらず、エレガントに年齢を重ねています。


スペイン広場

さてローマは、これまで2度ほど訪れていますが、今回は25年ぶり。さっそく、定番の観光スポットをチェックしようと街に繰り出しました。スペイン広場で、アイスクリームを食べるのは厳禁で見つかると罰金を払わされると聞き、目を光らせましたが、確かにアイスクリームを舐めている人はいなかったです。ここまで読んで何のことか分かる人はかなりの映画通。「ローマの休日」でオードリー・ヘップバーンが広場でアイスクリームを舐めるシーンがありますが、それを真似て多くのツーリストがここでアイスクリームを舐めるので、階段がその残骸でベトベトになるためにできたルールです。


修復中のトレビの泉

後ろ向きでコインを投げればまたローマに戻って来られるというトレビの泉。残念ながら、現在修復中で(元に戻るのは2015年10月とのこと)、水は1滴もありませんでした。それでも多くのコインが投げられてました。

それからアパートから歩いてすぐのところにローマ日本文化センターがあると聞き、ネットでチェックしてみると、角田光代さんの講演会があるとのことで早速行ってみました。ベストセラー「八日目の蝉」のイタリア語版出版記念の講演ですが、宣伝が行き届かなかったのか、小ホールはイタリア人、日本人合わせて半分も埋まってなかったのが少しお気の毒。とても小柄な角田さんは、これから3年間は小説は書かず源氏物語の訳に専心するそうです。


ナヴォーナ広場の噴水

最後にハプニングを1つ。メトロでスリの集団と遭遇してしまいました。メトロに乗り、ドア付近で立っていると、ドヤドヤと子どもたちの集団が。下校時間なのかなとぼんやり思っているとなぜか子どもたちが私の周囲に。前の子どもが「ボナセーラ」と笑顔を。その時、反射神経があるいは直感が働いたというべきか、思わずたすきがけにしていたバッグの中に手を入れると(もちろんファスナーは閉めていました)、なんと他人の手が(ホラーです)。それは5〜人いたガキの中で一番背の高い、生白い小太りのガキの手。頭にきたので、その手をつかんだまま、足蹴りを1発。この時点でほかのガキどもはクモの子を散らすように消失。そこへドアが閉まりかけ、この白豚ガキはドアに挟まれアフアフという状態。今度は手を離し、もう1発、足蹴り。メトロから足で蹴り出したカタチで、プラット・フォームに尻餅をついていました。バカヤロー、誰だと思ってんだよ、そんじょそこらのツーリストじゃないんだよ(何をいばっておるのだ)、38年近く日豪プレスをやってきた人間なんだよ(何の話だ)、やられたら、必ず2倍3倍返しでやりかえすタイプなんだよ(何を息巻いておるのだ)。フーという感じでシートに座ると、さすがに心臓がバクバクしていました(本当は小心者!)。普段の冷静さを取りもどし(?)、こういうジプシーの子どもたちが(だそうです)、物心ついて以来、生活の糧をスリやかっぱらいで得ることを教えられ育てられたら……と、複雑な気持になりました。

BUON ANNO! ローマからアリデベルチです。(元発行人 坂井健二)

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