布施/福島先生の人生日々勉強

福島先生の人生日々勉強

布施

今でこそなじみのある「ボランティア」という言葉ですが、昔の日本にはそうした言葉はありませんでした。そこで、日本人は「奉仕」という表現でボランティア精神やそれに基づく活動を言い表していました。しかし、奉仕という言葉には奉公などと並び、国家や社会、目上の者などのために、私心を捨てて力を尽くすという宗教や政治に応じた歴史的な背景がありますので、見返りや保護を期待しなかったかというと、ゼロではないでしょう。

宗教に基づいていうと、奉仕に価する言葉に「サービス」がありますが、今では神事を超えて広義に扱われており、一般化しています。一方、「ボランティア」は、ラテン語ボランタス(Voluntas:自由意思)から派生した言葉で、原義は「志願兵」であり、徴集兵と対義に当たる自発的に申し出る者を指しました。

ボランティアの原則には、自発性、無償性、利他性、先駆性の4つがあり、そのうち無償性の原則に関してはより柔軟に考えられ、現在では実費や謝礼を受ける有償ボランティアというものも受け入れられるようになってきました。また、「プロボノ」「プロボラ」と呼ばれる専門家によるボランティア活動もあらゆる現場で必要とされています。

こうしたボランティアの歴史が浅いと言われる日本ですが、それでは日本人にボランティア精神がなかったのかというとそうではありません。日本には古くから「布施」という考え方がありました。布施というと、お寺に納めるお包みが浮かぶかと思いますが、本来は、見返りを求めず、他者に何かを施すということです。決して目上の者のためにではなく、分け隔てなく無心に行われるものです。無心というのが難しいところですが、だからこそ精進し、心掛ける価値のある行いなのではないでしょうか。

他者に何かを施せば、人間の自然な感情として、「してやった」という気持ちが生じ、無意識に対価を期待する心を生じさせます。対価を期待する施しは単なる取引であって、布施にはなりません。布施は「ただひたすらに、こちらからあちらへ」という精神です。他者に何かを施す時、見返りを求めないということは、施したということへの執着を捨て去ることを意味します。

布施という無償の行為は、それを為(な)す者の心の中から見返りへの執着という垢(あか)を1つ削り落としてくれるのです。受けた側ももちろん助けを得ることができますが、施した側も善行の功徳を積むだけでなく、心に安らぎを得ることができます。善行をさせて頂いたという美しい感謝の心さえ芽生えるかもしれません。布施というのは、良いことずくめなのです。


教育専門家:福島 摂子
大阪府出身。33年間、教育に携わり、教育カウンセリング・海外帰国子女指導を主に手がける。1992年に来豪。シドニーに私塾『福島塾』を開き、社会に奉仕する創造的な人間を育てることを使命として、幼児から大学生までの指導を行う。2005年10月より拠点を日本へ移し、日々活動の幅を広げていく一方で、オーストラリア在住者に対する情報提供やカウンセリング指導も継続中である。

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