新・豪リークス/「世界で走り続ける“最強市民ランナー”川内優輝」

現在TBSのシドニー通信員を務める筆者が、オーストラリアの“ホット”な話題を独自の視点で分析する。あっと驚く“裏情報”や“暴露(リーク)情報”も!?

第24回 「世界で走り続ける“最強市民ランナー”川内優輝」

日本人1,000人以上が参加し、7月に行われたゴールドコースト・マラソン。過去この大会で優勝経験もあり、今回家族と共に出場した“公務員ランナー”川内優輝選手に、オーストラリアなど世界中でマラソンを走り続ける理由などを聞いた。

◇川内家全員がそろって大会出場

レース後インタビューに答える川内優輝選手(31)(7月1日ゴールドコースト=筆者撮影)
レース後インタビューに答える川内優輝選手(31)(7月1日ゴールドコースト=筆者撮影)

“Thank you for inviting me and my family!”(私と家族をお招き頂きありがとうございます!)

6月29日、40回目を迎えたゴールドコースト・マラソンの記者会見場に現れた“最強市民ランナー”こと川内優輝選手(31)が、壇上に上がり英語でスピーチした。同じく長距離ランナーである弟の鮮輝さん(27)と鴻輝さん(25)、そして母親の美加さん(54)も今大会10キロ・レースなどに出場するため来豪した。

2日後の7月1日午前7時過ぎ、ゴールドコースト中心部から5キロほど北にあるスタート地点に、「埼玉県庁」と白地で書かれたトレード・マークの緑のランニング・シャツ姿で現れた川内選手。気温は16度、心配された雨も明け方には上がり、長い海岸線から朝日が昇ると、空には濃いオレンジ色に輝く幻想的な朝焼けが広がった。湿度は少し高めだったがほぼ無風。猛暑が続く日本に比べれば、コンディションは上々だ。

日本からの712人を含む1,017人の日本人ランナーも参加した今回のゴールドコースト・マラソン。ケニアからの招待選手に加え、日本から男女のエリート・ランナー24人も参戦した。開幕が再来年に迫った東京五輪のマラソン代表選手を決めるマラソン・グランド・チャンピオンシップ(MGC)出場のためのワイルド・カード選考レースに指定されていることもあり、招待選手たちの眼差しも真剣そのもの。レース前に話を聞いた前年大会優勝の野口拓也選手(コニカミノルタ)は「目標はサブテン(2時間10分以内で走ること)、できれば連覇も狙いたい」と意気込みを語った。

今年4月、日本人として31年ぶりにボストン・マラソンを制した川内選手。ちょうど1カ月前にはストックホルムで42.195キロを走っていたこともあり、レース序盤から少し苦しそうな表情を見せる。折り返し地点前まではペース・メーカーの選手に先導された先頭集団に着けていた川内選手だったが、後半ペース・ダウンしてしまった。

ゴールドコースト・マラソンでゴールするケネス・ムンガラ選手(ケニア=写真中央)、村山謙太選手(写真右)、福田穣選手、(写真左)(筆者撮影)
ゴールドコースト・マラソンでゴールするケネス・ムンガラ選手(ケニア=写真中央)、村山謙太選手(写真右)、福田穣選手、(写真左)(筆者撮影)

一方、最後まで先頭争いを続けていたのは、日本からの招待選手2人。前回準優勝の44歳のベテラン、ケネス・ムンガラ選手とゴール直前までデッドヒートを繰り広げた村山謙太選手(旭化成)が、2時間9分50秒のトップとわずか1秒差で2位。そして村山選手に2秒遅れて福田穣選手(西鉄)がゴールして3位となった。

ボストン・マラソン優勝に続いての国際大会制覇が期待された川内選手だったが、結局2時間14分51秒で9位に終わった。

前日の10キロ・レースを走った次男の鮮輝さんと一緒にレースを見守った川内選手の母、美加さんは「なかなかレースっていうのは走ってみなければ分からないですね。これを生かしてまた次につなげて欲しいと思います」と自身も学生時代に中距離ランナーのアスリートだっただけに、少し厳しい口調で語った。

◇ボストン制覇で知名度アップ

取材カメラに向かってポーズを取る川内優輝選手と家族(左から谷川真里さん、川内優輝選手、母・美加さん、次男・鮮輝さん、三男・鴻輝さん=筆者撮影)
取材カメラに向かってポーズを取る川内優輝選手と家族(左から谷川真里さん、川内優輝選手、母・美加さん、次男・鮮輝さん、三男・鴻輝さん=筆者撮影)

ゴールドコースト・マラソンだけで7回、この他、シドニー、メルボルン、パースの大会にも出場している川内選手に、レース後インタビューを試みた。

――今回の結果については?

練習があまりできていなかったので、“練習は正直”という部分がありましたね。前半早くトップ集団と離れ過ぎました。家族は母親を除いて記録は今ひとつでしたが、皆楽しそうにしていたので、大会主催者に感謝したいです。

――レース後地元のランナーから次々と声を掛けられていましたが……。

ボストン・マラソンのチャンピオンということで、あちこちで声を掛けられました。やはりこれが世界中の人に伝わっていましたし、それにふさわしい実績を残していかなければと感じます。また、オーストラリアの大会は季節が逆なので、すごく涼しくて、走りやすい。日本の夏場のトレーニングとして、とても良いレースだと思います。

◇夢を叶えるためにプロ転向を決断

――来年からプロ転向を表明していますが、不安などはありますか?

不安というよりも、年齢的に上を目指すことができるのがあと数年だと思うので、今の段階でプロになっておけば、まだギリギリ間に合います。きっと“世界中のレースで戦う”という夢をかなえることができると思うので、決断するなら最後のタイミングだったかなと。

――プロで目標にする選手はいますか?

実はそういう選手があまりいないので、自分自身が目標とされるようなプロになってやろうと。今までの日本のプロとはちょっと違うやり方で、ワールド・ワイドに世界中で戦っていければ良いと考えています。

――東京五輪の出場は辞退されましたが…。

そうですね、今のところ狙うつもりはないですね。私自身、涼しいとか、寒いコンディションが得意なので、夏場の東京五輪に向かって行くよりも、例えば涼しいオーストラリアで1カ月合宿を張るなどして、秋以降のレースで世界のライバルたちと戦っていく。それが自分のやりたいことなので。

――次の挑戦は?

8月末に、10年前にハーフ・マラソンで優勝したニューカレドニアの大会に出場します。元々国内しか興味がなかったのですが、初めて海外で走り“ああ海外ってすばらしいな、やっぱり海外に行けるような選手になりたい”と強く志したきっかけとなった思い出の大会だったので、ぜひ今回はフル・マラソンで大会新記録を出したいです。

小さいころは、走ること以外のスポーツは全く駄目だったという川内選手。「走り始めたお陰でこのように海外に来られるようになり、人生も変わった。マラソンに感謝している」と話す。プロ転向後も世界のレースに挑戦し続け、またそのレースを通じて多くの人と交流し、その経験をさまざまな形で伝えていきたいということで、「来年4月から“ニュー・カワウチ”の活動にご期待ください!」と、最後に締めくくってくれた。


飯島浩樹(いいじま・ひろき)
日本の民放キー局でニュース番組のディレクターなどを経て来豪。ウーロンゴン大学院でジャーナリズム修士号を取得後、TBSのシドニー五輪支局現地代表となる。現在、TBSのシドニー通信員として多くのニュース・リポートを日本に送っている。2017年8月より、FCAオーストラリア・南太平洋海外特派員協会会長を務める。

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