アーチボルド、日本人初のファイナリスト刺青師/本庄義男さん

アーチボルド、日本人初のファイナリストに輝いた刺青師

刺青師、絵師 本庄義男 × doq®代表 作野善教

 日系のクロス・カルチャー·マーケティング会社doq®の創業者として数々のビジネス・シーンで活躍、現在は日豪プレスのチェア・パーソンも務める作野善教が、コミュニティーのキー・パーソンとビジネス対談を行う本企画。今回は、刺青師という本業の傍ら、2020年にはオーストラリアで最も権威のある肖像画の賞であるアーチボルド賞のファイナリストに選出されるなど、絵師として活躍する本庄義男さんにご登場願った。
(監修・撮影:馬場一哉)

PROFILE

ほんじょうよしお

ほんじょうよしお
刺青師、絵師。2005年オーストラリアへと移住後、メルボルンのタトゥー・ショップで働き始め、それまで我流で学んできた刺青を本業に。日本人であることから徐々に浮世絵をベースとした和彫りのニーズが増え、それに伴い日本画の世界に。2020年、オーストラリアで最も権威のある肖像画の賞「アートボルド賞」のファイナリストに選出。現在「hibernia tattoo」に勤務。Instgram: @yoshiohonjo

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さくのよしのり

さくのよしのり
doq®創業者・グループ·マネージング・ディレクター。数々の日系ブランドのマーケティングを手掛け、ビジネスを成長させてきた経験を持つ。2016年より3年連続NSW州エキスポート・アワード・ファイナリスト、19年シドニー・デザイン・アワード・シルバー賞、Mumbrellaトラベル・マーケティング・アワード・ファイナリスト、移民創業者を称える「エスニック・ビジネスアワード」史上2人目の日本人ファイナリスト。

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作野:本庄さんがタトゥー・アーティスト、彫り師という職業や、オーストラリア移住を選んだ理由をお聞かせ下さい。

本庄:21~22歳の頃、アメリカで買い付けたビンテージ古着を日本で売る古着屋を友人と共に始めたのですが、その時に「もう普通の仕事には戻らず独立してやっていく」という決意をし、日本で刺青を入れてもらったことが、彫り師に興味を持ったきっかけです。海外バンドの音楽が好きで、例えばレッド・ホット・チリ・ペッパーズのボーカルなども刺青をしているので憧れでもありました。ただ、その後に入れてもらった2個目の刺青のクオリティーが低かったんです。高いお金を払ったのにと思い、友人と一緒に「それなら自分たちでやらないか?」というような感じで始めました。

作野:自分で納得のいく刺青を彫りたい、という思いだったんですね。絵を描くことはもともと得意でしたか?

本庄:いいえ、全然でした。インテリアの専門学校には行きましたが、絵を描く機会はなかったです。

作野:一般的に彫り師の道を目指す場合、師匠に弟子入りをするのでしょうか。

本庄:弟子入りか独学の二択です。弟子入りをすると下積み期間の2年は雑用、それからやっと絵を描き始め、更に1~2年してから人に刺青を入れ始めるので、彫り師になるまでに約4年かかります。それなら自分でやろうと思いました。まだインターネットもない時代でしたが、たまたま彫り師の友人がいたので、電話とFAXで情報を仕入れてスターター・キットを買い、自分の脚に彫って練習することにしました。

作野:1作目の出来栄えはいかがでしたか?

本庄:上から消してしまったので今はもうないですが、どうしようもない出来でした(笑)。それが20年近く前ですね。収入を補うために古着屋以外に工場でも働き、残りの時間を刺青に充てる生活をしていました。

作野:刺青の技術を高めていく中、何か転機となる出来事はありましたか?

本庄:古着屋の隣の英会話学校で働いていたオーストラリアの女性とお付き合いし、ほどなく結婚したのですが、振り返るとそれが転機でした。結婚後も2年ほど日本で刺青を彫り続けていたのですが、その後オーストラリアに移りました。まだ若かったので、1年ごとに日豪を行き来するような生活をできればと考えていました。そんな中、幸いメルボルンのタトゥー・スタジオで働く口を見つけることができました。

作野:ご自身でタトゥーの世界の門を叩いたんですね。ローカルのお店ですか?

本庄:はい、英語は拙かったのですが何とか……。オーストラリアでは約7年前にタトゥー・ライセンスができましたが、昔は資格は不要でした。オーストラリアで初めてお金をもらって刺青をお客さんに入れた時は、緊張で本当に手が震えたことを覚えています。その店は、既存のデザインの中からお客さんが選んだ絵柄を転写してそのまま彫るスタイルだったので、そこで技術の下積みができました。

刺青に対する日豪の感覚の「共通点」

作野:オーストラリアは人種の多様性もあり、肌の色や質も異なりますよね。そこはどう克服されたのでしょう。

本庄:経験としか言いようがないですね。特に白人の方は日焼けで肌が硬く、アジア人のようには針が入らず、冷や汗をかきながら彫ったことを覚えています。

作野:これまで何人くらいの方に彫ってこられましたか。

本庄:2000人は超えると思います。オーストラリアでの最初の10年は小さい刺青を多く手掛けたので1日10人以上に彫ることもありました。今は腕1本全体に彫るような時間を掛ける大きな仕事が多いので、年間40~50人ほどですね。

作野:日本では今も温泉やサウナで刺青を見せないように配慮する風習がありますが、オーストラリアではプールやビーチでも堂々と振る舞えます。日豪の刺青に対する感覚の違いを、彫り師としてどう感じますか?

本庄:刺青を入れたい人って、見せびらかしたい人と、隠したい人に分かれます。日本でもオーストラリアでも、見せるために彫る人と、自分のために彫る人がいて、根本は一緒だと思うんです。でも、作野さんがおっしゃるように社会の捉え方は、目に見えて違いますね。ただ、オーストラリアでもオフィス・ワーカーのお客さんなどは「シャツを着た時に見えない部分に彫ってほしい」とオーダーしますから、日本と共通する感覚もあると思います。見えない部分に刺青を入れるのは、日本の美学でもありますね。

日本人の職人気質がオリジナリティーに

作野:メルボルンでしばらく彫り師をしてから、シドニーに移られたそうですね。

本庄:はい、シドニーで最初に働いたのがカスタム・デザイン専門のタトゥーの店で、そこから自分で絵を描いてお客さんに提供するスタイルで彫るようになりました。

作野:転写したデザインを彫る時代を経て、今はオーダーメードで1点1点時間をかけて、より丹念でアーティスティックな仕事をしていると思うのですが、どのようなスタイルの刺青なのでしょう。

本庄:時間と共に自分の好みも変化しています。最初の4年ほどは、トライバルと呼ばれるデザインを中心にしていました。

作野:ニュージーランドでよく見掛けるような?

本庄:そうです。僕はネイティブ・アメリカンなどのデザインから影響を受けました。その後、アメリカのネイビーの人が入れるようなオールド・スクールという刺青にはまりました。それに飽きてから、オールド・スクールを今風にアレンジしたネオ・トラッドというスタイルにはまり、その後かれこれ12~13年は和彫り1本でやっています。

作野:日本人にとって和彫りは、アウトローのイメージもありますよね。

本庄:はい。ですから日本にいた時は和彫りよりもアメリカの刺青に興味がありました。もともと和彫りは、浮世絵をベースにした日本の柄を刺青にしたもので、江戸時代のデザインの再構築です。日本では伝統的に手彫りなのですが、最近はアウトラインを描く筋彫りはマシンで、色入れやぼかしは手彫りでやるというのが主流になっています。

作野:海外では、和彫りにアウトローのイメージはないわけですね。

本庄:日本人が「アメリカのものが好き」というのと一緒で、オーストラリア人にとっては「日本のものが好き」という、無い物ねだりの感覚だと思います。「日本人だから日本の絵が彫れるだろう」とオーダーが来始めたのがきっかけで、僕自身が和彫りを始めたというよりは、結果的にお客さんに始めさせられたというのが実際のところでした。

作野:需要に応じて、和彫りを提供をするようになったと。

本庄:はい。ただ、僕は和彫りのデザインをマシンで彫っているので、本当の和彫りというよりは、ジャパニーズ・スタイルの刺青というのが正確でしょう。そのジャパニーズ・スタイルを、いかに自分らしく彫れるか、僕はまだ自分のスタイルを探しているところです。最近はソーシャル・メディアなどの影響もあり、どの分野でも上手い人の真似をする人が増えていて、技術は向上する一方で、デザインのオリジナリティーは失われていっています。絵を見ても誰の作品かわからない、ということが珍しくないんです。

作野:その中で本庄さんが追求しているオリジナリティーは、どのような世界観でしょうか。

本庄:日本人としてのアイデンティティーが、1つの独自性になっていると思います。日本人は職人気質で、とことん何かを突き詰める人種だと思います。デザインにおいても技術においても、他のどの国の人よりも努力を惜しまず完璧さを追求する日本人らしさが、オーストラリアのタトゥーの世界での僕の差別化にもなっています。

伝統とアイデアを融合した絵画の世界での挑戦

作野:その「追求」の過程で昨年、本庄さんのアート作品がアーチボルド賞(編注:オーストラリアで最も権威のある肖像画賞)のファイナリストに選出されました。セレブリティー・シェフのアダム・リャオ氏を浮世絵のスタイルで描いた、非常に面白い作品ですね。

本庄:僕は絵の世界では無名ですから、アーチボルドに挑戦するつもりはなかったのですが、現在の妻が写真家で、アダムの写真を撮る機会があったんです。僕も人気テレビ番組「マスター・シェフ」で有名になった彼を覚えていて、ちょうど絵の題材を探していたタイミングでもあったので描かせてもらいました。

作野:動きのあるデザインと構図が印象的です。

本庄:浮世絵のデザインを再構築し、自分のスタイルで描くことを意識しました。浮世絵の時代には見立絵(みたてえ)という描き方があり、当時、例えば直接的には描きにくい役人なども別人に見立てて描くことがありました。ある時、ふと、シェフであるアダムに食材でもある鯛を添えて恵比寿様に見立てるデザインが浮かんだんです。画材にもこだわり、日本に帰国した際に探した手作りの和紙に、日本の昔ながらの水干絵具(すいひえのぐ)と墨を使いました。

作野:日本は長い歴史と奥深い伝統文化を持つ国で、現代ではその偉大さゆえの行き詰まりや、本物を追求するあまり本物以外を許容しないような風潮もあります。そんな中、本庄さんの作品は、日本の画材や見立絵という表現に、シェフと鯛という新しいアイデアを融合させ、オーストラリアという外国で勝負している点が素晴らしいです。アートや料理などのプロの世界で、日本の伝統に固執してそれをそのまま海外に持ってきても、価値が伝わらないことは多々あると思いますから。

本庄:それは絶対にありますね。

作野:本庄さんが、海外の人を引きつけ、価値を理解してもらえるアプローチを、伝統と両立して表現していることに感銘を受けました。刺青以外でも、多様な技術を持つ日本人が海外でそれを実現することで、日本の本当の良さも伝わり、もっと興味を持ってもらえるはずです。そうした発想をする日本人がどんどん世界に出たらいいなと思っていたので、アーチボルド賞の話題はとてもうれしかったです。本荘:昨年は僕と新明百合さんが、日本人として初めてアーチボルド賞のファイナリストに選ばれ、とても意義のあることだと感じました。ただ、日本の伝統文化は後継者不足で技術が失われ消えていくことも多いと聞くので残念です。

作野:日本で古い着物の生地でテーブルクロスを作っている人とお話しをしたことがあります。本来の用途とは異なる使い方ですが、例えば祖母が着た着物の文化的価値に孫や曽孫が触れることもできますし、着物をタンスで眠らせて虫食いにするより価値はあると思うんです。

本庄:その通りですね。昔の着物は生地や刺繍などのクオリティーも高いものが多いですから。

作野:そういった伝統とアイデアの融合は、これからの時代、より深く考えていく必要がありますね。

「好きなこと」を10年追求して仕事に

作野:現在の本庄さんのライフスタイルや、将来のビジョンについて伺わせて下さい。

本庄:今は店で6時間ほど刺青を彫り、帰宅して家族との時間を過ごし、寝るまで絵を描くという繰り返しで決して派手ではないですが、目が見えて腕が動く限り彫り師を続けたいです。これは夢なのですが、自分の子どもに小さいうちから絵を教えて、若いうちに僕の全技術を伝えたら彫り師としてやっていけると思うので、それをバックグラウンドとして持たせつつ、本人はやりたいことに挑戦して、もし無理でも彫り師に戻れるような、そんな選択肢を与えることができたらと思っています。もし子どもがいつか刺青を入れるなら、しっかり良い彫り師を選んで、本気でやってほしいですね。

作野:本庄さんが古着屋や彫り師など多くの経験をしてきたことを踏まえ、渡豪する人、転職する人、新型コロナウイルスで変化を体験している人などに、新しいステップを踏み出すためのアドバイスをいただけますか。

本庄:人生の中で最も時間を費やすのは仕事ですから、好きなことを仕事にできたらいいと思うんです。セカンド・チャンスならなおさら、好きなこと、やりたいことに時間を使って追求して欲しい。好きなことが仕事なら、職場に行きたくないことはないですし、好きなことに時間を使うことでお金も頂けるので、満足感も高く幸せです。新しいことにチャレンジして、その中で好きなことを見つけるのがいいと思います。

作野:「好き」で止まってしまって仕事にまでならない人は、どうするのが良いでしょうか?

本庄:やってみなければ結果はわかりませんから、当たって砕けろの精神で始めて、その世界に飛び込んでから続けるかを決めたらいい。どんな世界でもプロになるには3000時間、約10年は掛かるという話を聞いたこともあります。逆に言えば、好きなことを10年追求すれば食べていけるレベルにはなれる、ということだと思います。

作野:確かに、10年というのはビジネスの世界でも1つの指標です。今はインターネットやデジタル・デバイスも発達し、昔より起業もしやすい環境がありますが、僕が目にするのは、やり始めたもののごく短期で結果を求めて止めてしまう人たち。才能や運があり2~3年で成功する人も確かにいますが、それはほんのひと握りで、本庄さんがおっしゃるように10年打ち込んで初めて結果がついてくることの方が多いと感じます。

本庄:好きなことなら10年続けるのも苦ではないですから、トライしてみると良いですね。

作野:本日は貴重なお話、ありがとうございました。

(2021年3月24日、日豪プレス・オフィスで)

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