【現代アート】現代アートが日常生活に結びついた例はありますか?

関心はあるものの、実は全く理解できない! いったいどこから勉強して良いのか分からない! そんな読者の心の声に答えるべく登場したこのコラム。奥深い現代アートの世界に対する素朴な疑問に、著者がずばり回答。易しく解説してくれます。これを読めば、芸術の世界がぐっと身近に感じられるはず。

第26回 “現代アートが日常生活に結びついた例はありますか?”

Pedro Reyes, Palas por Pistolas(Shovels for Guns), 2006
Pedro Reyes, Palas por Pistolas(Shovels for Guns), 2006

西洋の文脈では日常とアートは本来乖離(かいり)しています。モダニズム以前、つまり19世紀以前は、王侯貴族の雇われアーティストが優れた作品を残す一方、日常レベルでは、庶民には美術作品は遠いものでした。では、いつアートと日常を結ぶ土壌ができたのでしょうか? それは19世紀とされ、市民階級の台頭、産業革命、グーテンベルクの印刷機に始まる表現の自由の拡大が土壌作りに大きな影響を与えたとされています。この点について、フランスの哲学者フーコーは「主体の確立」と言っています。案外、西洋における個人の確立は歴史の浅いものなのです。

その個人の台頭もあって、日常に「美」を求めることが可能になったと言えます。そこで日常の美の啓蒙運動として19世紀後半ウイリアム・モリスのアート・クラフト運動が起こりました。その後日常とアートの融合はオランダのデ・ステイルそしてドイツのバウハウスに引き継がれていきました。

20世紀、戦後の現代アートにおいて、日常や日常空間との関わりを革新的に唱導(しょうどう)したのがヨセフ・ボイスです。ボイスは、自身の活動においてソーシャル・スカルプチャー(社会彫刻)というコンセプトを持っていました。ボイスは政治的にはドイツの緑の党に所属し「あらゆるものはアートである。どんな日常生活でもクリエイティブに接することができる。だから、誰もが潜在的にアーティストである」と唱えました。「日常生活は社会彫刻そのものである、誰もが参加できる」と、全ての人びとに彼のアート活動への参加を呼びかけました。ボイスは緑の党内で影響力を持ち、彼のデモクラシーの講義で使われた黒板そのものがアートとして美術館で保存されています。ボイスは、5年に一度の大規模なドイツのドクメンタ国際美術展で数億円の予算で電車の枕石を7,000個並べ、それぞれの側にオークの木を植林したりもしました。彼のメッセージは機械やテクノロジーによって、シャーマニスティックな自然との呪術的関係を失ってはいけないと、自然の象徴である木を植え、自然と対話するという行為を推奨しました。

この伝統は今日でも引き継がれています。欧州の美術大学にも社会彫刻と題する学科があるくらいです。例えば、ペドロ・レイエス(Pedro Reyes)というメキシコのアーティストは西メキシコのクイリカン村の住民から1,527丁の火器を電気製品と交換することで集め、それらの火器を溶かし、シャベルを作りました。そのシャベルで1,527本の植林をしました。その他、ボイスの社会彫刻は今日では環境芸術あるいはサステナビリティーの美術活動として継続されています。

環境と美、そしてサステナビリティーという点では日本には誇れるものがあります。日本では古来(といっても貴族社会に描かれている世界ですが)より「美学」は日常生活と結びついていたと言えます。例えば、枕草子に「かりなどのつらねたるが、いと小さく見ゆるは、いとをかし。日入り果てて、風の音、虫の音など、はた言ふべきにあらず(雁などが列を作っているのが、とても小さく見えるのは、大変面白い。日が沈んでしまって、風の音、虫の音などが良いのは、また言うまでもない)」という一節があります。燃えかすになる炭に美醜判断(びしゅうはんだん)を用いている箇所もあります。飛び去って行く雁や、虫の音に趣や美を、ましてや燃えて灰色になる炭に美や醜を感じる感性を西洋ではあまり聞きません。自然観の違いと言えばそれまでですが、イメージにまつわる感性が違うのだろうと思います。ここで私が言いたいことは、日常と美が結びつくにはそれなりの「(文化的)土壌」が必要だということです。

日本の美学のコアに陶芸があると、昨年亡くなった私の恩師、美術史家の木村重信氏は仰っていました。まがい物が見分けられないで「美」が分かるか、というのが同氏の説で、元々ご実家が宇治のお茶の卸(おろし)であった木村氏は、骨董市でもお茶碗の目利きでした。陶芸家は土を求めて旅をしたと言います。ましてや磁器用の白い土となると一大財産ができるほどでした。土を見る目も自ずと違ってくるでしょう。

千利休を始めとする茶道もサステナビリティーと関係があります。壊れた茶碗の金継ぎは有名ですが、茶室自体も廃材で作られたり、重厚な書院造ではなく数寄屋造りのあばら家をイメージしたものがあります。茶道具も新しい絢爛(けんらん)豪華な物よりも使い古した物を宝としました。

古来、500年毎に建て替えるお寺や神社の裏の寺社の杜(もり)は有名です。樹齢500年の鎮守の森も宅地開発などでなくなってきています。サステナビリティーを謳い、木で東京五輪のメイン・スタジアムとなる巨大な建築物を作ろうとしている隈研吾氏も、海外から大量に木を切ってくることを必要とし、非難にさらされています。フランク・ゲーリーを始めとした現代建築が現代美術に含まれてきている現在、生活と美という観念において、考えさせられるところが多いと思います。


登崎榮一(Ph.Ds)
メルボルン大学哲学/美術史並びにモナーシュ大学 アート&デザインでPhDを取得。現在は、アーティストとして活躍するほか、ディーキン大学でも講師を務める。
Web: bimanualdrawing.wordpress.com

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る