シドニー出身の歌姫、サラ・オレイン インタビュー

音楽に生きる サラ・オレイン
シドニーで生まれ育ち、日本で活躍中のミュージシャン、サラ・オレイン。その清らかな歌声とエキゾチックな美貌もさることながら、2014年、テレビ朝日系「関ジャニの仕分け∞」の歌唱力対決で実力派シンガーMay Jを下したことで、その活躍にいっそう注目が集まっている。3オクターブを超える音域と絶対音感を持ち、バイオリン演奏や作詞作曲もこなす多才な彼女の、「これまで」と「これから」を伺った。

5歳からずっと音楽家になりたかった

——小さいころから、ずっとオーストラリアで音楽に触れる暮らしをしていたのでしょうか。
「音楽家で日本人の母と外交官の父の元で、音楽に理解のある環境で育ちました。5歳からバイオリンを始め、師匠について長く勉強してきました。聴く音楽は、クラシックはもちろん、当時のラジオで流れていたロックやポップス、マライア・キャリーなどにも親しんでいましたね。また、小さい時からワールド・ミュージックが好きで、ケルト音楽などもよく聴いていました」

 

——サラさんはどんなお子さんだったのですか。
「孤独で、負けず嫌いな性格だったと思います。ずっと楽器をやっていて母も厳しかったので、スポーツでけがをしてはいけないからと自転車にも乗ったことがなくて(笑)。でも本当に音楽が好きでしたし、勉強も嫌いではなかったです。本も大好きでオスカー・ワイルドの作品や、『ナルニア国物語』などのファンタジーもたくさん読んでいました。それと主に英語版でしたがジブリの『天空の城ラピュタ』や『もののけ姫』のDVDも、独特な世界観が好きでよく観ていました」

 

——シドニーで育ったサラさんですが、ほかにも日本の文化との関わりはあったのでしょうか。
「アニメーションもおもしろいですし、文学だったら三島由紀夫さんの作品は共感できるものがいっぱいあります。感銘を受け、留学を考えるきっかけにもなりました。最初に読んだのは『金閣寺』。オーストラリアやウエスタンの文化・考え方と全く違う、彼のちょっとダークな滅びの美学にものすごく惹かれるんです。哲学も元々すごく好きで、アジア・日本の哲学にも興味を持っています。日本の食文化も大好きで、ダーリング・ハーバーの『Yoshii』という和食屋さん(※編注:現在はロックス地区で営業)は特にお気に入りでした」

 

——高校卒業後、進学したシドニー大学では言語と音楽の勉強をされたそうですね。
「専攻はイタリア語と、そして日本語も。第2専攻で音楽も取って、その中でさらにパフォーマンス、バイオリンと作曲を選択していました。元々、言語と文化に興味があったので」

 

——日本語もネイティブ・スピーカーのようになめらかですが、現在、何カ国語を話せるのですか。
「会話は英語、日本語、イタリア語の3カ国語です。読み書きだとラテン語とフランス語も。家庭も学校も完全に英語環境でしたので、日本語を本格的に勉強し始めたのはシドニー大学のころからですね」

 

——大学で音楽の勉強をしていたのはバイオリニストになるためだったのでしょうか。
「5歳からずっと絶対に音楽家になりたいと思っていて。大学に入るまではバイオリンがメインだったのですが、大学では演奏だけでなく作曲、作る側のほうにも興味を持つことになりました。その時点では歌手になろうと思ったことはまだなかったのですが、日本に行ってご縁があったのがきっかけですね」

未来へ向かう街、東京へ

——シドニー大学在学中に、交換留学生として東京大学へ行かれたそうですね。
「はい、世界で25人選ばれて行く特別なコースで、日本語をベースに歴史や文化を学びました。シドニー大学で既に日本語は勉強していたので、その分日本文学などを深く勉強できましたね。好きだった三島由紀夫以外にもさらにいろいろな本に触れて、もっと日本に興味を持ちました」

 

——オーストラリアと比較して、サラさんにとって日本はどんな場所でしょうか。
「オーストラリアは母国、ホームなので安心感のある場所。日本にいる人にもオーストラリアの魅力、自然の豊かさや表現の自由さなどの魅力を知ってもらいたいなと思いますね。一方、日本はすごく刺激的でエキサイティングな場所。お店も機械も新しいものがたくさんあって。ビルもすぐ建ちますし、モダンというか、追いつけないくらいのスピードを感じます。オーストラリアだとクリスマスを過ぎてもデコレーションが残っていたりしますが、日本だとその日の夜中にすぐ切り替えたり(笑)。日本、特に東京は、とにかく未来に向かっている場所という気がします」

 

——日本での生活や言語について当初、戸惑うこともあったのでは。
「最初に住んでいた寮は、普通の日本の家よりずっと狭かったと思います。カルチャー・ショックとまではいかないですけど始めはびっくりしましたね(笑)。でも快適で、性能の良い物も多いし楽しかったです。今ほど日本語での会話はスムーズではなかったのですが、国際交流サークルに参加したり、カラオケに行って日本語の曲を歌ったりしながら、1年半の留学生活の間に楽しく学びました」

シンガーという選択

——その1年半の間に日本での音楽活動を開始されたのでしょうか。
「日本滞在の後半になって、知人を通じて有名なゲーム音楽の作曲家、光田康典さんとたまたま知り合ったのですが、ちょうどその時、英語がネイティブのシンガーを探していたんです。私は歌は大好きでしたがレコーディングはしたことがなく、不安もありました。でも彼のスタジオで生まれて初めて収録した曲が、結果的にデビュー曲になりました」

 

——それまでは歌手としての活動経験はあったのですか。
「オーストラリアで中学3年生の時に学校のミュージカルの主役を務めました。声楽の先生についてレッスンを受けたり、何度かコンクールなどにも出たのですが、それはクラシックの声楽ですから発声もだいぶ違います。歌うこと自体は大好きでしたし、バイオリンも元々“歌う楽器”と言われていて、練習の時も必ず弾く前にフレーズを口で歌ってから弾いたりします。歌はずっと近い存在ではあったんですけれども、シンガーになるという意識はそれまで全然なかったです。そういった時点でのレコーディングは、もちろん怖かったですし緊張感もありました。でも何と言うか、バイオリニスト一筋とこだわっていたわけでもなくて、ただ音楽や言語を通じて“表現者”になりたいと思っていたので。その時は自分の体を使って表現をする素晴らしいチャンスをいただいたので、勝負というか、頑張ろうと思いましたね」

 

——その人生初の歌のレコーディングで、歌手としての手応えは感じましたか。
「ゲームの曲(※編注:任天堂・Wii『ゼノブレイド』、エンディング・テーマ曲『Beyond the Sky』)だったので、(光田さんは)録音前からかなり完成形のイメージをはっきり持っていたのだと思います。最初にデモで歌ったときは光田さんのイメージと違っていて、たぶん声楽っぽい歌い方をしていたと思うんです。それで『もっとこういう感じに』というイメージ音源が送られてきて、1日しかない中でそれを何回も聴いて、発声を変えて練習を繰り返して、そこで初めて自分がいろいろなジャンルの歌い方ができるんだと気付きました。周りの人たちもすごく驚いていていましたが、本当に必死でした」

日本の音楽界で本格デビュー

セカンド・アルバム「SARAH」にパワフルな楽曲6曲を加えた「SARAH-Deluxe Edition」を4月8日にリリース

——2012年にユニバーサル・ミュージックからファースト・アルバム「セレステ」でメジャー・デビュー。実際にCDが出て、ご自身の心境はいかがでしたか。
「私はもちろん、家族もハッピーでしたね。でも音楽で食べていく、生活していくことはやっぱり厳しいですし、日本の血が入っているとはいえ異国で活動していくことは大変。だからこそ日本語をもっとちゃんと勉強したのだと思います。会話がスムーズにできないと自分の思いが伝わらないですから、必死で」

 

——カバー曲中心のデビュー・アルバムでは、小田和正やジョニ・ミッチェルなどの曲もオリジナル・アレンジで歌っていましたね。
「そうなんです。おかげで、アルバムが出る前はゲーム・ファンの方がメインだったのが、アルバム・リリース後さらに広い層の方がコンサートに来てくださるようになりました。デビュー当時は、これから自分をどう表現していくか考える時期でした。次のアルバムではカバーもオリジナルも一層自分らしくなってきたと思います」

 

——コンサート以外にもさまざまなイベントで歌や演奏を披露されています。
「最近ですが、昨年2014年にフィギュア・スケートのアイス・ショーで歌ったのが素晴らしい経験でした。目の前で羽生結弦選手をはじめプロに転向された安藤美姫さんや、世界のトップ・スケーターたちとコラボできて。本当に幻想的なファンタジーの世界で、自分にとってもすごく印象的でした。コラボなのでもちろんスケーターがメインですし、スケーターに合わせて歌ったり演奏したりしていたので、いつもとは違った楽しさでしたね」

 

——日本各地でライブ活動で印象的な場所などありましたか。
「福岡の太宰府天満宮でパフォーマンスした際は、普段は天皇陛下などしか入れないような特別な空間で歌わせていただいたり。竈門神社という縁結びの神様の所でもやりました。私がパフォーマンスしているものはどちらか言うと洋楽に近いので、神社などの『和の世界』とのコンビネーションもおもしろかったですね。神秘的なものが元々好きなので、そういうお寺や神社など日本のパワー・スポットにもすごく惹かれます。そういった場所でのライブはやはり何かフィーリングが違いますね。神の前だからというか、オーラがあるというか。たまたまですけど去年の竈門神社でのパフォーマンスで、あまりにもタイミングの良いところで鳥がやって来たり、葉っぱが舞い上がったり、映像がないのが残念ですが神秘的な経験をしました。そういう不思議な、意外な場所でのパフォーマンスもどんどんやりたいですね」

「Let it go」でMay Jを下した歌唱力

——昨年、テレビ朝日系「関ジャニ仕分け∞」で歌った「Let it go」で、難攻不落の存在だったMay Jさんとの歌唱力対決に勝利。そこからサラさんに注目した視聴者も多かったと思います。その後も何人もの実力派シンガーに勝ち続けていましたね。
「最初の挑戦はすごく複雑な気持ちでした。歌ったことのない曲で、機械が判断するカラオケの採点システムもまだよく理解していなかったですし。歌で競うという面でもどうかなと思ったのですが…。でも自分の成長につながるかなという思いで挑戦したところ、まさかの結果になって、すごくびっくりしました。それからも毎回がチャレンジでしたね。ミュージカルの曲などは発声が違いますし、ほぼ歌ったことのないジャンルの曲だったので、この番組に出ることで本当に自分も発見が多くて。そして機械との戦い(笑)。カラオケで、どうすれば点数的にも音楽的にも良くなるかと研究していました。点数が良くても音楽として素晴らしくなければ観ている人にもおもしろくないはずなので、そこは特に気をつけました」

 

——どんなジャンルの曲を歌っていても際立つのが、サラさんの声自体の美しさ。そして「歌そのものの上手さ」はサラさんの音楽の魅力を語るために欠かせない要素かと思います。
「特別なトレーニングというものはしていないので、ある意味自然体です。歌い方についても、どうすればこの歌詞が伝わるか、作曲家の意図が伝わるか、それを考えた上での発声だったりします。カバー曲に関してはオリジナルへのリスペクトもありますし、自分が歌うからには自分らしさも出したい。『関ジャニの仕分け∞』では全部カバー曲だったので、自分の解釈で歌詞や曲を表現してみていました」

 

——サラさんご自身から見て、「ミュージシャン、サラ・オレイン」の自分らしさというのはどんなものと思われますか。
「難しい質問ですね(笑)。自分なりの歌詞やメロディーの解釈を『このフレージングで表現する』と考えて歌っているのですが、それはオリジナルを歌う方の真似ではなく、無視でもない。自分だったらこういう風に歌ったほうがオーディエンスに伝わるんじゃないかなっていう。そういう部分だと思います」

 

——アルバムやライブのカバー曲の選曲はご自身で?
「ほぼそうですね。まずは自分の好きな曲で、『違った風に表現してみたい』というものを。有名な曲も新鮮に聴こえるように、歌い方や楽器の入れ方も自分らしくアレンジを加えますし、『サラ・バージョン』として聴いてもらいたいです」

 

——選曲のジャンルの広さにも、サラさんが普段聴く音楽の幅広さを感じます。
「聴かないものはないくらい、何でも聴きますね。最近はラナ・デル・レイ(Lana Del Rey)という女性ボーカリストの曲をよく聴きます。エレクトロニック音楽と美しいメロディー・ラインを組み合わせた不思議な世界観で、ちょっとダークな感じもあったり、カバーを歌っていても誰が聴いてもラナ・デル・レイと分かるような。そういうミュージシャンにもなりたいなと思っています。自分のカラーというか、こぶしというか、そういう意味での自分らしさだと思うんですけれども。ほかには昔から映画音楽も好きなので、今度やるラジオの特集のためにもいろいろな映画音楽を聴き直していますね。バーンスタインの『ウェスト・サイド・ストーリー』だったり、エンヤも歌っている『ロード・オブ・ザ・リング』のサントラなど。もっと古いものだと、私も既にカバーしている『ニュー・シネマ・パラダイス』の曲とか」

 

——インターネット上で観られるサラさんのライブ映像の中でも、「ニュー・シネマ・パラダイス」は声や世界観がぴったりで、特に印象的なものの1つです。
「大好きな曲なので嬉しいです。あの『愛のテーマ』はエンリオ・モリコーネの息子である、アンドレア・モリコーネが書いた曲。実はLAにいる彼に会いに行き、作曲した本人の前でアカペラで歌うという貴重な経験をしたんです。今後一緒に曲を作りたいという話にもなっていて、おそらく実現すると思います」

 

——素晴らしいお話ですね。ちなみに今まで歌手として歌った中で一番難しかった曲、大きな挑戦だった曲というのはありますか。
「やはりテレビで歌った『Let it go』です。地声を張るように歌い上げる曲ですし、特に私の最初のアルバムではどちらかというと静かに歌うような曲が多かったので、難しかったです。でも『Let it go』を歌うことによって自分の可能性が広がったというか、もっといろいろなことができるのじゃないかと気づかせてもらえました」

サラ・オレインの音楽の「これから」

——これからカバー曲を歌っていく上で挑戦してみたいことはありますか。
「例えば、前にも一度やったことがあるのですがクラシックの曲をちょっとモダンにアレンジして歌詞を乗せるとか。そして日本にいるのでもっと日本の曲もやりたいですね。『関ジャニの仕分け∞』で中孝介さんの『花』を歌わせていただき彼は奄美の人ですが、奄美や沖縄などの音階には独特のこぶしがあって、そういうものをぜひ取り入れて歌ってみたいと思いました。また、最初のアルバムではオーストラリアの第2の国歌とも言われる『I still call Australia home』も選曲し、ライブでも母国を懐かしく思いながら歌っています。これからも例えばディジュリドゥ(※編注:アボリジニの伝統的な楽器)を入れたり、オーストラリアの音楽も積極的に取り入れて楽曲アレンジでも自由に遊んでみたいですね」

 

——現在サラさんの音楽活動の拠点は日本ですが、今後オーストラリアへ移る予定はありますか。
「今年はないですが、オーストラリアでも、ヨーロッパでもアジアでも、グローバルにいろいろな所で活動していきたいと思っています。せっかくいろいろな言語で歌っていますし」

 

——アルバム「SARAH – Deluxe Edition」が4月8日に出ましたが、今年は、どんな音楽活動をしていきたいですか?
「録音も永遠に残るので好きですが、ライブ活動が一番好きです。すぐにお客さんの反応も見られて、音楽をみんなで楽しめるので。人前でのパフォーマンスによって、自分が表現したいものをより形にできると思うんです。CDではバイオリンは間奏でちょっと弾くくらいですが、ライブだと丸々1曲弾いたりもします。先日放送された『関ジャニの仕分け∞』最終回ですが(※編注:3月21日放送)、そこでは歌でなくバイオリンでの出演でゴールデン・ボンバーの『女々しくて』をやりました。今回のようにもっと楽器も弾きたいですし、あとはやはり自作曲も増やしたいですね」

 

——ご自身で作っていきたい音楽のビジョンをお聞かせください。
「今までにないジャンル、ですね。言葉では表せないもの。誰が聴いても『サラ・オレインだ』と分かる、そんな新しいジャンルの音楽を作りたい。もしくは色んなジャンルのものがクロス・オーバーしているものを目指して、既存のものではない、『サラ』っていうジャンルを作っていきたいと、強く思っています」
(インタビュー=関和マリエ)


サラ・オレイン(SARAH ÀLAINN)プロフィル
オーストラリア出身のボーカリスト兼バイオリニスト。英語・日本語・イタリア語・フランス語を操り、作詞家、作曲家、コピーライターとしても活躍。5歳から始めたバイオリンでは数々のコンクールで優勝。2008 年、世界で 25人だけ選ばれる東京大学交換留学生のオーストラリア代表として来日。12 年ユニバーサルミュージックからメジャー・デビュー。その声質には“1/f のゆらぎ”と呼ばれる癒し効果があると言われ、歌うようなバイオリンとともに聴く人を魅了している。NHKなどの話題のテレビ番組への出演や世界的フィギュア・スケーターとの共演、さらにラジオ・パーソナリティー、障がい者スポーツの公式サポーター、絵本の翻訳などで活躍するマルチ・アーティスト。

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