豪州サッカーNPL特集・第2弾「注目プレーヤー特別対談」

豪州サッカーNPL特集・第2弾
NPL注目プレーヤー特別対談

村山拓也(Photos by loopii) x 伊藤和也(Photo: Patrick Photos by loopii Leigh Kearney)

3月号のナショナル・プレミア・リーグ(NPL)特集では、「シーズン観戦ガイド」としてNSW州セミプロ・リーグ最高峰「NSW NPL1(州1部・豪州2部相当)」を解説。今月号では引き続き、そこで活躍する「人」にスポットを当て、違う角度からNPLの魅力を掘り下げる。本紙サッカー連載「日豪サッカー新時代」でおなじみの植松久隆が、NSW州とQLD州のNPLのトップを走る2選手の特別対談に、元日本代表の田代有三選手の独占インタビューを加え2部構成でお届けする(文中全て敬称略)。(取材・文=植松久隆/Taka Uematsu、構成=山内亮治)

村山拓也

村山拓也(むらやまたくや)プロフィル◎1987年生まれ、大阪府出身。サザーランド・シャークスFC所属(NSW NPL1)。今年でNPL7季目を迎え、今季開幕時点で6季連続全試合出場。そのうち5季は完全フル出場というNPLきっての鉄人。来豪初年度はボニーリグ・ホワイト・イーグルスFC。その後、ロックデール・シティー・サンズFCを経て、昨季からサザーランド・シャークスFCに所属。日本では、奈良育英高校、早稲田大学とサッカーの強豪校に所属。ポジションは右サイド・バック

伊藤和也

伊藤和也(いとうかずや)プロフィル◎1986年生まれ、大阪府出身。オリンピックFC所属(NPLQ)。ブリスベンの名門オリンピックFCに5季連続在籍中。高い技術で中盤の守備的なポジションまたはサイド・バックで汗を欠くチームには欠かせない存在。ジュニア・ユース(Jリーグ下部組織)はセレッソ大阪に所属し、その後、清風高校、阪南大学を経て、日本フットボール・リーグ(JFL)のMIOびわこ草津(現・MIOびわこ滋賀)で4季プレーして渡豪

前回3月号での「シーズン観戦ガイド」に続き、今月は現在NPLで活躍する選手を取り上げることで、読者にはNPLの存在をより身近に感じてもらいたい。

NSW州で取り上げるべきはNPL日本人最長の7季連続プレーを続ける村山拓也(サザーランド・シャークスFC/29)以外にない。更には、QLD州で5季に渡ってブリスベンの名門クラブ一筋でプレーする伊藤和也(オリンピックFC/30)がカウンターパートになり得る。どうせだったら、この機会を捉えてこの2人を対談させたら面白いのではないかと考えた。

かくして村山と伊藤、NSW州とQLD州の最高峰の舞台で多くの日本人選手を牽引(けんいん)してきた2人のNPL戦士の紙面上で“直接対決”、これまで互いの存在を意識はすれど、全く面識が無かった2人の「邂逅(かいこう)」が実現した。

豪州における“日本人プレーヤー”

2人は同じ大阪府出身で学年も1つしか違わない。しかし、これまでのキャリアの中で対戦することは、ほとんど無かった。

「試合で何度か、清風高校(伊藤の母校)に行ったのは覚えているんですけど……」と語る村山に対し、「僕が大学4回生の時に、インカレで早稲田と当たっていると思うんですが……」と伊藤。お互いの大学時代の所属先はいずれも大所帯で、よほどの超有名選手でもない限りはお互いを知る由もなかっただろう。確固たる記憶が無いのも無理からぬことだ。

そんな2人には意外な共通の知り合いの選手がいる。Aリーグ唯一の日本人選手として、ウェスタン・シドニー・ワンダラーズFC(WSW)で奮闘する楠神順平(29)だ。同年齢の楠神とはプライベートでも仲が良いという村山。伊藤は「順平は、大学時代の関西学生選抜と全日本選抜のチームメイトで1学年下。あいつがブリスベンに遠征してきた時には、僕が日本に帰っていたりしていてまだ会えてないですが」と浅からぬ縁がある。

小柄でも臆さず得意のドリブルで仕掛けて、屈強なDF陣を切り裂く楠神のプレー・スタイルは「日本人選手はこうあるべき」とオージーの考える日本人選手の究極形に近い。ひと言で言えば「うまくて、速くて、頑張れる選手」だ。そんな楠神の話題から、話はいつしか豪州で頑張る日本人選手全般に及んだ。

「器用なプレーができる日本人は、本職のポジション以外ではサイド・バックを任されがち」と伊藤がQLDの日本人選手事情を語ると、村山は驚いて「NSWでは、『日本人=アタッキング・プレイヤー』というのが定着していて、他のポジションではチャンスは無いに等しい」とNSWの事情を語る。こういった州によって全く異なる事情など、ここでしか聞けない興味深い内容は、思わず聞き入ってしまうようなものだった。

豪州で長く戦い続けられる秘訣

積極的に言葉を交える2人には、いつしかお互いを認め合うリスペクトの念が芽生えていた。“鉄人”と称される村山が、自身のNPLでのキャリアを「1年目、来豪当初の数試合は途中出場があったけど、スタメンを確保してからは5年間全試合出場。そのうち3年間は完全フル出場」と語るのを聞いていた伊藤が、ポツリと「本当に鉄人や」と呟いた。豪州に来てから、膝の前十字靭帯損傷でシーズンの大半を棒に振った経験のある伊藤にしてみれば、試合に出続ける村山への畏敬(いけい)の念が自然に表れた当然のリアクションだった。

「いや、1つのチームにずっといるのもすごいですよ」と、来豪後3回クラブを変わった村山は“ワン・クラブ・マン”たる伊藤の業績を素直にたたえる。チーム間の移籍が頻繁でシーズンごとにがらりとチームが入れ替わることも珍しくない豪州で、外国人枠の選手が5季連続で同じクラブに所属するのは紛れもなく偉業だ。

そんな2人が歩んだ軌跡は異なれど、共にそれぞれ7年と5年という長きにわたって入れ替わりの激しいリーグで身を削ってきた。長く戦い続けられる秘訣を聞くと、その最たるものとして2人が一致して答えたのは少々意外な内容だった。それは、どうオージー・スタイルに合わせるか、言うなれば「“豪”にいれば“豪”に従え」という部分だと伊藤が語る。

「良い表現なのか分からないけど、『緩さ』ですね。自分にとって、プレーにしても生活面にしても、これがすごく大事。最初のうちは『オージーってこんなに緩いんだ』って、きっちりとした日本との余りの違いに『こんなんでいいんかい』って毎日のように考えてたけど、そんな彼らの緩さにも良いことがあることに気付いた。人間関係とかコミュニケーション面で、日本みたいに始終きっちりし過ぎてたら、チーム内で浮いちゃって5年もやれていないだろうし(笑)」

すかさず、「豪州のやり方にどこまで合わせるか、逆に自分が大切にしていることをどこまで守ればいいのかという、線引きを探りながらやってきた」という村山も賛意を示す。「そこは、本当に同じ意見です。ルーズさは、オージーの強みでもあります。切り替えの早さなど学ぶところは多いです。例えば、試合に負けた時に日本だったらネガティブになったりしがちですが、こっちは試合が終わった瞬間に忘れている(笑)」。

それぞれのプロフェッショナリズム

セミプロとして、その実績に見合う好待遇を受ける2人。それぞれのクラブでの彼らの存在感の大きさを裏打ちするのは、その言動や立ち振る舞いの全てで発揮する「プロフェッショナリズム」であることは間違いない。

「当たり前のことだけど、自分のパフォーマンスを常に100パーセント発揮し続けること。そして、選手の移り変わりの激しい中で、自分の立ち位置をきちんと把握して、監督や選手との関わり方を常に意識しながら柔軟に自分の特徴を出していくこと」と村山は話す。

大けがを経験した伊藤は、「前十字靭帯と半月板をけがして、トータルで1年近くは試合に出られていないので、体のケアは妥協できない。あとは、拓也君と同じようにやっぱりチーム内の立ち位置ってのは大事。その時々のチームで与えられた役割をきちんと果たしていくこと」と自身の役割を理解している。

NPLから見るAリーグの課題

NPLの上には、豪州サッカーの“最高峰”たるAリーグが存在する。昇降格の無いシステムではあるが、下部リーグの中でも最もヒエラルキーの高いNPLという位置づけから見るAリーグの課題を聞いた。

「サラリー・キャップ(各クラブの総年棒が指定額に収まるように求められるシステム)ですね。僕がいる7年間でも、NPLレベルでも良いスポンサーが付くことで選手の待遇などが良い方向に変わってきた。Aリーグが、サラリー・キャップを撤廃すれば、それと似た状況が発生してより良い選手が集まりレベルも上がるはず」との村山の答え。

伊藤は、それに同調したうえで「もう少し、下部組織の充実とか下部リーグとの人材交流などを行って、良い人材がAリーグのクラブに吸い上げられるようなシステムを整備しないと、若手が育たない」と現況に苦言を呈する。それでも、「豪州サッカーが日本人選手にとって、とても良い環境であることは間違いない」と伊藤は自身のいる環境を否定しない。「だからこそ、AリーグもNPLも、もっと日本での露出があって良い。もっと多くの日本人選手にチャレンジして欲しい。Jリーグで契約満了を迎える選手の海外移籍のオプションとして、NPLも含めた豪州という選択肢がもっと上がってくればいいのだけど、まだまだ過小評価されている」と悔しそうに話す。

また、村山はかつてAリーグを席巻した偉大なる先達を引き合いに出した。「Aリーグでの日本人選手に対する評価のターニング・ポイントとなったのは、やはり伸二(小野伸二、元WSW所属)さん。伸二さん以前は、正直、日本人選手への要求レベルも決して高くはなかった。伸二さんが楽しみながら結果を出したことで、周りの日本人選手に関する感覚も要求も変わってきた」と、豪州の日本人選手に何が望まれるのかを、自らがAリーグ・クラブのトライアルを受けた実体験を交えて語ってくれた。

充実のシーズンに向けて

共にNPLの最前線で体を張り続ける同志だけに、話は育成、セカンド・キャリアなど弾みに弾んだ。都合1時間半にも及んだ対談も終盤に差し掛かったところで、今期の個人目標と自身以外の注目の日本人選手を挙げてもらった。

「個人的には、これまで以上に点に絡む意識を持ちつつ、2年ぶりの完全フル出場を目指したい。チームとしては、現実的にはまずはトップ5。若いチームなので勢いに乗れば、優勝だって充分狙える。だから、その中でどうやって優勝を狙える方向にチームを導くかを考えています。やはり、田代有三(ウーロンゴン・ウルヴズFC)さんがNPLでどんな活躍をするのかは、とても楽しみ。一押しは、チームメイトの梶山知裕(3月号NPL特集掲載)ですね。彼は選手としてのプレーだけでなく、頭もとても良いですし、そのプロ意識は見習うべきものが多くてリスペクトしている。本人には言いませんが(笑)」(村山)

「けがなく全試合に出場して、パフォーマンスでチームの良い結果に貢献すること。注目選手は、強いて1人挙げるのであれば一番Aリーグに近いところにいる大森啓生(ブリスベン・ストライカーズ)。NPLQ(QLD州1部/豪州2部相当)を盛り上げるには日本人選手の頑張りは不可欠なので、彼に限らず、6人のQLD州の日本人選手全員は外国人枠の選手に見合う働きをやっていかなきゃいけないですね」(伊藤)

対談の最後は、お互いのエール交換で締めくくった。

「けがには気を付けて。あとは、やっぱり家庭。僕も今、その部分の支えがあって頑張れているので。拓也君も、パートナーの方の支えを受けながら頑張って」と、伊藤が家族への感謝と共にエールを送ると「そうですね。やっぱり、パートナーの存在が一番大きいですよね」と村山。2人の長い活躍の裏には献身的に支え続けてきた家族や理解者がいる。期せずして、そのことに2人ともが感謝の念を表して、大盛り上がりの対談は大団円となった。

今後、この2人のピッチ上での“邂逅”の可能性はゼロではない。各州王者が集うNPLファイナル・シリーズ、日本の天皇杯にあたるFFA杯では対戦の可能性は残る。ここはひとつサッカーの女神様に、この2人の対戦の実現をお願いしてみるか。そうなれば、日系コミュニティーも大いに盛りあがる。

彼らを含む多くの日本人が、自らとクラブ、そして日本を背負って戦うNPL。ぜひ、お近くのスタジアムでの観戦を強くお勧めしたい。

ダイジェスト版 豪州のサッカー

国内のサッカー・リーグ

オーストラリアのサッカー・リーグは、トップ・リーグである「Aリーグ」を筆頭にその下に各州のNPL、そしてアマチュア・リーグとカテゴリーが続く。Aリーグのみがプロ・リーグで、過去には三浦和良選手や小野伸二選手といった元日本代表選手もAリーグで活躍した。
 NPLを頂点として各州また地域リーグはセミプロ・リーグという位置付けとなっており、2013年からは各州のトップ・リーグとして「ナショナル・プレミア・リーグ(NPL/州1部、豪州2部相当)」がスタート。そして、各州の優勝チームが参加するNPLファイナル・シリーズをノック・アウト方式で戦いNPLのチャンピオンを決定する。しかし、他国のリーグのシステムと違い、AリーグとNPLの間でチームが昇格・降格するという制度にはなっていない。

NPLのシーズンとシステム

セミプロ・リーグという位置付けのNPLは、リーグ戦の期間が3月から9月までの約半年(Aリーグは10月から翌年の4月まで)、リーグ戦を通してNPLの中で、昇格・降格が決定するシステムとなっている。また、シーズン中にはリーグ戦以外にもNSW州の場合、セミプロ、アマチュア・リーグのクラブがトーナメント形式で優勝を競い合う「ワラタ・カップ」があり、ワラタ・カップの上位5クラブ、各州の代表チームとAリーグの全てのクラブが参加しオーストラリアで頂点を競い合う「FFA カップ(日本の天皇杯に相当)」も開催される。


ⓒWollongong Wolves Football Club
ⓒWollongong Wolves Football Club

ウーロンゴンで暴れる元日本代表選手
田代有三を直撃!

Aリーグではなく、NPLに日本から「大物」がやってきた。開幕直前に、ウーロンゴン・ウルヴズが、元日本代表の田代有三を獲得した。既に公式戦デビューを果たし、3試合で2ゴールとその実力をいかんなく発揮。NPLのタイトル奪取と来年以降のAリーグのエクスパンションに向けて本気のウーロンゴンを最前線で引っ張る田代を直撃した。

――到着からひと月半ほど経ちますが、オーストラリア生活はいかがでしょう。

オーストラリアは、本当に良い所ですね。日本で得られない経験をできて満足しています。

――海外志向の目覚めはいつでしたか?

30歳を過ぎて、海外でチャンスがあればと思い始めました。そのころは、米国のメジャー・リーグ・サッカー(MLS)を主な海外移籍先に考えていました。14年のオフには、とにかくチャレンジしたいとMLSのニューイングランド・レボリューションの練習に参加もしました。

――なぜ豪州が選択肢に入ったのでしょう?

米国での経験の後、子どもが3人いるので、暮らしやすさや安全面などを考えた時に英語圏の豪州もありだと考えるようになりました。

――ウーロンゴンとの具体的な話が出たのはいつですか?

確か今年の1月29日、その辺りですね。他のクラブとの話もあり、いろいろと相談している中でウルヴズの話が出てきました。もう移籍期限の終わりがすぐに迫っていましたが、そこからの動きが早くて話を始めて2日もしないうちに正式オファーになりました。まだ他の話も生きていましたが、こういう話がそのタイミングで出てきたのは何かの縁だろうなと思い「お願いします!」とオファーを受けました。そして、2月5日にはもう豪州に来てました(笑)。

――豪州に来て学校にも通っていると聞いています。

そうです。ウーロンゴン大学のUOWカレッジで英語を勉強してます。19、20歳の中に混じって34歳が毎日宿題をしていますが、結構大変です(笑)。

――ウーロンゴンはクラブもファンも本当に田代さんを歓迎しています。

そうですね。多分、来るべくしてこのクラブに来たんだと思います。環境面も家族も本当に満足しています。クラブもすごく協力的で「本当にこんなに良くしてもらっていいのかな」って思うくらいです。後は、クラブからの協力にピッチで結果を出していくしかないですね。

――その「結果」とは、ずばり何でしょうか?

昨季11位のチームをNPLファイナル・シリーズに導きたいですね。個人としては15得点。ストライカーとしての結果はゴールですから15点は決めます。それで日本にいる人たちにも「田代、頑張ってるな」というのを知ってもらえればうれしいです。

近い将来のAリーグ入りを真剣に目指すウーロンゴン・ウルヴス。既にその前線で強烈な存在感を発揮する田代は、第2節(3月19日)の名刺代わりの豪州初ゴールを皮切りに、ホーム開幕戦(第3節)でも得点。NPLに降臨した大物・田代有三の大暴れを見逃せない。

田代有三(たしろゆうぞう)プロフィル◎1982年生まれ、福岡県出身。福岡大学卒業後、2005年にJリーグ・鹿島アントラーズに加入。10年にモンテディオ山形に移籍しリーグ戦で10得点を挙げると、翌年に鹿島に復帰。その後、ヴィッセル神戸、セレッソ大阪を経て、17年にNSW NPL1のウーロンゴン・ウルブスFCに加入。日本代表では3試合に出場。

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