BHP、イラワラでの80年の歴史に幕

同社の地域資産をすべて移転

 BHPがイラワラ地域ウロンゴン市の南、ポート・ケンブラに製鉄所を開いた1935年以来、溶鉱炉の燃料としてイラワラ・エスカープメントと呼ばれる断崖傾斜地に炭鉱を開発するなどイラワラ地域の発展はBHPの事業展開に負うところが大きかった。しかし、すでに同地の製鉄所を手放していたBHPは最終的に残っていた地域資産をすべて別会社に移転し、同地域でのBHPの80年の歴史に幕を閉じた。

 ABC放送(電子版)が伝えた。

 1935年、同社はオーストラリアン・アイアン・アンド・スチールの名で同地域に製鉄所を設立している。しかし、先週には残っていた資産をサウス32という企業に移転した。これをウロンゴン大学の歴史家、グレン・ミッチェル博士は、「今回の成り行きは驚くほどのことではない。1970年代から大企業は変化を経験しており、それに対応を迫られてきていた。オーストラリが現在経験している変化は、かつてイギリスが経験し、炭鉱がほとんど姿を消してしまった歴史をそのまま映し出しているのではないか。オーストラリアでも早晩、炭鉱が姿を消していくことだろう」と分析している。

 BHPスティールが新会社ブルースコープ・スチールと名前を変えた時、2基の高炉のうち1基が閉鎖された。また、イラワラ地域の炭鉱も順次閉鎖されてきた。その度に失業者が大勢あふれた。特に2011年にブルースコープが生産量を半減し、鉄鋼輸出を減らすことを決定した時には1000人を超える失業者を出した。2001年から2012年までオーストラリア労働者組合のポート・ケンブラ支部書記長を務めたアンディ・ガレスピー氏は、「地域を発展させたのはBHPだ。また、工場にはイタリア人、ドイツ人、ギリシア人など幅広い国からの移民が吸収されてきた。そのすべての人々が現在のイラワラ地域を作ってきた」と語っている。
■ソース
BHP cuts ties with former heartland in the Illawarra, ending their 80-year connection

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