1973年のウィスキー・オウ・ゴー・ゴー放火事件調査に

1974年のマカルキン母娘殺害事件との関連も

 1973年3月8日未明、QLD州ブリスベン市のフォーティチュード・バレーにあったナイト・クラブ、ウィスキー・オウ・ゴー・ゴーに火炎瓶が投げ込まれ、火災で客ら15人が死亡した事件は、当時最大の大量殺人事件だった。QLD州政府の法務長官がこの事件の再捜査を指示したことが伝えられている。

ABC放送(電子版)が伝えた。

 この事件の裁判ではジョン・アンドリュー・スチュアートとジェームズ・フィンチの2人が起訴され、有罪判決を受けている。

 しかし、昨日、マカルキン母娘3人殺害事件で終身刑を言い渡されたビンセント・オデンプシーとギャリー・デュボアの裁判では、被害者のバーバラ・マカルキンさんの元夫で、オデンプシーやデュボアも顔見知りだったギャング・メンバーのビリー・マカルキンの証言で、2人がウィスキー・オウ・ゴー・ゴー放火事件に関わっており、また、ピーター・アップルガース判事は、バーバラさんがそのことを知っていたため、口封じのために殺害を思い立ったとしている。

 QLD州政府のイベット・ダース法務長官は州検視官に宛て、この放火事件の検視法廷審理を開くよう指示、「最近の展開を考えれば、これまで証言を渋っていた証人も、新しい証言をする気になっていることが考えられる。マカルキン母娘殺害事件裁判の判決が出るのを待っていた。裁判の判決が出た以上、放火事件の検視法廷審理を指示することができる」と語っている。

 タウンズビルを訪れていたアナスタシア・パラシェQLD州首相は、「放火事件の検視法廷審理で事件の全容が少しは明らかになればいい。15人が犠牲になった放火事件は州民の多くが記憶に焼き付いていると思う。また、事件の全容が明らかになるまでこの事件を忘れることができない人も多いと思う」と語っている。
■ソース
Whiskey Au Go Go fire: AG orders inquest into 1973 night club firebombing

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