元労働党政治家トム・ユレーン死去

日本に抑留、戦後平和運動に献身

 この記事は国内報道の要約であり、日豪プレスの方針、意見と解釈されるものではない。

 1月26日、元ボクサーでゴフ・ウイトラム労働党政権時代に大臣も務めた元政治家、トム・ユレーン氏が死去した。93歳。
 ユレーン氏は政界引退後はアンザック・デーには一度も出ず、平和運動に献身してきたが、その動機は戦争体験にある。氏は戦争中に日本軍の捕虜になり、日本軍の残虐行為を体験して、「日本人を絶滅した方がいい」と考えるようになったが、日本に送られて佐賀関の銅精錬所や大牟田で強制労働に従事する間に一緒に働く日本国民が乏しい食べ物を分け合い、助け合う姿を見て、「日本人が悪いのではない。戦争を引き起こした軍部が悪い」と考えるようになった。1945年8月9日には大牟田から西の空が異様な色に輝くのを目撃している。また、1970年代、シドニー地区の再開発が盛んだった時期には住民の反対運動を支持する建設労組の工事作業拒否のいわゆる「グリーン・バン」にも協力するなど環境運動にも関わってきた。

 ユレーン氏は、タニア・プリバセクやアンソニー・アルバネージらシドニー首都圏の労働党左派政治家にも強い影響を与えてきた。プリバセク氏は、「トム・ユレーンは、私の世代の労働党党員にとって偉大な指導者、長老政治家、寛容で慈愛に満ちた教師であり、友人であった」と述べている。

 ユレーン氏は核兵器に反対し、1962年8月には労働党政治家としてベトナム戦争にも反対した。平和運動と同時に復員兵の福利にも献身的活動を続けてきた。労働党政権下で元捕虜体験者への特別給付が決まった時にはジュリア・ギラード首相(当時)がユレーン氏の自宅を訪ねて報告したというエピソードもある。

 ユレーン氏はマーチン・ルーサー・キング師の言葉をしばしば引用し、「憎しみは人間性をゆがめ、魂に傷を残す。憎しみは憎まれる者よりも憎む者を深く傷つける」と語った。
■ソース
Tom Uren: a champion of Labor and the Left

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