アシックス 第2回 オニツカ・タイガー編

ニッポンの競創力

飽くなき努力と探求心で優れた製品・サービスを創出する
日本企業をクローズアップ

アシックス
第2回 オニツカ・タイガー編

“COOL JAPAN”なレトロ・スニーカー
創業ブランド復活、海外のストリートで人気

主要マラソン競技大会でトップ・シェアを誇るなど世界のアスリートから絶大な支持を集めるアシックスですが、海外のストリート・シーンでも同社のスニーカー・ブランド「オニツカ・タイガー(Onitsuka Tiger)」がたいへんな人気を博していることはご存知でしょうか ? 1960〜70年代のレトロな競技用シューズを現代によみがえらせ、世界で人気の「クール・ジャパン(Cool Japan)」系アイテムとして成功を収めているのです。

ブルース・リーが履いた伝説の靴

鬼才クエンティン・タランティーノ監督が手がけたアクション映画『キル・ビル(Kill Bill)』(2003年)。日本を舞台に、刀で派手な殺陣を演じるユマ・サーマンが、黄色いオニツカ・タイガーのスニーカーを履いていたというのは有名なエピソードです。ヤクザやカンフー映画のオマージュを好む同監督が、この作品でもかつてブルース・リーが劇中で履いたのと全く同じ黄色いオニツカを使用し、話題になったのです。

これはアシックスが宣伝のために持ちかけた話ではなく、監督が自らリーに敬意を表して使ったそう。期せずして、オニツカはクール・ジャパンの象徴的ブランドとして世界に認められることになりました。

このオニツカ・ブランドのルーツは、今から60年以上前にさかのぼります。戦後間もない1949年、日本再興を強く願った鬼塚喜八郎(1918〜2007年)は、スポーツによる健全な青少年の育成を目的にスポーツ・シューズの製造販売を手がける前身「鬼塚商会」を創業します。56年のメルボルン五輪では、日本選手団用のトレーニング・シューズに採用され、64年東京五輪ではオニツカを履いた多くの選手がメダルを獲得しました。

66年には現在のアシックスのシューズに受け継がれている4本ラインのストライプを初めて採用。68年メキシコ五輪のシューズは、レトロな雰囲気が漂う現オニツカの主力商品「メキシコ66」の原型となりました。

自身も「大のオニツカ・ファン」という池田社長。手にしているのは、約1年前の日本から赴任した当時に、「HYPE DC」から贈られた“手書き”デザインが施されたメキシコ66。ハーバー・ブリッジや豪州国旗とともに、しっかりとした漢字で“池田新”の名がデザインされている「一生の宝物」

日本生まれのヨーロッパ育ち

ところが、77年にはオニツカなど3社が合併して現アシックスを設立、ブランド名も「アシックス」と改名し、事業の源流である「オニツカ」の名は消滅して長らく封印されることになります。

90年代後半になってストリート・ファッションの世界でレトロ・スニーカーが大流行。アシックスが60年代後期〜70年代のオニツカの競技用シューズを、ストリート向けのレトロ・スニーカーとして2001年にリバイバルさせるまで、実に20年以上の年月が経っていました。

アシックス・オセアニアの池田新あらた・取締役社長はこう指摘します。「このころは米国を中心にヒップホップ全盛で、ダボダボのパンツに大柄なバスケット・ボール・シューズを履くスタイルが主流でした。でも、オニツカは敢えてスリムなシルエットにこだわって、日本発の洗練されたイメージで勝負しました。それが功を奏してヨーロッパで人気に火が付いたのです」『キル・ビル』での露出に続き、04年アテネ五輪では英国の小型車「ミニ」とのコラボでプロモーションを実施。ミニと顧客層が重なる20歳台後半〜30歳台前半の流行に敏感な層に訴求しました。こうして「日本で生まれてヨーロッパで育った」(池田社長)伝統のブランドは、活躍の場を競技場からストリートに移して完全復活を果たしたのです。

方向異なるブランドがシナジー生む

オーストラリアでも世界共通のキャッチコピー「Made of Japan(日本が形になった)」の下、オニツカは、日本の伝統文化やポップカルチャー、繊細なモノ作り精神などを連想させる広告展開を推進、成功を収めました。

販路はシューズ専門店「ハイプ・ディー・シー(HYPE DC)」や「グルー(Glue)」「プラタパス(Platypus)」など、都市部の小規模な店舗が中心です。特にオニツカが販売の大きな部分を占めるハイプは、シドニー北部に1店しかなかった地場の小売店でしたが、オニツカの成長とともに店舗網を拡大しました。

映画『キル・ビル』では主演のユマ・サーマンがブルース・リーと全く同じ黄色いトラック・スーツで登場。足にはオニツカ・タイガーの「TAI-CHI」が光る

ただ、競技用が主力でスポーツ専門店向けのアシックスとは販路をハッキリと差別化しています。オニツカは販売拡大を追及するのではなく、プレステージ性の高いニッチな需要に特化して「成長を制御しながら市場の『飢え』を誘う方針」(池田社長)なのです。

現在の主力商品では、ベスト・セラーの「メキシコ66」のほか、ジョギング・ブームの7 0 年代後半に発売した「カリフォルニア78」や、80年代初頭のランニング・シューズ「アルティメット81」などの復刻版が人気。また、タコの吸盤にヒントを得て制動力を高めたバスケット・ボール・シューズ「クーリッジ(Coolidge)」(詳しくは下の「トリビア」をご覧ください)、日本の足袋をモチーフにした「オカタビ(Okatabi)」(左の写真)、など、オニツカ・ブランドの中でもさらに販売店を絞ったユニークなシリーズも投入し、コアなファンに支持を得ています。

オニツカでは特に成長性の高いアパレルにも注力。シューズだけではなくストリート・ファッションの総合ブランドに育てる計画です。同時に「ブランドの鮮度を維持するために」顧客をアッと驚かせるイベントを常に仕掛けていくのだそうです。

モードの世界では世界的に有名な日本人デザイナーは数多くいます。しかし、カジュアルなストリート・ファッションのシーンでは、グローバルに認知されている日本ブランドはそれほど多くありません。「カッコいいニッポン」を海外に伝えるオニツカ・タイガー。日本人としてはついつい応援したくなってしまいますね。

創業当時の鬼塚喜八郎氏

発想は夕食のタコの酢の物から
吸着力抜群のバスケ・シューズ

バスケット・ボール・シューズ「クーリッジ(Coolidge)」のソールには、鬼塚喜八郎の豊かな発想がそのまま継承されています。

1950年にバスケット・ボール・シューズ第1号を発売した鬼塚は、さらに制動性の高める技術はないかと模索していました。そんなある日、夕食に出たタコの酢の物を見て「これだ!」と閃きました。そして、タコの吸盤のようにソールのくぼみを深くすることで、ストップ性、スタート性を高めた「吸着盤型バスケット・ボール・シューズ」を開発したのでした。

ところが、第1号は制動性が高すぎてケガ人が続出したというエピソードも残っています。半年後には改良を加えた新型を発売、メルボルン五輪では日本の男子チームに正式採用され、日本中で大ヒットしました。

国内唯一、ボンダイの旗艦店

西洋カルチャーから独自に進化した「ジャパニーズ・カジュアル」は今やニューヨークなどファッション先端都市でも注目されています。

オニツカ・タイガーはその代表的ブランド。もっとよく知るには、シドニー市内東部ボンダイ・ジャンクションにあるオーストラリア国内唯一のオニツカ・タイガー専門店に足を伸ばしてみましょう。

ハイプ・ディー・シーなど一般店にはないカラー・バリエーションのシューズだけではなく、オーストラリアのカジュアル・ウエアには見られない、現代日本テイストのスポーツ・ウエアやバッグなどのアクセサリーを豊富にそろえています。

Onitsuka Tiger Store
Shop No.3025, 500 Oxford St.
Westfield Shoppingtown
Bondi Junction
Tel: (02)9389-8488

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る