オーストラリアで今を生きる人 佐々昌二さん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

Vol.22 佐々昌二さん

コーヒー作りの魅力は客が楽しんでくれること

英語を習得するため約14年前にワーキング・ホリデー・ビザで来豪した。皿洗いをしていたボンダイ・ビーチ(シドニー東部)のカフェで、初めてコーヒー作りの魅力に目覚めた。おいしいコーヒーで有名な地元のカフェでコーヒー・メーカーとして修行を積み、12年には地元紙「シドニー・モーニング・ヘラルド」が発行するガイドブック「グッド・カフェ・ガイド」で「シドニーのベスト・バリスタ」に選ばれた。14年末には自分の店「アーティフィサー・スペシャルティー・コーヒー・バー&ロースタリー」(Artificer Specialty Coffee Bar & Roastery)をオープンし、舌の肥えたコーヒー・フリークをうならせている。(聞き手:守屋太郎)

――昔は特にコーヒーにこだわりがなかったそうですね。

日本では、いつも自動販売機やコンビニの缶コーヒーを飲んでいました。東京で生まれ育ち、普通に大学を出て、アパレル関係の営業職に就いたのですが、毎日スーツを着るのが嫌だったんですよね(笑)。

スポーツの中でも特にサッカーが好きで、いずれは(日本人選手と海外のクラブとの間の)代理人になりたいと思っていました。そのためには英語の習得は不可欠でしたが、海外経験といっても学生時代に友達とアメリカに旅行したことがある程度でした。

オーストラリアに来たきっかけは、父の友人が住んでいたからです。本気で英語を身に付けたいのなら「行ってみろ」と父が背中を押してくれました。02年にワーキング・ホリデー・ビザを取得してシドニーにやって来ました。

のんびりした街の雰囲気が気に入りました。ビーチも好きなので、すんなり溶け込めましたね。最初の10週間、TAFE(州立職業訓練学校)付属の語学学校の英語コースに通い、できるだけ日本人コミュニティーに入らずに英語環境に身を置くことを心がけました。その後、4カ月間、QLD州でファーム・ステイを体験しました。

シドニーに戻ってきてから、とにかくローカル(地元)の仕事がしたくて、電話をかけまくり、履歴書を何十通も送りました。やっと見つけたのが、ボンダイ・ビーチにある「グスト」(Gusto)というカフェの仕事でした。皿洗いをしたり、簡単なサンドイッチを作ったりしました。

――ワーキング・ホリデーの日本人は口をそろえて「ローカルの仕事がしたい」と言いますが、実現できる人は多くありません。モチベーションを保つことができたのはなぜですか?

シドニーのサリー・ヒルズにある佐々さんのカフェ「アーティフィサー・スペシャルティー・コーヒー・バー&ロースタリー」の店内
シドニーのサリー・ヒルズにある佐々さんのカフェ「アーティフィサー・スペシャルティー・コーヒー・バー&ロースタリー」の店内

父の顔に泥を塗りたくなかったからです。(目的を達成できなかったら)自分自身も恥ずかしいと思いました。雇う側にしてみれば「英語が喋れなくても、皿を洗ってくれればそれでいい」と考えたんでしょう。カフェのオーナーが日本人びいきだったので、ラッキーだった部分もあります。

この店では結局、03年から06年まで約3年間、働きました。途中で学生ビザに切り替え、毎日朝4時半に起きて1時間かけて通勤して、午後は学校に行くというハードな毎日でしたが、仕事は楽しかったですよ。英語力はこの頃に一番上達しました。

最初の2年ほどは、皿洗いをしていました。そのうち人が足りなくなって、ウェイターの仕事に回されました。そんなある日、「コーヒー・マシンを使ってみないか」と言われ、初めてコーヒーを作りました。最初は「なんだこのコーヒーは」と苦情が来ることもありましたが、自分が淹れたコーヒーを喜んでもらえると、素直にうれしかったんです。お客さんの笑顔が励みになりました。

――そこからコーヒー職人の道に足を踏み入れていくわけですね。

「グッド・リビング」(シドニー・モーニング・ヘラルド紙のタウン情報欄)の紙面に、ニュータウン(シドニー市内西部)にある「ケンポス」(Camposs)のカフェが紹介されていました。当時はまだ少なかったスペシャリティー・コーヒーの店(品質にこだわったコーヒー専門店)でした。

当時は「オレの方がうまいコーヒーを淹れられる」と天狗になっていたんですが、行ってみたらとてもおいしくて強烈なショックを受けました。ここで働きたいと思い、飛び込みで履歴書を持っていきました。たまたま空きがあり、試しに仕事させてもらえることになりました。

ところが、コーヒー作りの道にも段階というものがあって、入店当初はグラインダー(コーヒー豆を挽く機械)も触らせてもらえず、ひたすらミルクを泡立てていました。この店がコーヒー・メーカーとしての僕のスタート地点です。

そこで10カ月ほど働いた後、07年にサリー・ヒルズ(シドニー市内南東部)にある「シングル・オリジン」(Single Origin)という店に移りました。コーヒーもおいしかったし、アットホームな雰囲気で働く環境も気に入りました。この店では、「Shoji Sasa」という人間の土台を作らせてもらいました。

下積み時代の佐々さん(左から2人目)
下積み時代の佐々さん(左から2人目)

人の入れ替わりが激しくて、09年にはヘッド・バリスタに就任しました。10年には、サイフォンやフィルターで淹れるコーヒーを主体とした隣のカフェ「サイド・ショー」を任されました。シングル・オリジンに入って5年くらい経った12年に、「グッド・カフェ・ガイド」で「シドニーのベスト・バリスタ」に選んでいただきました。

シングル・オリジンには合計約6年いました。ところが、「この店ではこれ以上習うものはない。ゼロからやりたい」と思うようになってきました。結婚して子どももできて、心の中にぽっかりと穴が空いたようになったんです。

次に転職したのは、シドニーのシティ(市内中心部)にあるメッカ(Mecca)という店です。この店は自社でロースタリー(焙煎所)を運営していて、1年半在籍していた間に焙煎のノウハウを徹底的に習得することができました。メッカの社長にコロンビアに連れていってもらい、コーヒー農園を見学できたのも良い経験になりました。

――自分の店をオープンしたきっかけは?

将来的には自分の店を持ちたいという気持ちはありましたが、ここまで早く実現するとは思っていませんでした。独立したのは34歳の時。一生、誰かの下で働くつもりはなかったので、まだ失敗できるチャンスかなと思いました。

たまたま不動産情報サイトで、サリー・ヒルズの角地に陽当りの良い小ぢんまりとした空き物件を見つけたんです。ビジネス・パートナー(13年に「ベスト・バリスタ」を受賞したダン・イーさん)と一緒に自分たちでインテリアをデザインして、14年のボクシング・デー(12月26日)にオープンにこぎ着けました。

店のコンセプトをひと言で表現すると「シンプル」でしょうか。メニューはコーヒーだけ。それ以外の飲み物や、サンドイッチなどの軽食は一切ありません。コーヒーのデスティネーション(目的地)にしたかったんです。初めは不安もありましたが、食べ物を提供していたら他のカフェとの差別化は難しかったかもしれません。

――オーストラリアに来てからの人生を振り返ってどう思いますか?

がむしゃらに走ってきたので、あっという間でした。以前はコーヒー・マシンを触っているアジア人は少なかったので、珍しがられたのがラッキーだったのかなと思っています。苦労といっても、味見しながら10杯、20杯と飲み過ぎて気持ち悪くなり、吐きながらコーヒーを淹れたことくらいでしょうか。これまでコーヒー作りをやめたいと思ったことはありません。これ以外に、何もできませんから。

コーヒーの品評会で審査員を務める佐々さん(左から2人目)
コーヒーの品評会で審査員を務める佐々さん(左から2人目)

コーヒー作りの一番の魅力は、やっぱりお客さんが楽しんでくれることですね。コーヒーという共通の「言葉」を通して、さまざまな人たちと知り合えたのもうれしいです。日本のコーヒー業界の人たちともつながりができました。

オーストラリア人の(コーヒーに対する)舌は肥えてきています。おいしくなければお客さんはその店に行かなくなるので、店も努力するという好循環が生まれています。小規模な地元のロースタリーができてきているのは、良いことだと思います。

――オーストラリアで頑張っている若い日本人にひと言アドバイスを。

僕たちは外国人なのだから、恥ずかしがることはないと思います。失敗してもいいから、目の前にあるチャンスをつかまないのはもったいない。毎日できることを少しずつ進めれば、やりたいことにつながっていくと思います。大きな夢を見ずに、自分の足元を見て1つひとつやっていけばいい。それが必ず良い経験になるでしょう。

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