チョーボ大臣

政界こぼれ話人物編 その185

チョーボ大臣


自由党のスティーブン・チョーボは、1974年5月29日にQLD州北部の町で誕生している(41歳)。3人兄弟の末っ子である。両親はイタリアからの移民で、ケアンズで観光ビジネスを営んでいた。苦学しながらボンド大学より商学士と法学士の学士号を、またQLD工科大学より法学の修士号を取得している。学生時代には、国内の治安を担当する豪州安保情報庁(ASIO)で働くことを考えていたというが、結局、金融業界のシンク・タンクの調査員や、プライスウォーターハウス・クーパーのコンサルタントなどを務めている。

政治に目覚めたのは学生時代で、大学入学時に自由党に入党。そして1年間自由党上院議員の顧問を務めた後、2001年の連邦下院選挙で政界入りした。選挙区はQLD州ゴールドコースト北部のモンクリーフ選挙区である。その後もチョーボは、04年、07年、10年、そして13年選挙と、連続して5選を果たしている。保守連合が下野した07年選挙直後に、影の小ビジネス相としてプロント・ベンチ入りし、またいくつかの影の閣僚ポストを歴任。ところが09年12月にアボットが野党リーダーに就任すると、しばらくしてチョーボは影の閣僚から更迭されている。理由は、当時からチョーボが、アボットのライバルであったターンブルの「右腕」として有名であったからだ。

13年9月にアボット保守政権が誕生すると、財務担当の政務次官に任命され、14年12月の改造後には外務及び貿易・投資担当政務次官となっている。そして15年9月に「親分」のターンブルが首相の座に就くと、閣外の国際開発・太平洋地域担当相として初入閣を果たした。しかも今年2月の改造では、今期限りで引退することを表明したロブ大臣の後任として、閣内の貿易・投資相に抜擢されている。初入閣からわずか5カ月で閣内相に昇格した背景には、スキャンダル絡みで閣僚を辞任、もしくは更迭されたブラフやロバートがQLD選出であることから、今回の改造人事では、同じくQLD出身のチョーボが優遇されたとの事情があった。

ただチョーボの貿易・投資相就任については、それまでチョーボが政務次官として仕えてきたロブの強い推薦があったとされる。ロブと言えば、韓国、日本、中国とのFTAを成功させた、歴代貿易相の中でも傑出した辣腕政治家である。そのロブが太鼓判を推したことは、チョーボの実力を示すものと言えよう。

思想、信条的には自由党の右派に分類でき、社会政策分野ではかなりの保守である。人柄だが、面倒見の良い性格で、明朗快活かつ話術にも長けていることから、地元でも人気が高い。家族は、妻で広告会社を共同経営するキャリア・ウーマンのアストラと、2人の子どもである。息子は先天性の心臓欠陥を抱えていたことから、6年前に大手術を余儀なくされた。一家はゴールドコーストの白亜の豪邸に住んでいる。

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