ナッシュ大臣

政界こぼれ話人物編 その186

ナッシュ大臣

与党国民党の副党首で地方保健大臣兼地方開発相兼地方通信相のフィオナ・ナッシュは、1965年5月6日にシドニーで誕生している(50歳)。3人姉妹の末子で、母親は開業医であった。私立の名門校を経ていったんはシドニー大学に通学したものの、シドニーはあまりに大きく、人も多過ぎるとして早々に退学し、地方の教員養成学校に転学している。都会生まれのナッシュだが、自分には生まれつき「田舎の遺伝子」が備わっていたと冗談を言っている。

夫のデビッドと結婚し、91年には首都キャンベラから車で2時間ほどのNSW州南西部の町クロウザーに移り、同地で農業を営んでいた。農業だけでは生活は苦しかったという。そこでナッシュは99年に、「出稼ぎ」のような形で単身キャンベラに向かい、国民党の閣僚の下で働いている。ただ、政治家の典型的なキャリア・パスである、政治家の顧問ではなく、首都でのナッシュの初仕事は閣僚オフィスの受付であった。

ところが、これがナッシュには大きな転機となった。すなわち、閣僚スタッフとして頭角を顕したナッシュは、その後、当時のヴェイル国民党副党首兼貿易相の政治顧問や、国民党閣僚のチーフ・オブ・スタッフに抜擢されたのである。しかも、2004年には連邦上院半数改選選挙に国民党から出馬して、見事NSW州選出の同党上院議員に初当選している。07年にはラッド率いる労働党政権が誕生したが、ナッシュは翌08年には野党国民党の上院副リーダーや、野党保守連合の影の政務次官に就任。

そして13年にアボット率いる保守連合政権が誕生すると、閣外の保健補佐相として初入閣を果たした。ただ、閣外相時代のナッシュはかなり大きな政治スキャンダルに巻き込まれている。それは、ナッシュのチーフ・オブ・スタッフが「利害の衝突」疑惑で辞職し、また同問題に絡んでナッシュへの野党譴責(けんせき)動議が可決されたことであった。幸いに同事件も致命傷とはならず、ナッシュは16年2月には国民党の副党首選挙に出馬し、合計6人を破って副党首に選出されている。女性が国民党の副党首となるのはナッシュが初めてで、またその直後に実施されたターンブル保守連合政権の改造で、ナッシュは国民党議員では初の女性閣内相ともなり、現在に至っている。

思想、信条だが、国民党は全体では右派の政党である。その国民党の中では、ナッシュはかなり「穏健派」と言える。人柄だが、政治家、しかも有力政治家には珍しく、ナッシュは派手な立ち回り、目立つ行為などは得意ではなく、実際にメディアに登場することも少ない。ただ、穏やかで庶民的ではあるものの、さすがに国民党の副党首になるだけあって芯は強く、自身の信条にもとるような妥協は決してしないとされる。家族は夫と2人の成人の息子で、ナッシュは家族を極めて大切にしている。

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