キーナン司法大臣

政界こぼれ話人物編 その188

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自由党のマイケル・キーナン司法大臣兼対テロリズム担当首相補佐大臣は、1972年3月19日に西オーストラリア(WA)州の州都パースで誕生している(44歳)。実家は不動産ビジネスを営んでいた。キーナンは勤労少年で、14歳の時には近所の牛乳配達を始めている。その後もレストランや酒場の給仕、さらには不動産のセールス・マンなど、さまざまな職業を経験した。大学はWAにある私立学校のマードック大学とキャンベラのオーストラリア国立大学(ANU)で、両大学では歴史や政治を学んだが、ANUは優等で卒業している。また英国のケンブリッジ大学より、国際関係論で修士号も取得している。

主としてビジネス界に身を置いていたキーナンだが、96年に人生の転機が訪れる。それは、2年間にわたりACT副主席大臣の顧問となったことだ(注:州のステイタスを持たないACTとNTでは、首長は主席大臣と呼称される)。これでキーナンにも政界への足がかりができたと言える。その後、いくつかの職を挟んで、2000年には自由党WA支部の事務局次長に就任。また01年から2年間にわたり、自由党穏健派の重鎮であったヴァーンストーン家族・コミュニティー相の顧問を務め、着実に政界での地歩を築いた。

そして04年10月に実施された連邦下院選挙に、WAのスターリング選挙区から出馬して初当選を果たした。その後、07年、10年、前回13年選挙と、キーナンは連続して4選を達成している。フロント・ベンチ入りしたのは、保守連合政府が下野した直後の07年12月の影の組閣で、キーナンは閣外の影の財務副大臣兼退職年金・企業統治相に抜擢されている。また08年9月には影の雇用・職場関係相、09年12月には影の司法・通関・国境保全相となっている。付言すれば、08年9月の影の組閣人事は、ターンブル野党代表によって決定されたものである。

周知の通り、07年選挙では保守政府施行の労使政策「ワーク・チョイス」が敗因の1つとなったことから、保守連合は労使分野には「トラウマ」を抱いていた。そのため、当時ジュニアの影の閣僚に過ぎなかったキーナンの任命は、ターンブルの労使分野軽視の姿勢と解釈された。

さて13年選挙ではアボット保守政権が誕生したが、キーナンはそのまま閣外の司法相に就任し、また昨年5月には新設された首相補佐対テロ担当相との兼任となった。そして昨年9月に誕生したターンブル首相の下でも続投となり、現在に至っている。テロ問題の重要性に鑑み、兼任人事はアボットやターンブルのキーナンへの評価の高さを物語るものと言えよう。

実際にキーナンは強面でも、派手なパフォーマンスができるわけでもないが、沈着冷静で腰が据わっており、治安絡みの所掌には打ってつけの人物と言える。自由党内では穏健派に分類できる。家族は妻のジョージナと3人の子どもである。

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