ハンソン党首

政界こぼれ話人物編 その190

ハンソン党首


ワン・ネーション党(ON)のポーリン・ハンソン党首は、1954年5月27日にQLD州の州都ブリスベンで誕生(62歳)。実家はフィッシュ&チップス店を営んでいた。義務教育だけを修了し店を手伝っていたが、妊娠したことから16歳で結婚している(注:ハンソンには2度の離婚歴あり)。1年ほど地元イプスウィッチの市会議員を務めた経験があるものの、連邦議員に当選するまではやはりフィッシュ&チップス店を営んでいた。

95年に自由党に入党し、その直後にQLDのオックスレー連邦選挙区での党内予備選挙に勝利している。政治については素人同然で、しかも党活動の経験もないハンソンが、大政党の自由党の公認候補に選ばれたのも、同選挙区では労働党の勝利が確実視されていたからに他ならない。ところが、ハワード保守連合政権が大勝利を収めた96年3月の連邦選挙では、ハンソンは選挙キャンペーン中に先住民/アボリジニー批判を行って公認を取り消されたものの、無所属で出馬して見事当選を果たしている(注:公認取り消しが遅かったため、投票用紙では自由党候補となっていた)。

そして、同年9月に行われた議会での処女演説で、アジア系移民反対、多文化主義反対、アボリジニー優遇策反対、更には国連反対までぶち上げ、一大センセーションを巻き起こしたのである。しかもハンソン演説に対しては、地方の保守層を中心に「よくぞ言ってくれた」との声も多く、これに気を良くしたハンソンは翌97年にON党を設立。このON党は「初陣」であった98年6月のQLD選挙で、いきなり11人を当選させ(注:QLDは定数89の1院制)、連邦政界にも大きなショックを与え、「ハンソン現象」なる言葉も生まれたのである。

ところが、同年10月に実施された連邦選挙では、同党は全国では相当な票を集めたものの、当選上院議員はわずかに1人、また下院では肝心のハンソンが落選して、当選数はゼロという惨澹たる結果に終わっている。その後も内紛、裁判沙汰などで党は分裂し、更にハンソンと共に「トロイカ体制」を担ってきた2大幹部ともけんか別れをして、ついにON党の命運も尽きたと見られていた。ハンソン自身はその後も、州や連邦のいくつかの選挙に出馬したものの、全て落選の憂き目に遭っている。ところが、16年連邦選挙では18年ぶりに政界復帰を果たしたばかりか、ON党は実に4人もの上院議員を当選させている。

ハンソンの人となりであるが、当時の無知蒙昧さは覆うべくもない。だが「良識派」からの批判、誹謗中傷にもめげず、歯に衣着せぬ発言を繰り返してきた、換言すれば、少なくとも「ぶれない」ハンソンに、ある種のカリスマ性があることは否定できない。また最近では、政界で生きる者に必要な抜け目無さも備えてきたように思える。当面の間は、連邦政界でも大いに注目されることとなろう。前夫2人との間に計4人の子どもがいる。

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