スコット・ライアン連邦上院議長

政界こぼれ話人物編 その204

スコット・ライアン連邦上院議長


自由党のスコット・ライアン連邦上院議長は、1973年5月12日にQLD州の州都ブリスベンで誕生している(44歳)。ただ育ったのはVIC州のエッセンドンである。キリスト教系の高校を経て、メルボルン大学人文学部を最優等(注:ファースト・クラス・オナーズ)の成績で卒業。自由党には17歳で入党しているが、ライアンは学業ばかりか、学生政治活動でも活躍し、メルボルン大学自由党クラブの会長を務めた。

卒業後は、同大学政治学科の助手を皮切りに、連邦公務員、ケネットVIC州首相や自由党右派の重鎮のミンチンといった(注:ハワード保守連合政権下で国防大臣等を歴任)、自由党大物政治家のスタッフ、国際的な製薬企業の社員、医療や保険のコンサルタント、そしてシンク・タンクの研究員など、政界入りするまでの10年ほどの間に、数々の職業を経験している。

連邦政界入りは、ラッド率いる労働党政権が誕生した2007年11月の上院選挙である(注:任期の開始は08年7月1日)。10年9月には小ビジネス・公正競争担当の影の政務次官として、野党保守連合のフロントベンチャーとなり、そして13年9月にアボット率いる保守連合政権が誕生すると、閣僚への登竜門である教育担当の政務次官となった。また16年2月に実施されたターンブル第1次保守政権の改造では、閣外の職業訓練・技能担当大臣として初入閣を果たし、更に同年7月の連邦選挙後のターンブル第2次政権の組閣では、閣外の特別国務相に任命されている。

ところが今年の10月に、二重国籍問題でパリー上院議長が辞職するという事件が発生。これを受けて今年の11月13日、ライアンは後任の第25代連邦上院議長に選出され、現在に至っている。

なおライアンは、豪州政治史の中でも最も若い上院議長である。ところで下院議長も上院議長も、閣僚にはなれないベテランの与党政治家、あるいは、閣僚経験者である与党議員の「上がり」のポストであるのが一般的である。その点から、依然として若く、しかも今後閣内相に昇格する可能性も十分にあったライアンの議長就任は、やや異例なことではある。実際に自由党の同僚議員の中にも、同ポストを受け入れたライアンの行動に首を傾げる向きもある。恐らく背景には、ライアンの体調が未だに万全ではなく(注:最近まで病気療養をしていた)、また激務の閣僚ポストには家族の反対もあること、そして、新上院議長には自由党ばかりか国民党からも自薦者がいて、然るべき政治家を充てなければ、不本意な人物が就任する恐れがあった、などの事情があるとされる。

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