オドワイアー政務次官

 

政界こぼれ話人物編 その174

オドワイアー政務次官


自由党のケリー・オドワイアー財務担当政務次官は、1977年3月31日にVIC州のボックス・ヒルで誕生している(38歳)。長老教会系の名門女子高を経て、メルボルン大学に進学。同大学より優等で法学と人文科学の学士号を取得している。卒業後は大手法律事務所のフリーヒルズに就職し、企業買収や合併など、会社法を専門とする事務弁護士として活躍した。ただ大学生時代の95年に自由党に入党したことからも窺えるように、オドワイアーは早くから政治の世界に関心を抱いてきた。そのため04年には弁護士を辞めて、ハワード保守連合政権の閣僚の経済政策担当顧問、その後上席顧問となっている。

オドワイアーの「ボス」であったのが、ハワード後継の最右翼と目されていた大物のコステロ財務大臣である。法律事務所での専門を活かし、オドワイアーはコステロの顧問として、経済全般はもちろんのこと、会社法、競争促進法、証券法関連問題、さらに外国資本投資や金融サービス分野の問題などを担当してきた。

政治家となった現在も、以上のような分野では自由党内でも屈指の実力者と言える。07年11月の連邦選挙では、実に11年8カ月に及んだハワード保守政権にも終止符が打たれたが、ケリーも政界から離れて、ナショナル・オーストラリア銀行の幹部となっている。

さて09年6月に、コステロが政界からの引退を表明。その結果、同年の12月5日に、メルボルンにあるコステロの選挙区のヒギンズで補欠選挙が実施されることとなり、早速自由党は党公認候補を選ぶ党内予備選挙を実施している。このヒギンズは伝統的な自由党の地盤選挙区で、しかも名門とされる選挙区である。そのため予備選挙には数多くの逸材が出馬したが、コステロの押しもあって、オドワイアーが選出されている。本選挙では労働党候補が出馬しなかったことから、オドワイアーの当選は確実視されていたが、ただ当時の野党自由党は「お家騒動」の真っ只中にあった(注:12月1日の自由党党首選挙で、アボットがターンブルに挑戦して勝利)。

ところが、本選挙でオドワイアーは楽々と勝利を収めている。13年9月にはアボット保守連合政権が誕生したものの、オドワイアーは陣笠議員のままであった。実力者だけに不満も高じていたであろうが、議会委員会や国民への啓蒙活動などで大いに活躍し、これが認められて、昨年12月に実施されたアボット政権の初の改造では、閣僚への登竜門とされる政務次官に、しかも重要な財務担当の政務次官に任命されて、現在に至っている。自由党の右派に分類でき、経済分野では硬派の経済合理主義者である。何と言っても弁が立ち、人当たりも良いため、政府のメッセージを発信する、あるいは政策を売り込む人物としては最適と言える。夫のジョンはUBS銀行に勤めている。趣味はスロー・ペースのジョギングである。

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