マーベラス・メルボルン「孤児の増加」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第34回 孤児の増加

セントビンセント・デポール男子孤児院
セントビンセント・デポール男子孤児院

1851年のゴールド・ラッシュを機に、メルボルンの人口は数年で激増した。同時に病院や医師の数が少なく医薬品も限られたため、重い病気では死ぬ確率が非常に高かった。医者や医薬品は富裕層しか対象にならず、両親共に亡くなるなどで孤児が増加した。急増する移民や孤児への植民地政府の対策はほとんどなく、宗教団体による孤児院が幾つも設立された。

カトリック教会により57年にサウス・メルボルンで設立されたセントビンセント孤児院は、オーストラリア初の本格的なカトリック孤児院であった。大司教は、植民地政府当局に孤児院の土地を請願、同地のエメラルド・ヒルに2,000坪の土地が貸与され、600ポンドが建設資金として付与された。58年には60人の男子と女子の孤児が入居。だが十分なスペースがなく男子寮と女子寮を分離できなかった。61年に英国王室の基金によりシスターズ・オブ・マーシー女子修道会が女子孤児院を建設。メルボルンの教会建築の大御所ウィリアム・ワーデルが設計し、質素で温厚なゴシック様式により神父館、教室、寄宿舎、保健診察室が建てられた。

セントビンセント・デポール女子孤児院
セントビンセント・デポール女子孤児院
グッド・シェパード修道女教会
グッド・シェパード修道女教会
ノース・ウェスト孤児院兼病院
ノース・ウェスト孤児院兼病院

63年にフランスのグッド・シェパード修道女教会からやって来た4人の修道女がアボッツフォードに2万坪の広大な敷地を購入、収容人員1,000人のオーストラリア最大の修道会を設立した。彼女たちは、恵まれない女性や子どもの宿泊施設、学校、病院、そして道徳上問題がある少女のための施設を提供した。

1860年代の孤児たちの日常だが、午前6時に起床し祈りと院内の清掃作業、7時半から朝食、9時半から午後4時まで学校の授業が行われた。授業に加え、学校の補修作業や庭の手入れなどの作業も行われた。年長の子どもは、幼い子どもの世話なども行った。少女たちは洗濯作業や他の仕事を長時間行ったが、当時は冬期でも暖房はなく賃金もなかった。

軍事教練や音楽教育も導入され、特にセントビンセント孤児院の音楽バンドは1900年代初めには、すばらしい演奏によりメルボルンで有名になった。

宿泊寮は込み合っていて、ベッドは2列に並べられ、一方の端に小さな窓があり、隣接する部屋から舎監が監視していた。両世界大戦時や不況時には孤児院の孤児数は増加し220人から240人の少年で常に満杯の状態となった。孤児院の規律は厳しく、規律違反すると校庭に設けられた拘置所に入れられた。グリーン・ルームと呼ばれる処罰部屋もあった。カトリック教会の孤児院は、外界からは孤立した世界で、全てを独自で賄っていた。洗濯場、厨房、診療所、学校、寮などがあり、子ども時代を孤児院で過ごす子どもに厳格な教育を施した。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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