AUSメディア・ウォッチ「笑われる政治家たち」

オーストラリア・メディア・ウォッチ

オーストラリアの新聞をはじめ、テレビ、ラジオ、映画、書籍などのメディアで今話題のもの、または面白い記事やエピソードを毎月1つ取り上げ、そこから見えるオーストラリア社会を在豪日本人の視点で紹介する。

第10回:笑われる政治家たち

3年ぶりの総選挙が行われる。政界はもとより周囲もすっかり選挙モードだ。義務投票制を採用しているオーストラリアでは、投票に行く人の割合は常に9割を超える。毎回投票率の低さが話題になる日本とは選挙に対する姿勢も異なるように思う。

メディアでも選挙の話題が幅広く取り上げられている。その範囲は堅い報道番組にとどまらず、コメディー番組やソーシャル・メディアにまで及ぶ。

叩かれて当たり前

オーストラリアには政治や時事問題を扱った社会風刺的なコメディーが多い。イギリスのユーモアを受け継いでいるのだろう。それに加え、上に立つ権力を皮肉るようなところにオーストラリア独特の反権力意識も垣間見られる。

最近のニュース系コメディー番組では、ABCの『マッド・アズ・ヘル』、『ザ・チェーサー』、『ザ・ウィークリー』、またコメディー・タッチの時事番組ではネットワーク・テンの『ザ・プロジェクト』やSBSの『ザ・フィード』などがある。このような番組では、選挙が近づくと政治家叩きが激しい。なかには、よくここまで許されるなと思うようなものもある。

6月に新シリーズが始まった『ザ・チェーサー』の初回エピソードでは、マルコム・ターンブル首相の目の前で番組のコメディアンがいきなり身を投じて倒れこんだ。選挙活動で「信頼」という言葉を繰り返す首相が体を支えてくれるかどうかで、本当に信頼できるかを試そうという皮肉だ。これが安倍晋三首相であったら許されるかどうか疑問だが、ターンブル首相は苦笑しながら通り過ぎて行った。

ソーシャル・メディアも容赦がない。ここ数カ月間、ピーター・ダットン移民大臣に似たジャガイモの写真が事あるごとに登場している。5月にダットン大臣が「読み書きもできない難民がオーストラリアの職を奪う」と問題発言をした時にも、大臣とジャガイモの写真を並べて批判する投稿が多く出回った。

移民大臣に似たジャガイモの写真がSNSで拡散。オーストラリアは政治家に厳しい(写真はSBSのウェブサイトから引用)
移民大臣に似たジャガイモの写真がSNSで拡散。オーストラリアは政治家に厳しい(写真はSBSのウェブサイトから引用)

政治家と野菜という組み合わせでは、バーナビー・ジョイス副首相とトマトに関する話題もあった。発端は、犬を違法で国内に持ち込んだ米俳優のジョニー・デップ氏に、ジョイス副首相がビデオで謝罪をさせた問題だ。そのことに関連して5月にデップ氏が、「(ジョイス副首相は)トマトとの近親交配種みたいだ」と発言。その話題はトマトのように真っ赤な顔をした副首相の写真と共に拡散した。

騒動に対し副首相は、「私はデップ氏のことはすっかり忘れていたのに、彼は覚えていてくれた。私のことを宣伝し続けてくれ、ジョニー」と切り返した。

叩かれたり笑われたりが当たり前のオーストラリアの政治家は慣れたものである。

報道の自由度

日本では皮肉による政治家批判はあまり見られない。「偉い」政治家を笑いのネタにしてはいけないような雰囲気もある。ユーモアのセンスの違いもあるが、最近では安倍政権下での報道の自由の問題も指摘されている。

国際NGO「国境なき記者団」が4月に発表した2016年の報道の自由度ランキングによると、対象となる180カ国・地域のうち日本は72位。10年の11位から大きく順位を下げた。オーストラリアは25位だった。

最近では日本の報道において同調圧力が強まっていることも問題視されている。今年は、テレビ朝日『報道ステーション』の古舘伊知郎氏をはじめ、比較的リベラルな発言をしてきたキャスター3人が相次いで交代した。古舘氏自身は同番組最終回で、「このごろは報道番組に、開けっ広げに発言できない空気がある」と述べている。

これに関連して2月に高市早苗総務相は、放送局が公平性に欠く放送を繰り返した場合に電波停止を命じる可能性について言及。政府による言論統制ともいえるコメントに反発の声も多く聞かれた。

オーストラリアの健全性

オーストラリアも報道の自由に問題がないわけではない。記憶に新しいのは、前アボット政権の公共放送ABCへの介入である。昨年6月、政治家などのパネルが国民からの質問に答える形のトーク番組『Q&A』で、同局が元テロ容疑者を出演させたことが問題になった。トニー・アボット前首相は閣僚の同番組出演を禁止。さらには番組を局内の「テレビ部門」から内容規制の強い「ニュース部門」に移動させることを要求し、ABCもそれに応じた。

アボット前首相はABCに対し「一体どっちの味方なんだ」とも発言し、公共放送が政府と見解を合わせなければならないかのような圧力をかけた。公共放送の独立性が問われたのは言うまでもない。

どこの国でも、微妙なバランスの上に報道の自由が成り立っており、問題が発生することもある。しかし問題提起がなされ、議論になるだけまだ良いのだろう。

総選挙を控えた首相にコメディアンが体当たりし、選挙宣伝文句の信憑性を試すという皮肉が通じるオーストラリア。報道の自由があり、健全な民主主義の下に選挙が行なわれていることは間違いなさそうだ。


クレイトン川崎舎裕子
Hiroko Kawasakiya Clayton
◎米系通信社の東京特派員(経済・日銀担当記者)を経て、2001年よりオーストラリア在住。クイーンズランド大学院にてジャーナリズム修士号を取得後、03年からライター。キャンベラを拠点に社会事情などについての記事を雑誌や新聞に執筆する
Web: twitter.com/HirokoKClayton

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る