【現代アート塾】コンセプチュアル・アートって何ですか?

現代アート塾

関心はあるものの、実はまったく理解できない! いったいどこから勉強していいのか分からない! そんな読者の心の声に答えるべく登場したこのコラム。奥深い現代アートの世界に対する素朴な疑問に、著者がずばり回答。優しく解説してくれます。これを読めば、芸術の世界がぐっと身近に感じられるはず。

第10回

“コンセプチュアル・アートって何ですか?”

Joseph Kosuth” One and Three chairs”(1965)
Joseph Kosuth” One and Three chairs”(1965)

[編集部注:コンセプチュアル・アートとは、一般的には、1960年代以降の現代芸術の潮流の一つで、作品の外的特徴よりもそれに込められた観念や思想を重視するもの、とされている]

おそらくすべての現代美術は、何らかの意味でコンセプチュアル・アートであると思います。というのは、すべての20世紀以降の現代美術はマルセル・デュシャンの後衛といえるからです。デュシャンという人と作品、特に、既存のものをそのまま、あるいは少しだけ手を加えて作品とする、彼の「レディ・メイド」という手法は、このコーナーでも何度も取り上げました。それだけ現代美術を論じる時に避けて通れない作家なのです。

デュシャンは、実作品を作らずチェスにふけっていたというのが専らの噂でしたが、実際はせっせと作品を作っていました。それは最後の“のぞき穴”の作品(「エタン・ドネ Étant donnés」)になり、また、友人用にレディ・メイドのミニチュアの作品群になっていました。このことはさておき、彼は1から作品を作って発表しないのにどうしてアーティストに収まっていられたのでしょう?金持ちの女性運に恵まれていたというのが1つの理由ですが、彼自身は決して裕福ではありませんでした(少なくともその素振りは見せていませんでした)。

日本でコンセプチュアル・アートの騎手というと荒川修作です。実は彼はニューヨークに行く前にデュシャンに手紙を書いています。美術評論家の滝口修造の紹介があったようですが、大胆にもデュシャンに電話してワシントン・スクエアまで迎えに来てもらったそうです。そして渡米当時、荒川の世話をしていたのが小野洋子(オノ・ヨーコ)でした。彼は自分のアトリエを持つまでは彼女のアトリエに居候していたのです。荒川の初期の作品に「死なないための葬送」というオブジェの作品がありますが、これらを含め、彼は自分の作品をほとんどニューヨークに持って行きませんでした。新参者の自分の作品が有名なニューヨークの画廊で売れるわけはないと思っていたのでしょう。

ところが大変なことが起こります。デュシャンが「日本からいいコンセプチュアル・アーティストが来る」と、画廊主たちに声をかけていたのです。画廊主が荒川を訪ねて売れる作品を何でもいいから売ってくれと押しかけたのです。そこで荒川はアトリエを逃げ出したのですが、その時近所の州立図書館の近くのゴミ箱で、ビルの設計図の青写真がまとめて捨ててあるのを見つけます。なんと大胆にも、彼はそれにサインをし自身の作品として売ったのです。それだけで数年は遊んで暮らせるくらいの額だったそうです。虎の威を借る狐とはこのことです。そして実は、コンセプチュアル・アートの真骨頂はここにあるとも言えるのです。

なぜ、自身が苦労して作り上げたものではなくサインしただけのものが作品となってしまうのか。そこにはデュシャンの系譜があります。

デュシャンの作品群には、モナ・リザにひげを付けただけのもの、額屋の見本絵に赤い点を打っただけのもの、歯医者への支払いのために自分で詳細に手書きで作ったサイン入りの小切手などがあります。他人様のオリジナルにちょっと手を加えて自作にしてしまう。しかも、それらはたぶんオリジナルの作品よりも高価。「手を加えられたオリジナル」があれば一大財産です。

もちろん、作品になるには“Marcel Duchamp”という名前が必要です。デュシャンは将来の自分の作品の値打ちを見越して、いったん治療費として渡した歯科医への小切手を、高い金を出して買い戻しています。この、自作を買い戻すことも、彼のコンセプチュアル・アートの一環だったのです。つまり彼は、作品がお札と同じ役割をすることを身をもって示したのです。彼は、印象派の絵はお札と一緒だと言っています。彼は反キャピタリズムでありながらキャピタリズムの枠組の中で作品制作をし、皮肉にもその作品群はちょっとした資本家にも手の届かないほどの値段になってしまいました。

コンセプチュアル・アートの特徴にまた、オーダー・アートというのがあります。アーティストは設計図だけを書いて、後は他人の手を借りて制作するというものです。このオーダー・アートはジェフ・クーンズなどのポップ・アートやドナルド・ジャッドなどのミニマル・アートと結び付いていきます。

もう1つの系譜は、ジョセフ・コスースのように哲学的引用句や辞書的定義をそのまま提示し、「作品」という成り立ちのコンセプトそのものを作品として提示してしまうものです。最近のコンセプチャル・アートというとコスース系列のものを指すようです。

コスース系列のオージーの作家にイアン・バーンがいます。彼はちょうどコスースが出始めた頃ニューヨークに在住し、辞書の定義や存在論的な問いかけを作品で示していました。

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<著者プロフィル>
登崎榮一(Ph.D)◎メルボルン大学美術史/哲学学部博士課程修了、モナーシュ大学 アート&デザイン学部博士課程所属。現在は、メルボルン大学哲学科名誉フェローまたアーティストとして活躍するほか、ディーキン・RMIT大学(藝術の哲学)でも講師を務める。Web: bimanualdrawing.wordpress.com

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