孫の結婚式のあと

極楽とんぼの雑記帳エッセイ185
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子
孫の結婚式のあと
 去る11月31日、長男Billの長女Jenniferの結婚式がブリスベンで挙げられた。被爆者の証言、地球1周クルーズ中の妹と、留守番役を引き受けた甥を除く我々血縁、子ども3人、孫7人、曾孫1人、計12人が一堂に勢ぞろいした。初めてのことである。特別の誕生日、我が子3人の50歳、孫の21歳(7人目は来年2月)、私の80歳、いずれの時も誰かが欠けていたからこの度の顔触れは嬉しかった。夫が健在なら、妹母子が列席できたなら、完璧な勢ぞろいだが。


 ゴルフ場を見おろす高台、青空の下の挙式。幼な顔を残す素顔に近い薄化粧、ヴェールは被らずアップにした髪の下に短く垂れた簡素で清楚な孫のいでたち。ちなみに、式の3日後には27歳になる。彼女はクイーン・スカウト、職業は土木技師。そして現在もgymnastic(acrobatic)に励み、対抗競技にも出場している。12月にはキャンベラで開かれるナショナル競技に出場の予定だ。ヤンチャでお転婆だった孫の花嫁姿を私は胸迫る思いで見守った。
 父親たる長男が、花嫁を花婿の手に渡す時、幼いころからの癖…緊張すると下唇を引き締める…が、そのまま現われ、眼に光るものを見た時、胸が締めつけられ、思わず私は落涙した。
 屋内での披露宴は酣となり、新郎、新婦がウエディング・ケーキにナイフを入れる時が来た。前もって長男が用意していた儀式用の軍刀を2人に手渡す。この軍刀は、長男が陸士を卒業した時、亡夫の上官に「自分には譲る息子がいないので君に引継いでもらいたい」と贈られた由緒ある剣である。2人そろってケーキにその剣を入れた時、会場にどっと拍手と歓声が湧いた。亡夫が生きてこの場にいたら、感極まった表情で見守ったに違いない。

極楽とんぼの雑記帳
イラスト: 筆者

 長男の息子と娘は、それぞれ社会人であり、息子の方は生後10カ月を迎えた男の子の父親。だから長男はお祖父ちゃんになった。したがって私は曾バアチャンだ。白髪が目立って来て老眼鏡を必要とする55歳の長男に、私は心の中で「よくやったね、誇りに思うよ。おめでとう、ご苦労さん ! 」と盛大な拍手をおくった。さまざまな思い出が私の脳裏を去来した。
 翌日、私の宿泊先に1952年来の友人の訪れを受けた。手製の五目ずし持参で。彼女の夫君(故)は亡夫が所属していた豪陸軍通信隊隊員だった。でなければ彼女と私との接点はなかっただろう。“戦争花嫁”という共通点以外には。5歳年下の彼女はあたりを払うような美人で体型もセクシー、吹けば飛ぶような私とは対照的な存在だった。不幸にして40代で未亡人となってからも引く手あまただったと聞いている。この前会ってから3年余りになるが70代後半の今も美人の席を占めるに充分だ。私たちは、食べ、しゃべり、笑い転げ、愉快な時を過した。話をいろいろ聞いたが、聞けば聞くほど、彼女の強靭な精神による決断、行動力、豪胆さは瞠目に値する。私が逆立ちしたって真似のできるレベルではないのである。あっけらかんとし、けろりとした話しぶりに、いつものことながら私は感嘆、うーんと唸る次第だ。嘆いたり愚痴ったり、めそめそする一面が彼女にあると想像するのは難しい。私はよく彼女を「斜さん」とか「斜の君」と呼んでいる。「どうしてえ ? 」と訊く彼女に「だって貴女、よく斜に構えるじゃないの」と答えると「へーえ…斜にねえ…」。深追いして問いただそうとはしない彼女。「雨にならぬうちに、暗くならぬうちに」と彼女は帰り支度をし、私たちはまたの日を約して別れた。ゲスト用の駐車場まで送る。ジャカランダの花びらが地面に散り敷き、彼女の車は私の視野から消えた。
 その翌日、長女一家は空港へ、私は二女夫婦に伴われ、彼らの家に向かい南へ出発した。
 二女宅に滞在中、そこから車で北へ10数分の古い町に、来豪以来55年間住みついている旧友のCと2度会った。今年も楽しかった。二女夫婦がキャンベラ、モスクワ、キャンベラを経て現在の地(QLD州とNSW州の州境、Tweed HeadsとByron Bayの中間、Burringbar)に居を構えて以来、私は毎年訪れているのでCには毎年会える。結婚前には交流がなかったが、夫同志が同じ連隊に所属していたので1952年2月、神戸駐在英国総領事館で結婚の手続きをする時、私たちは一緒に神戸へ行き、お互いの結婚の証人となった。ところが、Cが21歳未満(ほんの数日)というので誕生日後出直すようにと言われた。もちろん未だ新幹線は通っていない時代だ。呉の彼らの家では21歳祝いの手筈が既に整っている。Cは1歳を迎えた男の子の母だった。結局、総領事が折れめでたく結婚の手続きは完了。
 その後Cに会ったのはその年の11月、彼女たちの長男、2歳の誕生祝いの日だった。オーストラリアでの再会はCの長男と、彼より2歳年下の私の長男が日豪ハーフの初の卒業生として陸軍士官学校を巣立った1974年12月、22年目のこと。Cは7人の子どもの母となっていた。13歳年長の彼女の夫Bは既に民間人になっていたが呉市駐在のころはタフなスポーツマン。超のつく酒豪だった。Cが長男を妊娠中、臨月のころ夫婦で映画を観に行った。産気づいたCがBに告げると、慌てると思いきや「off you go, see you later」、Cは1人タクシーで帰宅。このエピソードは有名である。Bがその子を抱いて隊へ行き仲間たちに披露に及んだ。「俺にも抱かせろ」と仲間の1人が言うと「ほら ! 」と我が子を相手に向かって放り、今度はその仲間が別の仲間に放る。まるでキャッチボールだった、とCは述懐。「眠ったぞ」と仲間が言うと我が子の胸ぐらをつかみ、ソファーの上へポイしたという。
 裕福な良家育ちのCには全く異質の夫である。オーストラリアでの人生は生易しいものではなかったに違いない。7人の子どものために離婚せず辛抱した彼女。黙し、愚痴っぽくないのだ。海老の冷凍工場、炎天下での農作物収穫作業といった労働にも就いた。最近では手芸に熱中、作品をマーケットで売ったり、店からの希望で委託販売もする。健気で強くて素直、根っから親切でおっとりした人柄なので会っていると心がなごむ。また来年会うのが楽しみだ。


筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)
1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子どもがいる。現在サウス・コースト在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。

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