女三代日本参上 !  その2

極楽とんぼの雑記帳

エッセイ193
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子

女三代日本参上 !  その2

 2009年10月8日、関西空港から難業苦行して新大阪に着いた話は前号で述べた通りだ。朝食を摂っていなかったので空腹。下り特急「ひかり」に間に合うようにと、随分離れたプラットホームへの大急ぎはつらかった。おにぎり渇望の私の想いが以心伝心したのか、いつ買ったのやら、ヘレンがおにぎりとお茶を座敷まで運んで来た時、私は思わず歓声を上げた。まとわりついていた重たーいものが体からスーっと抜けて、「さあ ! 矢でも鉄砲でも来い ! 」と叫びたい気分になったのだから、現金なものである。飢餓状態でもないのにガツガツとおにぎりにかぶりつき、咽喉を詰まらせるという醜態を演じた。

 何十回も通った山陽本線の見慣れた風景が秋の装いに変身しつつあった。今後、何度この風景が見られるやろ…という思いにいささか、シュン…。おん年84歳でしょうが、と苦笑いしたら、敏感なヘレンに気付かれた。話すと、「健康と、おかあさんの大きな欠点の注意散漫なのに気を付けたら、何度だって見られますよ」と、私の肩をさすりながら、温かく微笑んだ。
 夫が他界して3年目(1985年)、キャンベラに移り、翌年から毎年訪日した。懸賞童話の授賞式、「徹子の部屋」出演(演じないのに、なぜ出演というのか分からない)などが重なり、3度往復した年もあった。23年間住んだキャンベラを引き揚げ、NSW州南沿岸の、当プライベート有料ホームに入居した。見学したその日に入居を決め、手続きをしたので、家族や友人が、本当にそれでいいのかと、不安そうだった。キャンベラの家が思いがけず早く売れたので、さあ、引っ越しの準備だ。2人の娘が大活躍をしてくれたが、入居前後の気も遠くなる繁雑さにクタクタ。したがって08年は訪日できなかった。その前年、訪日した時、例年の如く被爆者健康診断を受けたところ、「肺がんの疑いあり。要、精密検査」と言われたが。滞日期間が残り少ないので、ひとまず帰豪した。広島を発つ時、再び故郷の山河は見られないかも…不吉な黒いとばりが降りるような思いがした。幸い、こちらで受けたペット・スキャンによる検査の結果はシロ。私の暗い予感や不安は杞憂に終わった。
 あれから2年半。「広島ァ、広島ァ…」。懐かしいアナウンスだ。私たちが広島でいつも利用している市の中心地のメルパルクにチェック・イン。ヘレンは豪修学旅行の生徒を引率して訪日の際、必ず広島の平和公園を訪れている。平和公園はメルパルクと「呼べば応えられそうな」距離だ。
 私たちが広島に着いた日、長崎、雲仙の旅から次女ティーナ母娘が到着し顔ぶれがそろう。
 この日、キャンベラ時代に家族ぐるみで親しくなったHさんは、お祖父様の代からの会社を継ぐために帰日された。彼と夫人が日帰りで福岡から会いに来てくださった。いっぱいのスケジュールの中、貴重な時間を割いて。申し訳なさと喜びが入り混じった再会だった。私たちの広島滞在は、宮島1泊を入れて、わずか6泊。娘たちの希望で、亡き夫と私が出会った呉市を訪れ、3年半住んだ瀬戸内海を見渡す天応町の丘の上へ行ってみた。59年昔に住んだ家なのに少しも古びていない。日本建築はすごいと思った。4人で菩提寺に墓参り。健康診断。忙しかった。

極楽とんぼの雑記帳

 駐留軍時代の夫と彼の仲間と親しくなったK少年は成人して立ち上げた会社の社長だが、91年、紀伊国屋で拙著を手にされ、写真の亡夫を発見。面識もなかった私の連絡先を入手されるのに、さほど時間はかからなかったようだ。以来、訪広の度、ひとかたならぬ饗応に与っているが、この度は3世代4人が招かれた。戦後の混乱期の話、亡夫と仲間の話など、共通の思い出を分かち合える相手のほとんどは既に故人。稀少な話し相手である私たちだ。彼(私は大ちゃんと呼ぶ)の記憶は抜群だ。
 私が足繁く訪日するようになってから、OB会を開くのが年中行事のようになった。敗戦と同時に消滅した、旧満州大豆化学工業株式会社、旧社員の集いで、その第19回目が4月15日、例年通り京都タワー・ホテルで開かれる。娘たち、孫も参加するので前日に京都へ。発車のベルが鳴り渡り、私の裡を何かがひりひりと走る…。上体がゆらりとした。「大丈夫 ? 」とヘレン。ゆらぐ私の心が読めたのかも…。おっとりとしていて、声を荒げたこともない彼女だが、繊細で敏感な性格を併せ持っている。
 出席したOBは私を入れてわずか4人と、元上司2人の遺児である2人のご婦人、我々一族。メンバーの多くは故人。生存している最年少が83〜84歳である。出席不能のOBがいかに高齢で肉体的に支障があるか想像に難くない。長年幹事として完璧な世話役を果たされた山田三さんは間もなく米寿だ。短く静かな挨拶の中「この度が最後の会となるでしょう。千秋楽ですな」は、ジーンと響いた。ついに時間が来た。私たちは立ち上がり、山田さんの提案で「蛍の光」を歌った。娘と孫は英語で。彼女らの頬を伝う光るもの。みんな涙。私は手放しで泣いた。それぞれが胸にあふれる思いを言葉に託すことは不可能だったのだ。
 私たち4人は「祇園 吉今」に2泊した。出発の朝、宿に荷物を預け、時雨の降る街で買い物をし、平安神宮界隈を逍遥。2組に分かれて人力車に乗った幼いころを思い出した。襟元に房の付いた被布を私は着ていたと記憶する。どこへ何の用で出かけたのかは知らぬが、山門のような大きな門の奥の、迷子になりそうな邸宅で(事実、迷子になったのだ ! )たいそうちやほやされた。
 京都の人力車の乗り心地は良く、青年車夫の折り目正しさ、言動の爽やかさがうれしかった。京都駅から「はるか」で関西空港へ向かう。明朝は、13日ぶりのオーストラリアだ。
 夜空に向いて上がる機首。「これが最後の訪日となりませんように」と念じる私がいた。「月並みな、センチメンタル演歌が書けそうだね。それも七五調で」と己をからかったが、それを笑う気分は起こらなかった。
 さよなら日本、また来る日まで。再見。


筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)
1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子どもがいる。現在サウス・コースト在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。

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