第6回 丸山和也さん(25歳)

がんばるワーホリ・メーカーに直撃インタビュー
前向きっ!ワーホリング

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オーストラリアで頑張るワーキング・ホリデー・メーカーたちにインタビューを敢行し、ワーホリの魅力や生の姿を伝えるこのコーナー。第6回は、豪州で柔道のアシスタント・コーチとして活躍する丸山和也さんにインタビューした。

第6回 丸山和也さん(25歳)
ワーホリ11カ月目
柔道家/QLD州柔道アシスタント・コーチ


グローバルな自分になるために、渡豪
 柔道の名門として名高い、東海大相模高校(神奈川県)、東海大学の柔道部に所属していた丸山さんは大学卒業後、母校での東海大相模高で1年半コーチを務めた。その間、同柔道部を2度にわたり全国優勝へと導いている。指導者として頭角を現す一方で、丸山さんが渡豪を決意したのは、ますます国際化が進む社会に順応していくため、また、さらなる精神面の強化と、英語力やグローバルな視野を養いたいと考えたからだった。母校の協力を得て、オーストラリア柔道連盟の元役員の1人と連絡を取った丸山さんは、その人物を頼り、まずはシドニーへ渡る。語学学校に通いながらNSW大学で柔道を教えるという新生活が、そこから始まった。
QLD州アシスタント・コーチに招へい
「しばらくして、NSW大学の推薦を受け、北京オリンピックに向けた柔道の豪州選抜強化合宿(キャンベラ)に、アシスタント・コーチとして参加することになったんです」。
 その合宿では、稽古中に過去オリンピック7位の実績を持つ、豪州No1の選手を軽々と負かしてしまうこともあったという丸山さん。本家本元の確かな技と、コーチとしての才能を兼ね備えた彼に、QLD州柔道連盟がすかさずオファーをかけてきた。「住まいはこちらで用意するから、ぜひアシスタント・コーチ(有給)としてブリスベンに来てほしい」と。
 それを受けてQLD州ブリスベン市へとやって来た丸山さんは現在、同連盟が主催する柔道教室(週6日間)を任され、多忙な日々を過ごしている。とはいっても、柔道がいまだメジャーなスポーツではない豪州でコーチが得られる給与は、決して高いとはいえない。もし渡豪の目的がグローバルな視野を養うためだけだったとしたら、ほかの職種を選ぶ方が賢明だろう。しかし、あくまで柔道にこだわるのは、丸山さんの脳裏に“恩返し”という言葉があるからだった。

挫折、そして恩返し

 中学・高校と、常に日本一を目指し、柔道一筋で生きてきた丸山さんを挫折に追い込んだのは、脱臼癖の付いた肩だった。高校3年生最後の大会「全日本ジュニア選手権」に出場した際、不運にも試合中に肩が外れてしまい、勝てるはずの試合で棄権せざるを得ない状況に追い込まれた。その後、肩の手術、リハビリを経て、翌年の大会で復帰するも、思うような結果を出せず、挫折感が彼をむしばんでいく。「すっかりやる気を失い、約1年6カ月を練習もろくにせず抜け殻のように過ごしました」と丸山さん。大学4年生の時には、レギュラーまであと1歩のところまでなんとか這い上がるのだが、結局レギュラー入りを果たすことはできなかった。1年半というブランクが命取りとなったのだと彼は言う。
 その丸山さんが今に至るまで柔道を続けてきたのは、大学卒業時に「今度はコーチとして日本一を目指してみないか」と手を差し伸べてくれた恩師や、どんな時も味方となってくれた両親、そして祖母の存在がある。そのことをより強く思い知ったのは今年5月のことだった。最愛の祖母を癌で亡くしたのだ。
「正直、豪州に来てからも、まだ自分の中に甘えが残っていました。でも、亡くなる寸前まで『頑張らなくちゃダメだ』と僕の心配をする祖母の姿を見て、甘えが消えました」。  この時丸山さんは、「挫折に苦しむ自分を支えてくれた人たちに“恩返し”がしたい。そのために今自分ができることは、柔道を教えることしかない」と悟ったという。以来、より一層熱心に、自分が恩師から習ったことや挫折から学んだことすべてを持って、柔道の指導に体当たりで臨み続けている。
「学生時代に個人戦で日本一になれなかった」という大きな悔いを背負いながらも、“恩返し”を目的に指導者としての道を真剣に歩き始めた丸山さん。今後は、4年後のロンドン・オリンピックに向けた海外での指導も視野に入れているという。いつの日か彼に、コーチという立場で世界一の座をつかむ日が訪れるのかもしれない。世界一のオリンピック選手を育てあげることで。

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