映画「アンブロークン」、反日のレッテルに揺れる話題作

映画「アンブロークン」

反日のレッテルに揺れる話題作

いよいよ、1月15日に全豪ロードショーを迎える、アンジェリーナ・ジョリー監督の話題作「アンブロークン」。全編のほとんどが、QLD州南西部、シドニーで撮影された同作には、多くの日本人キャスト、エキストラ、スタッフが制作に関わった。そのうちの1人でもある本紙特約記者の植松久隆が、作品の撮影現場でのエピソードなども含めて日本でも何かと話題の本作について語る。

文・植松久隆(ライター/本紙特約記者)写真提供:ユニバーサル・ピクチャーズ

全米公開が迫る映画「アンブロークン」。実在のアメリカ五輪選手で太平洋戦争の英雄ルイ・ザンペリーニ(1917〜2014)の半生を描いた同名の書籍を映画化した話題作だ。ザンペリーニは、19歳で陸上長距離の米代表選手として36年のベルリン・オリンピックに出場、戦時下は米陸軍でB24爆撃機の乗組員として南太平洋で従軍。そこから先の経緯を詳しく語ると“ネタバレ”になるので書かないが、曲折の後、彼は日本軍の捕虜となる。そして、送られた日本の捕虜収容所での過酷な体験に耐えて——というのが、この映画のあらすじだ。

この話題作のメガホンを取ったのは、世界中で影響力を持つ人物の1人、アンジェリーナ・ジョリー。かねてから、数年後に俳優業を引退して監督業に専念したいと公言してきた彼女は、今回の原作に出会い、すぐに映画化の権利を取得した。ハリウッド在住だったザンペリーニ本人を何度となく訪ねて話を聞き、さまざまなインスピレーションを得た彼女は、この映画の制作に一方ならぬ思いがあった。だからこそ、2014年7月にザンペリーニが作品の公開を待たずに97歳でこの世を去ったとき、彼女が相当なショックを受けたことは想像に難くない。

この映画を日本人が語る時に避けて通れないのが、作品に対する「反日」批判。制作が決まったすぐの時点から、その原作が事実に反した日本軍の“人肉食”に言及していることをとらえて、“反日映画”のレッテルを貼られてしまった。そして、まだ撮影中の段階でも、主にネット上でこの映画に対するさまざまな批判が続けられ、中には誹謗中傷と言うべきものまでも見られた。

さらには、ネット上で公開された某デザイナーが日の丸や日本列島をモチーフにしてデザインした非公式の映画ポスターが“公式”として誤って拡散したこともあって、“反日映画”としての糾弾は収まらなかった。その余波で日本での公開先は未だ決まらず、配給先のユニバーサルは日本公開にかなり及び腰との報道もある。最悪のケース、日本で公開されない可能性すら取り沙汰されている。

これは、非常にもったいない。映画を既に鑑賞した数少ない日本人の1人、自国をこよなく愛する者として、これだけはハッキリと言っておきたい。この映画は、巷間言われるような“反日映画”では決してない。確かに、先の大戦時下の出来事を米側の目線で描いているため日本は「敵」として扱われている。

しかし、この映画は「勧善懲悪」の勇ましい戦争プロパガンダ映画ではなく、日本軍の残虐性や非道を訴えかける目的で作られた映画でもない。その意味で、この映画は中国資本が制作してきた歴史的事実を歪曲した一連の映画などとは明らかに一線を画すものだ。米国が、自国の英雄の半生を描いた英雄譚と捉えるのが、もっともその本質をとらえている。

ここで、ネット上で独り歩きしている事柄に関して、あえて“ネタバレ”をしたい。反日批判でよく引き合いに出される日本軍の“人肉食”を描いたシーンは、作品中には存在しない。日本軍の捕虜への暴力行為は、サディスティックな性向を持ち、捕虜の間で“the Bird”とあだ名され怖れられたMIYAVI扮するワタナベ伍長(渡邊睦裕、のちに軍曹)によるものだけで、日本軍全体の残虐性を取り立てて描くような演出も無い。しかも、劇中ではそのワタナベですら、決して屈しないザンペリーニの強い意志の前に邪悪に徹しきれない弱さを垣間見せる。この映画が訴えたかったのは、まさにそこ。「どんな逆境にも打ち克つ人間の強さ」なのだ。

戦後のザンペリーニは、数度、日本に渡り、自らの敬虔なカトリックとしての信仰心の支えもあって、過酷な体験を乗り越えて元看守らとの和解を果たした。ワタナベとも和解の場を持とうとしたが、ワタナベがそれを拒否。戦後、ワタナベは、捕虜に対する残虐行為でBC級裁判で訴追されるも逃亡。結局、日本が主権を回復するまで逃げおおせた。その後、自らの残虐行為は認めたものの一切の謝罪の言葉を口にせず、03年に帰らぬ人となった。和解を果たせず苦しみを抱えたままこの世を去ったワタナベ、彼もまた、戦争という魔物の被害者の1人だった。

監督がどのような意図を持ってこの映画を撮ったかは、今となってはメディアでの発言を通じてしか知る由もない。少なくとも、撮影の現場では「日本、そして日本人へのリスペクト」は直接的に感じ取れた。時として、日本人アドバイザーが演出面で監督に意見することがあっても、真摯にその意見に耳を傾けるシーンを幾度も目撃した。世界でも有数の大スターである監督が、バックグラウンド・エキストラの日本人女性に歩み寄って話しかけ、その女性が感極まってしまうと「大丈夫?」とそっと肩を抱く—そんな彼女の姿に、反日的なものなど欠片も見られなかった。

この映画の現場で汗を流した多くの日本人キャスト、エキストラ、そしてアドバイザーなどのスタッフ。そのすべてが立場の違いは有れど、「少しでも日本人に受け容れられる良い映画にしたい」と真摯な気持ちで日々の現場に立った。その努力と献身をして、短絡的に「反日」と断じるのはあまりにフェアではない。だからこそ、批判する人にこそ、この映画を観てほしい。そして、日本での公開を願う。大きなスクリーンに映し出される作品そのものが、雄弁にさまざまなことを語り伝えてくれるはずだ。


アンジェリーナ・ジョリー監督とルイ・ザンペリーニ氏

幸い、本紙の読者は1月15日の全豪公開でこの話題作を観ることができる。ぜひ、実際に劇場で観て感じて判断してほしい。先日のシドニー中心部での立てこもり事件の後、ソーシャル・メディア上で自然発生的に起きたイスラムの人々へのシンパシーを表明する活動が瞬く間に広がるのを、我々は目撃した。ここ豪州には、多文化共生社会がゆえの物事を単眼的に捉えない寛容性が根付いていることを改めて気づかされた。この映画は、そんな素晴らしいハートを持つ豪州の人々の心にどう響くのか、そこに注目したい。

戦後70周年を迎える2015年。その節目の年に、この映画が公開されることで何も日本が改めて反省を突き付けられているのではない。この作品が、我々日本人があの戦争が何だったのかを今一度振り返るきっかけになれば、それだけで制作に携わった人々、特に日本人スタッフの努力は報われるのではないだろうか。(文中敬称略)

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