女子柔道家 中澤さえさん

心機一転、パースで充電中

女子柔道家 中澤さえさん

 

2004年アジア選手権での優勝を皮切りに、輝かしい記録を更新し続け、日本の女子柔道界をリードしてきた中澤さえ選手。北京五輪を半年後に控えた2008年3月に右ひざ靭帯に重症を負うという試練を乗り越えたものの、シーンから惜しまれつつも09年11月に現役を引退。10年10月末に来豪し、現在はパースの語学学校へ通いながら大学の柔道クラブで子どもたちの柔道の指導にあたっている。長年の選手生活から一変、オーストラリアでの新世界は今、彼女の目にどう映っているのだろうか。柔道を通して繋がる過去を振り返りつつ、今だから明かせる本音にも迫った。

 

ゆくゆくは柔道で海外進出って考えていました
--こちらの生活にはもう慣れましたか?
はい。今はフルタイムで勉強しながら柔道も週5回ほどみっちりと教えている状態で、ばたばたしてはいますが、友人に恵まれた楽しい毎日を送っています!

 

--引退インタビューの時点で既に留学の意思を発表されていましたが、実際に考え出したのはいつごろでしたか?
父親が頻繁に海外旅行に行ったり、移住をしたがっていたせいか、私も子どもの時から漠然と“海外に行きたいな”と思っていたんです。大人になってからはさらに具体的に“ゆくゆくは柔道で海外進出”と考えるようになりました。

 

--オーストラリアの柔道は、日本と比べてどうですか?
年代も幅広いし、かなり個性豊か。子どもたちなんてなかなか言うことを聞いてくれないんですが、皆全身全霊ではしゃいでのびのびしていて、すごくかわいいんです。また、日本だと1つのことをストイックに突き詰める美学があるので、競技に関しても何か始めるとそれひと筋になりがちですが、それに比べてこちらでは、いろんなことを自由にやる主義の人が多いと感じています。道場に来る子も、音大に通いながら同時に柔道にも本気で取り組んでいたり…。“二束の草鞋を履く”っていうと聞こえは悪いですけど、自由に何でもトライして可能性を広げていく姿勢は素敵だと思います。

 

--そんなこちらの柔道に触れて、今どう感じていますか?
いろんな可能性があって日本と全く違ったおもしろさがありますし、そういった彼らの気負わず純粋に楽しむ姿勢に、逆に教えられるところがたくさんあります。

 

--そう思うのは、やはり北京五輪前から続いた不調、その間のプレッシャーを経験してきたからでしょうか?
あの時期、プレッシャーはすごくありましたね。でも、日本の柔道界って、多かれ少なかれ皆そうして重圧と戦いながらやっているんじゃないでしょうか。大会に出場するレベルになると、真っ向から戦うしか道はなくて、もう逃げることはできなくなるので…。

 

--北京五輪以前でも辞めたいと迷ったことはありましたか?
それはなかったです。やはりきっかけはケガだったんです。北京五輪の年の3月に靭帯のケガをして、手術しないといけなかったんですけど、そうすると9月の北京五輪に間に合わないので、リスクはあったけど手術はしない選択をしました。それからはもう、リハビリと練習を平行してがむしゃらにやって。焦っていました。それだけに、五輪で結果を残せずに終わった時、その後のモチベーションを上げるのが大変になったというか。
 長年走ってきたところに、1度立ち止まる隙ができたんです。幸いその後のケガの経過は順調だったので、続けようと思えばまだやれたかとも思うんですけど…。
 高校、大学、社会人とずっと変わらず同じ環境で同じメンツと練習してきて、それが息苦しく感じてしまった時でもあったし、このままでいいのかな、と疑問を抱えるようになってしまって。それで次のステージに移ろうって思ったんです。前から留学はしたかったわけだし、そのタイミングと自分の中でちょうど重なったんですね。


元気いっぱいの生徒たちと

 

今とルーツが繋がった

 

--柔道は1つのスポーツであると同時に、武道の精神世界に通ずる文化という色も濃くありますが、オーストラリアの人たちの柔道のとらえ方はどうですか?
先日地元(パース)の柔道部の方と話していたら、「柔道は結果よりも、まず人間と人間の関わり合いだから」って言われて。こちらの人たちのそういう姿勢は、教えながら肌で感じてはいたんですが、実際に言葉にしてもらってすごく安心しました。私がずっと受けてきた教えと同じ精神だったので。オーストラリアにいる今と日本でやってきたルーツとがきれいに繋がった瞬間でした。だから私もすごく馴染めているし、やりやすいんだと思います。

 

--逆に今、日本の柔道シーンはどのようになっているのでしょうか?
もちろん一概には言えませんが、どちらかというと精神的な世界から少しかけ離れてきていて、勝つ柔道ばかりを追い求めているのかもしれません。プロとしてやっていれば応援してくれる人もいるし、成績がすべてなのでそれは仕方がないんですが、私自身、(現役時代の)最後の方は“勝つための柔道”と“精神的な柔道”の両立というか、スタンスのバランスを取るのが難しかった。正直、そこで迷宮入りしてしまったところもあって…。それだけに、今こちらでオージーと柔道に取り組んでいると、忘れていた部分や求めていた部分を逆に教えられることが本当に多いし、それが心に響いて初心に帰っていますね。

 

決して奢ることなく心ある選手に育ってほしい

 

--これまでご自身の柔道人生から学んだことで、オーストラリアの柔道家たちに一番継承したいのは何ですか?
やっぱり技術も大切だけど、まずは人の心ありきという部分ですかね。人として成長しながら柔道に取り組むこと。こちらではキッズや若い選手も多いですし、そういう教育としての柔道っていうか、いろんな意味で高め合っていけたらって思っています。柔道家なら、柔道のシーンを外れた日常生活においても、すべての人の心を大事にし、決して奢らず精進してほしい。それが、私が一番大事にしたいと思っていることです。結局、結果を残しても、人として成長していなかったら何の意味もないし、そっちの方がむしろ大事。オーストラリアからも、強くてかつ人としても素晴らしい選手がたくさん出てきてほしいですね。

 

--こちらに来て改めて見えてきたビジョンなどはありますか?
とりあえずは2年くらい住んで、その間に次のビジョンをしっかり組むのが目標だったんですけど、今はやっぱりもっといたいかな、って。日本も便利だしおもしろいんですけど、やっぱり根詰めて技術を教えるよりも、こちらでゆったりと心を教育しながら、オーストラリア柔道界の可能性を見守っていくのも自分の理想に合っている気がしているんです。とにかく今は充電期間。この先の大きなビジョンというのは、まだ具体的には固まっていないのですが、自分自身のことや柔道のことを見つめ直しつつ、パースで十分にリフレッシュしているところです。


中澤さえ プロフィル
◎1983年6月1日生まれ。東京都調布市出身。8歳から柔道を始め、淑徳高、淑徳大、綜合警備保障所属を経て、現在はパースのUniversity of Western Australiaで大人から子どもまで幅広い年齢層の柔道家の指導にあたる。主な成績は2004年、05年アジア選手権優勝、2008年北京五輪出場、日本選抜体重別選手権2005年から3連覇など。得意技は大外刈り。

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