ビジネス・パートナー、マリーの死

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~

其の拾四:ビジネス・パートナー、マリーの死

1973年2月、真夏のシドニー、紺碧(こんぺき)の空、私はエリザベス・ベイの公園で、1人大の字に寝そべりながら、年末に向けてのレストラン・オープンの現実的な計画を思い浮かべていました。気持ちはますます高まり、怖いものなしで、問題など何もないと鷹をくくっていました。

そんな時、電報が私に届いているという知らせが郵便局から入りました。このころ電報が届くというのは、良いニュースか、悪いニュースだったので、悪いニュースでないことを祈りながら、郵便局に出向きました。宛先を見ると日本の実家からではないようなので、ひとまず胸をなで下ろしたのですが、宛先はアデレード、私のビジネス・パートナーであったマリーの親戚の1人でした。不安がよぎりました。電報を開けると

「マリーがハート・アタックで倒れ、危篤」とありました。私のオーストラリアにおけるスポンサーであったマリーが倒れたというのです。ふとよぎった感覚は、岩山を上り詰める時の、生と死の境にいるような緊張感です。

私が育った戦後の東京は、死というものがまだ身近にありました。戦争は知りませんが、戦後の混乱はしばらく続き、人の命をも奪っていました。人の死に出合うたび、何もできない自分を知らしめされ、冥福を祈ることしかできませんでした。そのことが、自分の時間を懸命に生きることに集中させてくれました。そして、私は青春時代に山に魅了されることになりました。

電報を読んだ後、すぐに電報の送り主に連絡を取り、急きょアデレードの病院へと向かいました。しかし、時遅く、私が病院に着いた時には、マリーは既に息を引き取っていました。あの剛健な体格のオージーがまさかこんなに突然に命を落とす信じられず、漠然としてしまいました。マリーは58歳の人生を閉じました。マレーは独身だったので、兄弟、親戚などに見守られていました。皆マリーの突然の死に動揺を隠せないようでしたが、慌ただしく葬儀の準備などに取り掛かっていました。

マリーの親戚は結構、保守的で、海外でのビジネスを展開していた企業家のマリーは異端児だったようです。私のような東洋人がマリーのビジネス・パートナーだったことに興味は持ってくれましたが、マリー亡き後、ビジネス・サポートの話は、立ち消えてしまいました。

マリーと出会ったサンフランシスコでのことを思い出しながら、日本食文化に触れた話題やシドニーでのレストラン・オープンの企画を話し合った時を懐かしく振り返りました。そしてヘンリー・ビーチで行われた葬儀に立ち会い、最後の別れを告げました。

この瞬間から私のオーストラリアでの立場は揺らぎ、ビザのこと、これからのことなど、一挙に考えなければならないことが湧き出てきました。

自分を落ち着かせ、この逆境にどのような対応策を自分は取らなければならないのか悩みましたが、まずは、当時話が進められていた5月の皇室訪豪の饗応の料理のお手伝いの件を進めなければなりません。そのため、オーストラリア人弁護士にお願いし、6月までビザを延長しました。

当時は、今と比べると、情報を集めたり、連絡を取るのが難しい時代だったので、想像のつかない、じれったさを味わいました。その失望の中、私は、尊敬するフレンチ・アルピニストのガストン・レビュファ(Gaston Rebuffat)のことを頭に浮かべました。山に登ることで人間は内に秘めたエネルギーを引き出し、自分を愛せるようになります。山と自然を愛し、限界に挑戦する山行のごとく、かつて私も厳冬のピナクルに立ち、1人、自然の中に身を委ね、天空と人間のエネルギーの接点を探し求め突き進みました。そうすると生命力が湧き出て、次のステップへと足を踏み出すことができるようになります。オーストラリアで日本食文化を広げていくためにも、ここで全てを諦める気は毛頭ありませんでした。

マリーの死から、自身に課せられたものは何かを考え直すために、私は山を求めニュージーランドへと向かったのです。


出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る