厳しくも美しいNZの自然

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記

出倉秀男の日本料理と歩んだ豪州滞在記
~オーストラリアでの日本食の変遷を辿る~

其の弐拾壱:厳しくも美しいNZの自然

マウント・エグモントを後に、南北両島を結ぶフェリーが出る首都ウェリントンへと向かいました。フェリーで南島へ、当時どのぐらい掛かったのか覚えていませんが、ピクトンに到着。今では3時間半ほどで着くようです。ここからは南下しました。ピクトンを出て、東海岸線にある港町カイコーラを経由してクライストチャーチに到着。クライストチャーチでは、紹介されていたバトラーさんの家に1週間ほど滞在しました。

彼の息子はパウアのライセンス・ダイバーだったので、パウアをたくさん採ってきてくれました。パウアとは、マオリ語でNZ近海でとれるアワビのことを指します。パウアは、肉は食用で、殻は海のオパールと呼ばれるほど青緑色などの光沢があり、装飾品としてマオリ人に珍重されてきました。今でも宝石に比べて値段が手ごろなため、NZの主要な土産物として、大変人気があります。そのため、パウアの採集には採れる数、サイズ、採取方法まで細かい決まりがあるようです。

私が始めて見たパウアは、オーストラリアのグリーン・リップ・アバロンに近く、肉の表面の縁が緑色をしていました。日本では夏の食べ物として珍重されるアワビを、9月、冬のクライストチャーチで、刺し身、蒸し物、炙り焼き、それに贅沢にウニ(Kina)と一緒に試食しました。日本人の私には、季節外れのアワビでしたが、初めてのパウアとあって、ワクワクしながら頂きました。食感はアワビでしたが、うまみが少なかったような気がします。

バトラー家では、パウアはフリッターやマリネードしてからフライにしたりして食べているということでした。次の日、マトンを頂きました。和風の味付けで仕上げた焼き物、マトンとしょうゆのコンビネーションが喜ばれました。クライストチャーチでの最終日、偶然、カイコウラで採れたハプーカという魚がバトラー家に送られてきました。見た目も味もハタのような、大きめの白身魚でした。採れたての活き締めの物なら刺し身でも食べられたでしょうが、知らない魚だったので、焼き物、鍋物にしました。日本のタラやハタのように、骨との身離れが良く食べやすく、おいしい魚でした。

待望のNZの最高峰マウント・クック(標高3724m)へ向かう日が来ました、続けていたトレーニングのお陰で、けがもなくタスマン・グレッシャーでの登山と山岳スキーを満喫した後、南極に近い町、ダニーデン、インバガーゴ、スチュアート・アイランドに向けて南下してから、北西のクイーンズ・タウンへと足を延ばしました。クイーンズ・タウンはスキー客でにぎわっていました。格好良いスキーヤーを横目に、Tバーでコロネット・ピークスキー場の山頂へと上がり、岩場にできたアイシー・クライムを満悦しました。

その後、美しいフィヨルドで有名なミルフォード・サウンドへと向かいました。厳冬の山にはほとんど人影もなく、美しいマイター・ピークからのフィヨルドを眺めました。危険性を含んではいますが、1人でトレッキングをし、雄大な自然を独り占めしている贅沢感を味わっていました。ただ残念な思い出も1つあります。私が入山しているころに、マウント・エベレストの初登頂に成功したNZ人のエドモンド・ヒラリーがミルフォードに立ち寄るとの情報が入ったのですが、ニアミスで会う機会を逃がしました。

ミルフォード・サウンドの入り口近くに船着き場があり、小さなカフェでイタリア人の漁師たちと出会い話が弾みました。彼らからロブスター採りに誘われ、同行しました。早朝にフィヨルドを出て、更に沖へとタスマン海峡に出ました。するとはるか暗闇の彼方に煌々と電球の光の漁船団を見つけました。彼らに何の船か尋ねると「あれは君の国、日本から来ているイカ釣りの一団だ」と知らされ、驚きを隠せませんでした。日本への食材供給のため、こんな遠くまで小さな船で来るとは脱帽しました。

その後、クイーンズ・タウンを通過し、そのまま北上し、フォックス・グレーシャーへと向かい、最後のチャレンジ、アイス・クライムに挑みました。フォックス氷河の深さ10メートルほどあるクレバスは神秘的な色を放つブルー・アイスの氷壁でそれに挑む醍醐味は、日本では味わえません。危険性を伴いますので、チャレンジする人は、準備を怠らないように。

自然に飲み込まれそうなぐらい壮大なウエスト・コーストを北上し、途中、港の生協からNZのシラスを頂き、踊り食いを満悦した後、フェリーで北島へ戻り、クリスマスに向けて、オーストラリアへの帰国の準備に入ることになりました。

これを最後に、山での危険なチャレンジをすることはありませんでした。今考えると、このNZでの時間は自分にとってかけがいのないもので、私の人生のひと区切りとなっていました。厳しくも美しい自然が、充実した喜びを生んでくれました。


出倉秀男(憲秀)
料理研究家。英文による日本料理の著者、Fine Arts of Japanese Cooking、Encyclopaedia of Japanese cuisine、Japanese cooking at home, Essentially Japanese他著書多数 。Japanese Functions of Sydney代表。Culinary Studio Dekura代表。外務省大臣賞、農林水産大臣賞受賞。シドニー四条真流文芸師範、四條司家師範、全国技能士連盟師範、日本食普及親善大使

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