安らぎの麗しい島と人 中華民国 Republic of Chinaで7日間①

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安らぎの麗しい島と人

中華民国 Republic of Chinaで7日間①

文=青木公

〔台北〕寒風の成田空港から南へ3時間余、暖かい島・台湾へ。国際ニュースにはあまり登場しないが、先住民と漢民族など2,600万人が暮らす。日本の外務省編の世界の国・国旗一覧表には、名称も旗も載っていない。年輩者は日本語可、という不可思議な社会への旅で——。

3月27日の夜遅く、日本の九州ほどの、島の北部にあり首都に当たる台北(タイペイ)の空港は、入国者で混んでいた。ほとんどがアジア系の顔をしているので、異国感は薄い。

入国審査官の女性は、旅券を筆者に返す時に「はい、あおきさん」と日本語で言った。目を外貨交換所にやると、『りょうがえ』と日本語の平仮名でも表示してあった。

都心に通じる地下鉄(MRT)に乗った。荷物両手の老人(筆者)を見た若い男性は、さっと席を譲ってくれた。東京の地下鉄車両よりはスマートで、かつ安全と感じて、初めての台湾なのにほっとした。日本から同行の知人(邦人)と一緒の旅だったが、東京の延長のような気分で宿へ。

湯の町、北投で日本発見

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日本系と米国系のチェーン飲食店が並ぶ北投温泉街(台北市北部で)

避寒が目的の小旅行。目当ては温泉だ。部屋は洋室だが別に個人浴室がある硫黄臭の強い岩風呂に、さっそく飛び込む。熱い。日本語で、湯を3分の1ほど抜いて冷水でうめるようにと記してある。かけ流し、というのが、日本の温泉の謳い文句だが、なんとももったいない湯量だった。

この温泉地の名称は、北投(ほくとう、ペイトウ)。台北から地下鉄で30分という便利さ。ドイツ人が見つけ、日本人が開発した。翌朝、川沿いに歩くと、日本の岡本要八郎が発見者、と漢字で書いてある看板を見つけた。

1970年(明治40年)に台北博物館に勤務していた岡本氏が、北投石(ほくとうせき・学名ホクトライト、というラジウムを含む岩石)を、川床に溜まった白い物質に注目して見つけたという。日本・秋田県の玉川温泉と同じものだった。

新北投温泉の町の広場には、写真のように日本の牛どんチェーン店まであったが、ちょっと歩いた先の市場には、麺類、野菜の煮込み、御飯類も食べられる屋台や小さな食堂があって、日本の温泉場とは違って肩がこらない。スターバックス、ケンタッキーフライドチキンもある鷹揚な町なみ。

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中国通貨の人民元も扱うようになった台湾の銀行(台北で)

忘れない2・28事件

なぜ3月27日から28日にかけて台湾へ出かけたか。台湾の人々にとっては、2・28事件の記念日だからだ。1947年というから、日本敗戦で解放された年から2年後の2月28日に、中国本土から台湾島にやって来た、中国・国民党政府の軍隊に対する反乱が起きた。密輸入されたタバコ売りの台湾女性を、国民党軍の兵士が手荒く扱った騒ぎがきっかけで、港町・淡水で暴動が起き、広がった。鎮圧のため来島した国民党軍が、台湾人300人ほどを殺した、といわれている。

もともと、台湾島は中国から化外の地といわれ、野蛮な所と見られていた。中日戦争で勝った国民党の蒋介石軍の将軍が、台湾人を見下したので、独立心が強い台湾の人々は怒った。台湾の住民の祖先の多くは、200キロ離れた中国東岸から渡ってきたが、日本軍に比べて粗野な国民党軍に、あきれ返った結果だった。

台北都心の一流ホテルで催された台湾エリートたちの2・28記念の会合を見聞したが、演壇上の発言者は、「台湾に生まれたのを誇りに思う。台湾がんばろう !」「われわれの将来は国民投票で決めよう」「独立以外に進む道ない」と述べていた。

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国民党政府への台湾人の反感が爆発した1947・2・28事件から63周年の会合で(台北都心で)

いま野党の民進党代表の女性政治家のスピーチに「民進党がんばれ」の声が飛んだ。政権党の国民党は、この席では人気がなかった。台湾之友会による新春(中国正月)を祝う会でもあった。

8年間、政権を握っている国民党だが、中国政府が声をかけている経済協力取り決めに好意的なので、独立派の有権者から反発をくっている、と聞いた。

沖縄の隣の中進国

経済レベルでいえば、台湾は中進国並みのGDPで、アメリカとともにG2ともいわれる中国本土の暮らしのレベルを数等上回っているから、誇り高い台湾人は、中国と一体になるのは心外ということだろう。「台湾海峡の波高し」といわれた時代はあったが、米国は軍事援助しているので超大国の中国政府も武力解放をできない国際環境だ。隣には、沖縄の在日米軍基地がある。

東アジアでは、北朝鮮とともにホット・ポイントだが、マレー・ポリネシア系の島国らしい大らかさが、当面は緊張感を感じさせないタイワン社会だった。


筆者紹介・青木公(あおき・ひろし)朝日新聞社友。日豪プレス創刊時に朝日新聞シドニー支局長。定年後、東南アジア、中南米、アフリカ大陸などの途上国を毎年、訪問・取材。現在、国際協力機構(JICA)サポーター。著書に『ODA最前線』『中高年、はつらつと海を渡る』『ブラジル大豆攻防史』ほか。海外日系紙に寄稿

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