マーベラス・メルボルン「クイーン・ビクトリア・マーケット」

MARVELLOUS MELBOURNE マーベラス・メルボルン

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第10回 クイーン・ビクトリア・マーケット

クイーン・ビクトリア・マーケット正門
クイーン・ビクトリア・マーケット正門

ゴールド・ラッシュ期の移民流入でメルボルンでの人口が激増したことにより、食糧需要も急速に増大した。

メルボルンの発祥の地は、エンタープライズ・ワーフの場所であるが、そのすぐ近くにメルボルン最初の市場であるウェスタン・マーケットが1841年に開設された。マーケット通りの名前が残る場所である。野菜や果物を売る市場として始まり、1961年まで続いた。ウェスタン・マーケットが開設されて以降、市内東部のスプリング通りに財務省ビルや植民地政府の建物が建てられ、市の機能は東部へ移っていった。

2番目の市場となるイースタン・マーケットが、バーク通りの現在サザン・クロス・タワーが建っている場所に作られた。牛や羊などを扱うキャトル・マーケット(家畜市場)も郊外に作られた。有能な行政官たちが市場敷地の設定や管理者の選任などの政策決定して、市場建設と食糧物流が進められた。

メルボルン最初の墓地(現駐車場)
メルボルン最初の墓地(現駐車場)
メルボルン初の市場ウェスタン・マーケット
メルボルン初の市場ウェスタン・マーケット
市内最大のイースタン・マーケット跡地
市内最大のイースタン・マーケット跡地

最も繁栄したのはイースタン・マーケットで、1850年代から果物や野菜類の卸売市場として、メルボルンの繁栄の時期には週末の夜の社交場としても栄え、1900年代に入ると中古品市場としても客を集めた。鶏などの家禽(かきん)類と果物、野菜の市場は、水曜日と土曜日の午前中に立った。イースタン・マーケットは、メルボルンの第1市場としてウェスタン・マーケットを凌駕(りょうが)していた。朝10時以降には家畜用の干し草の市場となったが、それ以前にはフリンダース通りとスワンストン通りの交差点の辺りに干し草とトウモロコシの市場があったが、セント・ポール大聖堂の建設によりイースタン・マーケットに移転してきた。

やがて、市内の2つの市場では増大する食糧需要を賄いきれなくなってくると、1857年にクイーン・ビクトリア・マーケット(QVM)の開設が計画された。中心部から少し西北側でメルボルン最初の墓地があった場所であり、メルボルンの創設者であるジョン・バットマンも眠っている。緩やかな斜面に位置しており、最初は、エリザベス通り側にローワー・マーケットが建てられ、現在の肉類売り場、魚売り場、加工食品デリ売り場などの地区がオープンした。増大する需要に応えるため、77年に現在の野菜売り場があるアッパー・マーケットが開設された。食肉卸売市場は、QVMの設備が不十分であり、商人たちから不満の声が多かったため、80年にメトロポリタン・ミート・マーケットがノース・メルボルンに建設された。

QVMは、豪州最大のオープン・エア市場であるが、これほど都心に位置するのは世界でも例が無い。現在、QVMの他にサウス・メルボルン・マーケット、プラーン・マーケットなど10カ所以上のオープン・エア市場がメルボルンにあり、多彩な移民文化を支えている。メルボルンがオーストラリアを代表する市場の街と言われる由縁である。



文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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