第一次世界大戦の独撃墜王落としたのは豪兵か

「赤い男爵」リヒトホーヘン撃墜の謎にまた新説

 第一次世界大戦中のドイツ帝国軍の空の英雄、マンフレッド・フォン・リヒトホーフェンは、その三葉機の赤い塗装から「赤い男爵」と呼ばれて怖れられた。彼の撃墜機数は諸説があるが公式には80機とされている。しかし、その撃墜王も2018年4月21日に英軍飛行部隊との交戦中に撃墜されている。

 誰が撃墜したのかについても諸説があり、イギリス、カナダ、オーストラリアの軍がそれぞれ手柄を主張している。4月21日のABC放送(電子版)は、NSW州北部タルガム出身の第一次大戦の英雄、セドリック・ポプキン氏がフォン・リヒトホーフェン機を撃墜したという説を紹介している。

 今日は赤い男爵撃墜百周年になり、古代火山の火口にある町タルガムのNSW州の歴史家、バリー・バトラー氏と航空専門家のホーク・ベア氏は、「すべての証拠がセドリック・ポプキン軍曹が赤い男爵を撃墜したことを示している」と語っている。

 2人は、「赤い男爵の乗機を射った角度を研究した結果、フランスのモルランクール山脈山頂陣地で機銃射手を務めていたポプキン軍曹だけが800ヤードの距離から撃ち落とすことができる位置にあった」と語っている。

 ポプキン氏は1890年にシドニーで生まれ、1907年頃にNSW州最北部のツイード・バレーに転居している。彼はそこで大工、郵便局長、タバコ屋などいくつもの職業についており、赤い男爵を撃墜した時は27歳だった。フォン・リヒトホーフェン氏は25歳だった。

 その日、昼食時、陣地の兵隊は陣地に向かって飛んでくるソッピース・キャメル機を目撃したが、その背後にドイツの赤い三葉機が迫っているのに気づいた。ポプキン軍曹は80発ほどを発射し、一旦頭上を飛びすぎたドイツ機が戻ってきて陣地を狙った時、さらに70発から80発程度を発射した。その直後、ドイツ機は上昇したかと思うと右に旋回し、半回転すると農地に墜落した。機銃弾1発が右脇腹から入り、左胸から飛び出していた。イギリス兵が墜落現場に走ってフォン・リヒトホーフェン男爵がまだ生きていることを確認したが、「もうおしまいだ」と一言言って息絶えたと伝えている。

 フォン・リヒトホーフェンの遺体はフランスの協商国軍戦線背後で軍葬の栄誉で埋葬されたが後にドイツ国内に改葬されている。
■ソース
NSW town claims local World War I hero Cedric Popkin brought down German air ace

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