オーストラリアで今を生きる人 村松貞治さん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

村松貞治さん

年齢や経験を重ねることで表現に深み増したい

世界を舞台に活躍する指揮者・村松貞治さん。各地で培った数々の舞台経験を生かし、現在はシドニーのコミュニティー交響楽団や合唱団を中心に活動中だ。音楽の可能性を信じ常に新たな挑戦を続けている同氏に、仕事にかける思いや、一指揮者としてのあり方など、お話をうかがった。(聞き手:荒川佳子 写真:Naoto Ijichi)

幼少のころから音楽に魅せられて

——最初に音楽が好きだと実感されたのは何歳のころでしたか?

小学校3年生のころにテレビで野球中継を見ていた時に、「トランペットを吹いている人たちが格好良いな」と思ったのがきっかけですね。音楽への興味の入り口はクラシックではなかったんですよ。その後、小学校ではブラス・バンドでトランペットを、中学校と高校では吹奏楽部に入って、フレンチ・ホルンをやっていました。

貪欲に勉強した留学時代

——その後、留学のためイギリスに渡られたそうですね。イギリスでの勉強はいかがでしたか。

元々指揮者になるために大学の指揮科へ入学を希望していたのですが、イギリスだと指揮科へ進めるのは大学院からで、それまでは違う音楽の勉強をしなくてはいけないんです。ですので大学では引き続きホルンを吹いていました。でも入学したそもそもの目的がホルンではなかったので、もう指揮がしたくてうずうずしていましたね。そこで、自分でオーケストラを作ってコンサートを開くのが一番近道なのではないかと思い、演奏してくれる人を募ってホールを借りて、「手作り演奏会」をオーガナイズするようになりました。学生とはいっても、会場を借りるためには資金もいるのですが、周りの人たちが支援してくれて、そういった環境にすごく励まされました。

——最終的には150人以上の観客を集め、会場は満席になったそうですね。実際当日の手応えはどうでしたか?

演奏のクオリティーは、今振り返るとあまり良くなかったと思います。ポスターの製作からチケット販売、会場の椅子の手配や配置まで、基本的にすべて自分でやっていたので、本番が始まるころには疲れ果ててしまったんですよ(笑)。もちろん嬉しかったし達成感もあり、当時は大成功だと思っていたけど、今もしその場で聴いていたらメチャクチャだと思うんだろうなあと――(苦笑)。でもそんな経験もしてきたからこそ、今目の前で一緒に活動をしてくれるオーケストラへのありがたみを実感していますね。

——そんな時期を経て、大学院ではようやく指揮を専攻しての勉強が始まります。指揮科では、どのような勉強をされましたか?

基本的な指揮のクラスでは、ピアノ2台の演奏に対し指揮を振るものと、実際にオーケストラを前に振ってそれに対して先生がコメントをしていくものの2通りがありました。
 また、イギリスにいたころは地元のプロフェッショナル・オーケストラであるBBCフィルハーモニックやハレ管弦楽団のリハーサル現場へしょっちゅう見学に行ってました。本番を見るのとまた違い、かなり勉強になりましたね。指揮者が1つのオーケストラを仕上げていくプロセスを間近に見ることができたのは貴重な体験でした。

——その後渡豪し、シドニー音楽院の指揮科でも学ばれています。

文化庁の新進芸術家海外研修制度の研修生として活動する機会を得て、かねてより尊敬していたイムレ・パロ先生に教えてもらいたくて留学先をシドニー音楽院に決めたんですよ。彼からは、特にオペラの楽しさを教わりましたね。それまでも数々の偉大な指揮者に教えてもらってきましたが、実はアドバイスの内容が濃過ぎて、若過ぎた当時では理解し切れなかった部分もあったんですよね。それがある程度の経験と歳を重ねてシドニーに来てイムレ先生の所に来たら、先生の言っていることに素直に共感して共鳴することができたんです。だから実に多くのことを吸収させてもらえました。

——東洋人が西洋音楽を学ぶことで、留学時にバックグラウンドの違いなどを感じたことはありましたか?

最初の10年間くらいは、アジア人であることのコンプレックスが多少なりともありました。それを完全に払拭するまでに結果的に10年という時間がかかりましたが、つまるところ「上手い人は上手いし、下手な人は下手」。結局それだけなんですよね。それが分かってからは、全く意識しなくなりました。例えばハンガリー人と日本人が並んでバイオリンを構えたら、一見ハンガリー人の方が上手く見えるかもしれませんが、その答えはそれぞれの奏者の練習量と情熱に比例していて、いたってフェアなんですよ。
 指揮者として楽譜を読む時も、「アジアの人だからこういう解釈をした」ということは絶対にないと思います。「日本の指揮者だからこういうリハーサル法を採り入れている」ということはあったとしても――。

この仕事の魅力

——大変な熱意と情熱をもって指揮者の道を志された村松さんですが、この仕事のどんな部分にそこまで惹かれたのですか?

音楽監督として1つの音楽をまとめるという側面でしょうか。実は僕、高校生のころまでは作曲家に憧れていたんです。すごくなりたかったんですけど、ある時自分にはその才能がないことに気が付いてしまったんですよね。そうしたら当時の後輩に「先輩は作曲家より絶対指揮者のほうが向いているから」と言われて――。そのひと言に背中を押されたようなものかもしれません。

——実際にやられてみて、この仕事の醍醐味はどこにあると思いますか?

指揮棒を振っていると、相手(奏者や団員)は非常に素直なんだということがよく分かります。僕が自分の中で消化し切れている曲に対してはすごくリアクションが良いし、逆に僕の理解や勉強が足りていない曲に対してはいまいち反応が薄い。だから、自分が十分に納得できるまで読み込んだ譜面(楽曲)に対して、団員が瞬時に僕の指示を理解してくれて、ともに自信をもってピタッと息が合う時なんかは一番嬉しいですね。
 実際この職業では、指揮台に立っている時間よりも、楽譜を見つめて勉強をしている時間がほとんどの割合を占めるんですよ。例えば大学院にいた時は、とにかく毎週新しい曲を課題に挙げられてレパートリーを増やしていくのですが、そこでやった曲でも、数年後に楽譜を見直してみると新発見の連続ということがよくあるんです。過去に勉強をしたことのある曲でも、年齢を重ねてからまた違う視線で新たな解釈ができたために、もう1歩深いところへ持っていけた思い出があります。そうした演奏会の中でもバッハの曲の演奏はとても感慨深かったです。ストラスフィールド交響楽団とエクセルシア・カレッジ合唱団と踏んだステージでしたが、大袈裟に言うと神が降りてくるような感じがしました(笑)。経験や年齢を重ねるとともに、深さを増すようどこまでも努力をすることができ、そこにはゴールがないことも、この仕事の大いなる魅力であると言えると思います。

紳士服の仕立て屋を営む父親に作ってもらったという、思い出の燕尾服
紳士服の仕立て屋を営む父親に作ってもらったという、思い出の燕尾服
文中に出てくる思い出の曲、バッハの楽譜。譜面には書き込みがぎっしり
文中に出てくる思い出の曲、バッハの楽譜。譜面には書き込みがぎっしり

——現在はシドニーのさまざまな団体で指揮者や監督としてご活躍中ですね。

エクセルシア・カレッジ合唱団やストラスフィールド交響楽団、ウィロビー・シンフォニー合唱団、シドニーさくら合唱団などで指揮を振っています。これまでいろいろな環境で指揮をしてきましたが、今が一番楽しいですね。コミュニティーの音楽団体だと団員との距離も近いですし。ストラスフィールド交響楽団は僕が音楽監督になり今年で4年目。お互いの信頼関係という基盤ができているので、コミュニケーションも取りやすいです。もっと上手く説明できたら良いのにと、言葉の壁を感じることもあるんですが、肩肘を張らなくても向こうは僕がやりたいことを分かってくれるんです。すごくアットホームな環境ですね。過去4年間、僕たちのコンサートに毎回通ってくださるお客さんが何名かいらっしゃるのですが、その方たちから「僕が来てからの4年間の成長は非常に大きい」と言っていただいたこともあり、非常にありがたかったです。少しずつ積み重ねてきたものを、コミュニティーの皆さんと共有できるのが本当に嬉しいですね。

指揮棒を振る表情は真剣そのもの
指揮棒を振る表情は真剣そのもの

——最後に、村松さんにとって指揮者に大切なものは何だと思いますか?

最近よく考えるのは「バランス」です。それはもちろん音の強弱ということもあるし、時間的なバランスや、言葉のバランスなども。いろいろなところでバランスが合うよう、天秤にかけて注意しています。オーストラリアのライフスタイルも非常に気に入っているのですが、それだけに、ワーク・ライフ・バランスなどについても考えるようにもなりましたね。仕事も今、すごく充実していますが、音楽以外のこともとても楽しいんです。そもそも僕は基本的に音楽バカなので、つい夢中になってバランスが取れなくなってしまうことも多々あるんですよね(笑)。そういう意味ですべてにおいて均衡を図ることが大事だと思っています。

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る