オーストラリアで今を生きる人 桜井智子さん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

Vol.29 桜井智子

操縦桿を握る自分の手に何十人もの命が掛かっている

将来の夢は宇宙飛行士だった。20代半ばで会社を辞めてアメリカに渡り、航空学校でパイロットの資格を取得。カリフォルニア州で飛行教官として働いた後、オーストラリアに移り住み、教官を経て旅客機のパイロットの仕事を得た。現在、カンタス航空傘下の航空会社、カンタスリンクの機長としてオーストラリアの青い空を駆けている。(聞き手:守屋太郎)

――幼いころから航空機のパイロットに憧れていたのですか?

千葉県の柏市で生まれ育ち、小さいころからサイエンス・フィクション(SF)が大好きでした。SFアニメ「宇宙戦艦ヤマト」や「銀河鉄道999(スリー・ナイン)」の影響で、宇宙への憧れが膨れ上がっていきました。中学生の時、「将来は宇宙飛行士になって、スペース・シャトルに乗るんだ」と真剣に考えたんです。

ただ、視力が低かったので、スペース・シャトルのパイロットになるのは難しそうでした。そこで、当時はEメールというものがなかったので、米航空宇宙局(NASA)の科学者に手紙を書いて相談してみました。すると「ペイロード・スペシャリスト」(搭乗科学技術者)という、船長や操縦手以外でスペース・シャトルに乗ることが出来る専門職なら可能性があることが分かりました。

そのためには、まずは英語を習得しなくてはいけないので、高校2年生の時、NASAの宇宙センターがあるアメリカ・テキサス州ヒューストンに近いアーカンソー州の高校に1年間、留学したんです。それから科学者になるために東京理科大学に進学し、化学を専攻しました。

――どのようにしてパイロットの資格を取得したのですか?

結局、大学卒業後は東京でアメリカの化学メーカーに就職しました。その頃はまだ女性の総合職は少なかったのですが、外資系の会社だったので働きやすかったです。化学製品の輸入マネジメントを担当していました。

その会社で4年近く働いて25歳になった時、ふと「一生このまま? 宇宙飛行士になりたかったのになあ」と思うようになったんです。当時の日本では、女性で25歳といえば人生の岐路みたいなところがありましたからね。仕事も生活も安定していて、ある程度貯金も出来たけど、まだ結婚もしたくないし……。

そんなある日、「パイロットになろう」という雑誌の「航空留学特集」に載っていた女性フライト・インストラクター(飛行教官)の記事に目が止まりました。「飛行機乗りなら可能性はあるかな。飛行教官も楽しそうだ」と考えたんです。やりたくなったらすぐに行動を起こす性格なので、航空留学を斡旋する会社に連絡を取り、3カ月後にはアメリカ・カリフォルニア州のパイロット養成学校に入学していました。「ダメでも28歳くらいまでに日本に帰ってくれば何とかなるだろう」と思っていました。

飛行教官時代の桜井さん
飛行教官時代の桜井さん

実際に飛行機の操縦をしてみたら、とても楽しかったです。最初は1人で操縦することなんて出来ないと思いましたが、怖くはありませんでした。初めて1人乗りの単発セスナで飛行した時は本当にうれしかったですね。それから順調に、自家用ライセンス、事業用ライセンス、教官の資格、双発機の資格などを取得していきました。

パイロットのキャリアというのは、大まかに、自家用ライセンスから始まり、事業用ライセンスを取得し、計器飛行証明、双発機限定などを取得した後、飛行教官や小型機のパイロットとしての経験を積んだ上で航空会社の操縦士にステップ・アップしていく、という流れがあります。私も航空学校を卒業後、カリフォルニア州で2年間、飛行教官や小型機のパイロットとして飛んでいました。

――オーストラリアに渡ったきっかけは?

母の妹家族が1980年代にオーストラリアに暮らしていたので、私が中学3年生の時、いとこと一緒に1カ月間、シドニーに遊びに来たことがあったんです。その時の体験が楽しくて、いつかはオーストラリアに住みたいという思いは持っていました。

せっかくアメリカでライセンスを取得したのに、日本では海外のライセンスは自家用しか書き換えが認められていませんでした。それならオーストラリアに行こうということになり、独立移住ビザを申請しました。発給まで2年ほど待ちましたが、98年にオーストラリアに移り住みました。当時付き合っていたスウェーデン人の現在の夫も同時にビザの取得が出来、99年に結婚しました。

オーストラリアに来てからは、ブリスベンでライセンスの書き換えの訓練、試験をした後、ゴールドコーストのクーランガッタ空港からグレート・バリア・リーフに行くツアーや、パース発着の日帰りツアーで小型機を操縦していました。

実は夫もパイロットです。彼が2000年にカンタス航空で働き始め、拠点がシドニーになったので、それからずっとシドニーに住んでいます。ちょうどその年に第一子が生まれ、03年に第二子が生まれたので、私はその前後の約7年間、飛行機には乗っていませんでした。子育てをしながら翻訳の仕事などをしていましたが、08年に復帰しました。

世界金融危機の真っ只中で、パイロットが不足していたので幸運だったんです。バンクスタウン空港(シドニー南西部)にあったシドニー・フライト・トレーニング・センターという航空学校で、飛行教官の仕事に就くことが出来ました。当時、日本航空(JAL)グループのジェイエアがシドニーにパイロット候補生を送り、この学校で訓練していました。私は約2年間、ジェイエアの候補生の訓練を担当していました。私が担当した候補生の方たちは今、エアライン・パイロットとして日本の空を飛んでいます。

ところが、その後景気が悪くなってその学校は破綻してしまいました。どうしようかと途方に暮れていたところ、ちょうどカンタスリンクがパイロットを募集していました。応募したら運良くテストに受かり、10年に採用されました。

私が操縦桿を握っているのは「ボンバルディアDHC8-Q400」という70座席ほどのターボプロップ機です。シドニーを拠点に、北はケアンズ、南はタスマニアまでの主に地方の路線を飛んでいます。短距離のフライトが多いので、1日当たり5本も飛ぶことがあります。

約7年、この会社でパイロットを務めてきて、16年に機長に昇格しました。何かあった時、最終的な判断を下すのは機長ですから、責任は重いですね。緊急時には、機長は最後の乗客が降りるまで機内に残るのです。

――オーストラリアでも女性のパイロットは珍しいと思います。一番苦労したことは何ですか?

この会社でも女性のパイロットは1割弱くらいじゃないでしょうか。でも、女性だから、アジア人だからということで、職場で特別に扱われたことはありません。

最初に飛行教官の資格を取得した時、面接テストを英語で回答するのが非常に大変でしたが、今でも英語で苦労しています。私が話すのは、やはり日本人の英語です。いまだに「L」と「R」の発音の区別がつかなくて困ることがあるんですよ(笑)。

――一番やりがいを感じる時は?

地上の日常生活ではいろいろ大変なこともありますが、空を飛んでいる時は、操縦席からきれいな日の出やいろいろな形の雲などを眺めながら「パイロットになってよかったなあ」と思うことがよくあります。全神経を集中させるのは、ランディング(着陸)ですね。その時の天候によって、強風で機体が揺れる時もあれば、霧で視界が悪いこともあります。操縦桿を握る自分の手に、何十人もの命が掛かっている。そう思うと、緊張もしますし、やりがいも感じます。

――これまでのオーストラリア生活を振り返っていかがですか?

日本から訪ねてきたお母さんとの2ショット
日本から訪ねてきたお母さんとの2ショット

オーストラリアに住むことが出来て本当に良かったと思っています。アメリカや日本に比べて、オーストラリアのパイロットの雇用条件は恵まれていると思います。誰でも気軽に6週間の年休が取れますし、10年勤続すると更にロング・サービス・リーブという追加の有給も与えられます。そうした雇用条件だけではなく、多文化が混ざり合った社会、自然に恵まれた生活環境、治安や子供の教育環境などの面でも、オーストラリアはとても住みやすい国だと思います。

より遠くへ飛ぶジェット機にステップ・アップすることは、今のところ考えていません。シドニーに家族がいますので、日帰りか長くても2泊3日という現在のリズムが最適です。国内線なので時差もありませんし、年齢的にも現在のターボ・プロップ機の機長というポジションがベストだと考えています。

――オーストラリアに夢を持ってやって来た若い日本人にひと言お願いします。

日本から「パイロットになりたいんですが、どうすればいいでしょうか?」といった問い合わせはよく頂きます。アメリカとオーストラリアで飛行教官として多くの日本人の生徒を教えた経験を踏まえて情報を発信し、やる気のある人を支えることが出来ればと思っています。

パイロットに限らず、人生でやってみたいことや、変えてみたいことがあれば、まず第一歩を自分から踏み出さないといけません。現状に満足していなかったら、まず自分の毎日やっていることを変えなければ、状況は何も変わりません。最初の一歩は小さくてもいいから、行動を起こすことが大切だと思います。

前に踏み出すことで、それが本当に自分がやりたいことなのか、実際に出来ることなのかが更に見えてきます。途中で諦めることもあるかもしれませんが、実際に行動して全力でトライしたと自分で思えれば、後で決して後悔はしないと思います。

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