オーストラリアで今を生きる人 原昂史さん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

Vol.31 原昂史さん
撮影以外の時間を本気で生きる、それが役者としての感性を磨く

目標を失っていた学生時代、宇宙飛行士・毛利衛氏の厳しい言葉が人生を変えた。劇団ひまわりで演劇を学び、プロの俳優の道へ。2016年の来豪以来、レクサス(トヨタ自動車の高級車ブランド)やカンタス航空など大手企業のテレビCMに起用されると共に、ハリウッド映画進出の糸口をつかんだ。映画プロダクションも立ち上げ、クリエーターとしても活動の幅を広げている。(聞き手:守屋太郎)

――少年時代の夢は?

愛知県豊川市で生まれ育ち、小さいころからピアノや体操、水泳、そろばん、剣道などの習い事に明け暮れていました。小学2年生の時、毛利衛さんがスペース・シャトルで宇宙に行ったのを見て、将来は宇宙飛行士になろうと決めました。そのために英会話も学び、毛利さんのように科学者として宇宙に行くことを夢見ていました。

それで自然科学系の道に進もうと考え、高校は県内の進学校に入学しました。しかし、高校時代は剣道にのめり込み、大学受験に失敗してしまいました。志望していなかった県内の私立大学に進学し、「これでいいのか?」とコンプレックスに悩む日々が続きました。

そんなころ、毛利さんに会いに東京に行ったんです。毛利さんが館長を務めている日本科学未来館に行き、無謀にもアポなしで「毛利さんに会わせてもらえないか」とお願いしました。すると、5分だけ時間を頂けたんです。「大学生活に悩んでいます」と打ち明けると、毛利さんに怒られました。「今すぐ大学を辞めなさい。君の人生の時間がもったいない!」

その言葉は、夢と現実のギャップに悩んでいた僕の人生にとって、大きなターニング・ポイントとなりました。

――それからどのように俳優の道に進んだのですか?

まず演劇と和太鼓のサークル活動にのめり込みました。厳しい練習をこなしながら、和太鼓のミュージカルの演出や主役をやりました。

プロの役者になろうと考えたのは21歳の時。初めてニューヨークに行き、ブロードウェイ(ミュージカルのメッカとして知られるニューヨーク市内の劇場街)でミュージカル『レント』(Rent=1996年から12年間のロングラン公演となったロック・ミュージカル)を鑑賞しました。客と舞台が一体化しているのを見て、「これが本物の芸術だ」と感動しました。そして将来はプロの役者として「海外に出たい」という思いを抱くようになったんです。

結局、大学は辞めませんでしたが、2009年に卒業後、劇団ひまわりに入りました。14年までの6年間、芝居やダンス、歌、舞台アクションなどを幅広く勉強しました。11年から15年まで「フランス演劇クレアシオン」の岡田正子先生に師事し、「ベラ・レーヌ演劇システム」を学びました。

役作りの一環として中国でカンフーも学びました。海外では特別なスキルがないと埋もれてしまいます。ハリウッドでアクションも演じられるように自分を差別化するため、特別なスキルを身に着けようという思いがありました。

そのうちにNHK大河ドラマ『八重の桜』(2013年)や『軍師官兵衛』(2014年)を始めテレビドラマや舞台の仕事を頂けるようになりました。特に印象に残っているのは、ミュージカル『レ・ミゼラブル』のプロモーションで、フラッシュ・モブ(インターネットなどで呼び掛けた不特定多数の人が、公共の場所で突然、ダンスや演奏などを行うパフォーマンス)の主役に抜擢されたことです。何十人のチームを引っ張って成果を出せたことは、かけがえのない経験になりました。

――なぜオーストラリアへ来ようと考えたのですか?

30歳の節目に念願の海外渡航を決意しました。オーストラリアは、『スター・ウォーズ』など数々の映画制作を手掛けたシドニーのフォックス・スタジオを始めハリウッドの映画制作会社の拠点があります。映画や舞台芸術を推進する環境も整っています。アメリカへの渡航も考えましたが、オーストラリアならワーキング・ホリデーで仕事をしながらチャンスがつかめる可能性があると考え、1年半前の2016年3月にシドニーにやってきました。

映画業界の集まりに顔を出すなどして3〜4カ月間かけて情報を集め、最初に得た仕事は学生映画のエキストラでした。俳優・モデルのエージェントに登録してオーディションを重ね、フォックステル(ケーブルテレビ大手)やマッコーリー銀行のテレビCM、短編映画、テレビやドラマなどに出演する機会をもらいました。

2017年に入り、レクサスのテレビCMで得意の和太鼓奏者を演じることができたのは特にうれしかったですね。テルストラやカンタス航空のテレビCMでも日本人の役で起用されました。ハリウッドのSF怪獣映画『パシフィック・リム・アップライジング』(2018年公開)にもエキストラで出演しています。

それでも生活は決して楽ではありません。学校に通いながら地元のホテルで働きつつ、オーディションに受かればCMや映画、ドラマに出演して何とか生計を立てています。ホテルの仕事をしていると地元の人たちの生きた言葉が学べ、さまざまな人間との交流も役作りにプラスになっています。

自分の強みは、オーストラリアで育ったアジア系の俳優と比較すると、日本人として差別化、ブランド化できていることでしょう。自分に合った「日本人像」を演じることのできる仕事をやっていきたいですね。子どもの時からやっている剣道や武術のスキルもアクション・シーンで役立っています。

――直近の活動について聞かせてください。

短編映画『デイリー・ブレッド』に出演した原さん(左)

短編映画『デイリー・ブレッド』に出演した原さん(左)
短編映画『テイク・ハー・アウト』で殺し屋役を演じる原さん

短編映画『テイク・ハー・アウト』で殺し屋役を演じる原さん

自分が主役の長編映画を作りたいという目標があります。その一歩として、ゲームやアニメが大好きな映画人の仲間と一緒に、映画プロダクション「ザ・ワースト・ジェネレーション」(最悪の世代)を立ち上げました。ユーチューブのチャンネルを開設し、世界のアニメ・ゲーム世代に向けてCG(コンピューター・グラフィック)を駆使したSFアクションやファンタジーなどの映像作品を配信していく予定です。

今制作しているのは、AR(拡張現実)ゲームの世界をシドニーの美しい風景に重ねたSFアクションの短編です。これをベースにクラウド・ファンディングで短編映画を作って国際映画際に出品し、更に長編のオーストラリア映画を制作する計画を練っています。

プロダクションを立ち上げたのは、表現したいことを100%実現するには、自分で脚本を書くか、自分が一緒に作りたいと思う監督と組まなければ難しいと考えたからです。友人のジェイク・ブライというオーストラリア人の映画監督と一緒に運営しています。

2016年、彼と一緒にサスペンスの短編映画『テイク・ハー・アウト』(Take her out)という作品を作りました。彼が監督、僕が主役を務め、「シドニー・ビデオ・メーカーズ・クラブ」(映像制作者の非営利団体)のドラマ部門の最優秀賞を受賞しました。

――今後の目標は?

ベラ・レーヌ・システムの岡田先生に「役者としての感性を磨くためには、稽古場の外でいかに生きるかが大事だ」と言われ、それを自分は真摯に受け止めています。オーストラリアまで来て30歳を過ぎて定職に就かず、CMの仕事だけで生活は安定していないので、1人で公園のベンチに座って打ちひしがれる時もありました。でも、その瞬間も一生懸命に生きることを大切にしています。

撮影の時間以外のシドニー暮らしの中で、楽しいこと、辛いことを全て受け止め、本気で生きる。それが自分の感性を磨くことにつながると思っています。頂いた役の人間は、作品の中で本気で生きています。現実世界を本気で生きていない人間は、作品の中でも本気で生きられないと考えています。

自分が舞台の上やカメラの前に立つと、一度しかない人生を自分が生きていることを強く実感します。自分が人前で表現することで、誰かを感動させることができる機会を得ていることに、幸せを感じるからです。

僕が目指す俳優像は「兄貴」です。トム・クルーズやアーノルド・シュワルツネッガーのようなスーパーヒーローではなく、これからの世代の子どもたちが「タカシのような背中を目指したい」と思えるような俳優になりたい。完璧ではないけれど、もがき苦しみながらも何かを達成する。そうしたロール・モデル(模範となる人物)になりたいですね。

そんな僕の背中を見て「自分が本当にやりたいことで、海外で食べていけるかもしれない。誰かを幸せにできるかもしれない」という人が1人でも増えたらうれしいです。そんな俳優になるために、売れたいし、有名になりたい。それを表現するために、自分のストーリーを脚本に書きたい。

更に、将来、俳優として十分に成功することができれば、教育に還元したいと思います。劇団ひまわり時代に生活のために塾講師をやっていたこともあって、次世代の子どもたちの教育に関心があります。自分が持っていた学歴コンプレックスを子どもたちに持って欲しくないんです。それが、学校を作ることになるか、留学支援になるか、講演活動になるかは分かりませんが、「君も自分の好きな分野で、世界を舞台に活躍できるかもしれない」ということを広めていきたいですね。

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