オーストラリアで今を生きる人 武南恵子さん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

Vol.32 武南恵子さん
この仕事に終わりはない、現状に甘んじず一生続ける

メーカーの海外営業を経て、オーストラリア企業の対日進出を支援する経済団体の仕事をきっかけに来豪した。持ち前の敏速な行動力とコミュニケーション能力を武器に、スピーチ・パソロジスト(言語療法士)として第2のキャリアを切り開いた。現在、シドニーで、幅広い障がいを持つ子どもを対象に、言語とコミュニケーションの能力を伸ばすための訪問セラピーを行っている。(聞き手:守屋太郎)

――幼少時代から海外で活躍したいという夢を持っていたのですか?

大阪市内で生まれ育ちました。幼いころ、父と一緒にテレビでアポロ11号の月面着陸の瞬間を見て、宇宙飛行士の話す言葉が強烈に心に響いたんです。「何これ? 何を言っているの?」と好奇心をそそられ、英語に強い興味を抱くようになりました。

私が通っていた私立の小学校では、当時では珍しく英語の授業があり、英語の塾にも通いました。英国のケンブリッジ大学で修士号を取得した日本の大学教授が、趣味で英語を教えていて、小学校3年の時から1週間に1回30分、英語の本を読みました。その時間をとても楽しんでいました。

特に海外に憧れていたわけではなかったのですが、とにかく英語が好きだったんです。関西外国語大学の英米語科に進み、将来は翻訳家になりたいと思っていました。

その当時、女性は会社でお茶くみをし、結婚したら退職というのが当たり前の時代でした。しかし、女性も自立して好きな道を切り開けるようにと、両親は小さい時から私が好きなことにチャレンジさせてくれました。

大学4年の時に「私の力では翻訳家ではやっていけない」と悟り、卒業後はブレーカー(配線用遮断器)を製造する企業に就職しました。海外営業部に配属され、入社2年後にオーストラリア担当を命じられました。女性として初めて海外出張に行かせてもらえたのは、とてもラッキーだったと思います。

――オーストラリアへやって来たきっかけは?

1987年にメルボルンの代理店に出張で行かせてもらいました。それが私の初めてのオーストラリアとの出会いでした。「何て楽しい所なんだ」というのが第一印象でしたね。代理店と商談したり、展示会に出展したりする中で、日本にはない可能性を感じました。

その後、オーストラリアの中小企業の日本進出を支援する通商事務所「オーストラリアン・ビジネス・オフィス・ジャパン」が大阪に開設されることを知りました。これは私に最適な仕事だと思い、すぐにメルボルンに飛び「私に仕事をさせてください」と直談判しました。そして東京での面接を経て採用が決まりました。

92年の事務所開設と同時にマーケティング・マネジャーとして働き始めました。当時のオーストラリア企業はこぞって日本市場に目を向けていました。各州の商工会議所を通して、オーストラリアの中小企業が日本へ足掛かりを築くお手伝いをしていました。

オーストラリア商工会議所(ABC)が日本とのビジネスを強化するに当たり、シドニーで日本人担当者を雇うことになりました。そのタイミングで私に声を掛けて頂き、96年4月にシドニーに赴任したのです。

――日本とオーストラリアをつなぐビジネス・パーソンから、スピーチ・パソロジストという全く異なる職業に転身したのはなぜですか?

15年間、海外営業をやってきて「これをずっと続けていくのかな?」と感じ始めたんです。自分の伸びが見えなくなってきて、頭打ち感がありました。中年の心理的な不安を表現した「ミッドライフ・クライシス」(中年の危機)という言葉がありますが、私は「ミッドライフ・アセスメント」(中年の再評価)と呼んでいます。

そんなある日、日豪プレスの広告が目に止まりました。シドニー大学のスピーチ・パソロジー科が、英語の発音矯正実習のために日本人ビジネス・パーソンを募集していたのです。例えば、「Cat」(ネコ)と「Cut」(切る)、「V」と「B」、「L」と「R」といった発音の違いを何度も反復練習するというものです。実習に参加してみて、雷に打たれたようなショックを覚え、「私はこれをやってみたい」と閃きました。

早速、スピーチ・パソロジーについて調べてみると、コミュニケーションを助ける学問だということが分かりました。シドニー大学とマッコーリー大学の2つのスピーチ・パソロジーの先生に直接、話を聞きに行きました。マッコーリー大学の学部長が「気になるなら、まずやってみろ。ダメでも半年後にまた元の仕事に戻れば良い」と背中を押してくれました。

99年11月に仕事を辞め、2000年2月からマッコーリー大学で新しい学生生活がスタートしました。でも2年間の必修過程を修了できたとしても、次の修士課程に進めるとは限りません。70人中19人しか合格できないという狭き門でした。

必修課程と修士課程の合計4年間、寝る間も惜しんで1日当たり最高17時間は勉強していました。毎日山ほどの本を読み、毎週期限が来る課題をこなしながら、ものすごい量の論文を書かないといけません。金曜日の夜に一息付いて日本料理を食べに行くのが、唯一の楽しみでしたね(笑)。

――卒業後、仕事はどうやって見つけたのですか?

以前から実践的な仕事をしていましたので、学問よりも実務がしたいという希望はありました。ただ、必死に勉強して修士課程を修了したものの、ビザの問題がありました。その時、ビザ・コンサルタントの方から、VIC州とTAS州に2年以上居住すれば永住権が取得できる技能職リストに、スピーチ・パソロジストが入っていることを教えて頂きました。

その週に、発達障がいの子どもをサポートするVIC州バララットの非営利団体(NGO)「ピナーク」に応募し、雇ってもらえることになりました。上司はオーストラリアで「自閉症のグールー(第一人者)」として知られているロビン・ガーネット氏で、私のことを気に入ってくれました。彼女は今では親しい友人です。

この施設は、あらゆる障がいを持つ就学前の子どもを対象としています。初日から「あなたのクライアントよ」と言われ、1人で仕事を任されました。いきなり広い海に投げ出された気分でしたが、上司や自分より若い先輩たちが親身になって何でも教えてくれ、サポートしてくれました。

――現在の活動について聞かせてください。

ピナークで3年間、経験を積んだ後、シドニーに戻ってしばらく民間の施設で仕事をしました。12年に独立して「ケイコ・タケナミ・スピーチ・パソロジー」という訪問専門サービスを手掛けています。

独立したのは、人に雇われていると自分の思うようにサービスができなかったからです。十分に時間を掛けて子どもをフォローすることが難しいし、クリニックでは子どもの実生活を見ることができません。クリニックの中ではできたことが、他では応用が利かないというケースが多くあります。徐々にフラストレーションが溜まってきて、「自分でやるしかない」と考えるようになりました。

昨年の「アジア太平洋自閉症カンファレンス」に出席した武南さん
昨年の「アジア太平洋自閉症カンファレンス」に出席した武南さん

自閉症スペクトラムや他の発達障がいを持つ子どもを対象としています。家庭の他にも、託児施設、幼稚園、学校でもセラピーを行っています。対象は子どもですが、両親とも話をします。日常生活で家族がセラピストになってもらうことが、非常に重要だからです。初めのアセスメントは2時間、セラピーはおおむね1週間か2週間に1回、1時間です。

スピーチ・パソロジーには、大きく分けて①構音(音の出し方)、②言語(人が話していることの理解と、自分が言いたいことの発話)と社会性(言語を人に対して応用できるかどうか)、③吃音(どもり)、④声、⑤授乳と摂食、があります。これらの要素から、言語とコミュニケーションの能力を伸ばすことを目的としています。

科学的なエビデンス(証拠)に基づいたプログラムを実践しています。新しい研究成果や情報が常に発表されていますので、カンファレンス(専門家が集まる会議)には足を運び、ソーシャル・メディアで常に新情報を共有するように心掛けています。

――今後の人生の目標は?

いずれ時間的なゆとりができれば、いったん大学に戻って、博士課程(PhD)の研究に打ち込みたいと思います。バイリンガル(二言語話者)やマルチリンガル(多言語話者)の人はどんどん増えています。しかし、マルチリンガルの自閉症の研究は進んでいません。

私は、両親が自分の話したい言語を話さないと、子どもへの言葉の伝わり方に、質と量が出ないと考えています。母国語以外の言語を使うことは、言語とコミュニケーションの発達に遅れを生じさせる可能性があります。そうしたことをPhDのテーマにしたいと考えています。

日本人の両親には「自分が一番使いやすい日本語で、子どもに話してあげてください」と言っています。加えて「早期療育」も非常に重要です。子どもの発達に疑問を感じた時はできる限り早く専門家に相談して欲しいと思います。

スピーチ・パソロジーというのは、成果が保証されたものではありません。伸び方は個人差が大きい。でも、何かを言うことができるようになったり、1つの作業を終わらせることができたりと変化が形になって、両親が「ありがとう」と言ってくれる時は本当にうれしいです。

この仕事に「ここまでやれば終わり」という頂点も存在しません。現状に満足することなく、常に新しい情報を身に付けて還元したい。定年退職もありません。人とのコミュニケーションが好きだから、死ぬまで仕事を続けていきたいですね。

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