オーストラリアで今を生きる人 白圡健美さん

オーストラリアでを生きる人

オーストラリアの日系コミュニティーで今を生きる、さまざまな人のライフスタイルを追うコラム。

白圡健美さん

タウンズビルで日本の水田を再現

福島県の生産者を受け入れたい

約30年前にワーキング・ホリデーで来豪したのを機に移住、シドニーでプロのカメラマンとして活動した。2006年に帰国した際、自然の水のサイクルを利用した日本の米作りの素晴らしさに気付くとともに、荒廃した耕作放棄地が広がる風景にショックを受け、日本の水田を守るために立ち上がった。福島県いわき市でNPO「いわきワールド田んぼプロジェクト」(IWTP)を設立し、耕作放棄地の再生と無農薬農法による米作りを始めた。ところが、東日本大震災で被災し自宅が半壊。借りていた農地も耕作できなくなってしまったため、震災後にオーストラリアに戻り、QLD州中東部タウンズビルで無農薬による日本式の水田稲作を実践しながら福島の「サテライト・ファーム」を作った。それを福島県の生産者の受け皿にしたいと考えている。

 

——3年前、オーストラリアでゼロから米作りをスタートしたと伺っています。

わずか100グラムの種もみ(作付用の米の種子)から、1人で田んぼを耕して始めたプロジェクトです。日本人がオーストラリアで米作りをすることで、いろんな可能性が広がるのではないかと。ここバーデキンでは年中作付けができ、コシヒカリだと3カ月当たり1回収穫できるので毎月田植え、毎月収穫、毎月新米のおいしいお米を提供できるパターンを作ることを計画しています。


車体の後ろにはIWTPのロゴが光る

私たちが目指しているのは、原発事故で被害を受けた福島県の農家が夢と希望を持って農業を続け、以前と同じ収入を得られる道をいかにオーストラリアで作るかということです。消費者やレストランへのダイレクト・マーケティングを考えています。以前の収入を得ることができれば生計を立てることは可能だと思います。日本とオーストラリアの距離という壁はありますが、生産者がオーストラリアに来やすくする段取りを付けることが私たちの仕事です。いわば、オーストラリアに土俵をつくり、定期的に福島の農家の方々に来てもらって、思う存分相撲をとってもらえる環境を作ろうということです。

日本の水田には水を循環する文化がある

——なぜカメラマンから転業したのですか?

たまたま06年に故郷のいわきに帰ったのがきっかけです。かつては田んぼと畑ばかりだった実家の周りが住宅地に変貌していました。近所にできたコンビニに行ってみると、弁当が山積みになっていて、賞味期限が来たら捨てられています。「食料自給率が約40パーセント(注:カロリー・ベース)の国で、こんなに食べ物を捨てていたら、大変なことになるぞ」とさまざまな人に声を上げてもらいました。

ちょうどそのころのオーストラリアは、深刻な干ばつに見舞われていました。穀物は凶作で生産が急減し、牧草が育たないので家畜も減りました。その一方で、食糧自給率40パーセントの日本では食べ物を粗末にしています。でも「こんなことをしていたら、いつか本当に大変なことになる」と主張しても、誰も聞く耳を持ってくれないんです。

なぜかと言えば、日本は山の緑も水資源も豊富にありますので、水不足で植物が育たないと言っても、ピンと来ないんです。オーストラリアでは、氷河期に貯まった水を深い地下からくみ上げて、それを畑に撒いて作物を生産している所がたくさんあります。しかし、その水は2度と補給されず、くみ上げればくみ上げるほど土地は枯れていきます。石油を掘り尽くしたら資源が枯渇するのと同じ理屈です。

一方、日本ではどこに行っても水田があります。豊かな雨水や雪解け水をため池に貯水して、それを水田に引いて稲を育てて米を作っています。地下水を使うことなく、天からの恵みによって主食を育てています。3,000年とも言われる稲作の歴史の中で、何も変えず、水を自然に循環させているのです。墾田永年私財法や三世一身の時代には既に、水を循環させるシステムを作り上げていました。そして、米は通貨の代わりになり、米を多く作れば収入が増えるという仕組みが奨励されてきたんです。

水田の水は蒸発して雲になり、雨を降らしてまた水田に戻ってきます。水分の蒸発によって気温を下げる効果も期待できますし、水田は川の氾濫や土砂災害を防ぐ自然のダムにもなります。そうした仕組みを持つ水田や稲作を見て「これはすごいことだ」と気付いたのが、米作りを始めたきっかけです。それまで経験が全くなかったので、とにかくさまざまな所に行って教えてもらいました。

 

——その時点では、日本で米作りをしようと考えていたのですか?

日本で米作りを学んだ上で、オーストラリアで水田を作ってみようと思っていました。オーストラリアでも田んぼを作れば、水の循環の仕組みができるのではないかと考えたのです。

最初は、自然を利用した水田の優れた文化を学んで、それをオーストラリアに広めようと思いました。ところが、日本では行く先々で高齢化が進んでいて、儲からないから子どもには農業を継がせたくないという人ばかりでした。効率的で大規模な稲作をやろうという人がいても、減反政策に背く行為とされてその地域一帯の補助金がカットされてしまうので、いわば村八分にされてしまいます。結局は農地の一部を放棄するしかありません。担い手もどんどんいなくなって、水田の役割が果たせなくなった土地は荒廃していきます。土砂災害も防げなくなります。

オーストラリアに戻る前に、なんとかしなければ日本の田んぼがなくなってしまうのではないかという危機感を抱きました。そこで、若い人に水田の魅力を伝える活動を始めました。「いわきワールド田んぼプロジェクト」です。でも、機械などもすべてそろえなければ土地を借りることもできません。全財産をはたいて、機械を買って、フラ・ガールで有名な「常磐ハワイアン・センター」という施設の近くに土地を借りました。育てた稲で作品を作る「田んぼアート」などのイベントを開き、子どもたちが集まってきてようやく軌道に乗ってきました。そのころ、震災と原発事故が発生したのです。

度重なる困難を経てようやく収穫

——原発事故の前からプロジェクトを立ち上げていたわけですね。

5年越しの努力が、原発事故ですべて水の泡になってしまいました。「自分にできることは何か」を考えた時に、オーストラリアの永住権を持っていることが生かせるのではないかと考えたんです。そして、3年前に再びオーストラリアに活動の場を移しました。


タウンズビルで日本式の水田稲作を実践

タウンズビルの農業試験場で、1本のくわと100グラムの種もみ(植え付け用の米の種子)から、1人でせっせと田んぼを耕してまたゼロから活動を始めました。この土地では今まで誰もコシヒカリの生産の成功した人はいなかったんです。試験場の方にも、ここでは水は貯まらないと言われました。とにかく代掻き(しろかき=田植えの前に、水田に水を入れて土壌を細かく砕いてかきならすこと)から始めました。

代掻きは、水を入れながら砂をくわでかき混ぜていく作業です。代掻きをすると、軽い砂が上に浮かんできて、それが沈むとそれが膜になって水が貯まっていきます。試験場の方には絶対うまくいかないと言われていたのですが、稲を育てて収穫して、種もみを確保するという作業を行いました。

そこから車で30分ほど行った所に、新たに約3,000ヘクタールの農場を見つけました。山や湖があり、自分が思い描いていた福島の農場のイメージに似ていて、何度も通って貸してくれと頼みに行きました。そこで25ヘクタールの土地を借りて植え付けしたのですが、突然、土地が競売にかけられることになり、結局、収穫前に出ていかなければならなくなりました。その後、再び試験場に農地を1年貸してくれと交渉して田んぼを作り直しました。ようやく収穫にこぎつけたのが、2014年11月16日のことです。

 

——数々の苦難を経て、これまでの努力がなんとか実を結び始めました。今後の展望はいかがですか?

将来的には、3,500トンの種もみを確保して、875ヘクタール分をここで植え付けしたいと思っています。福島県の生産者や農業を目指す若者をこちらに呼び、1人当たり25ヘクタールずつ面倒を見て35区画で作付けすれば、875ヘクタールになります。ここの地元の農家も、若者は鉱山や都会に行く人が多いので、後継者問題を抱えていますから、土地を貸してくれる人にもメリットがあります。また、ワーキング・ホリデー・ビザで滞在している人にはセカンド・ワーキング・ホリデー・ビザの就労日数を加算することができます。興味がある人はぜひお越しいただければと思います。毎月田植えと収穫ができるところなので、何年分もの経験が短い期間で経験でき、日本の若い人が農業を目指すには、最高の場所だと思います。

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