ダットン移民大臣

政界こぼれ話人物編 その181

ダットン移民大臣


自由党のピーター・ダットン移民・国境保全大臣は、1970年11月18日にQLD州の州都ブリスベンで誕生している(45歳)。1860年代に入植した酪農家の家系である。勤労少年で、新聞配達や芝刈りのアルバイト、そして肉屋のアルバイトなどを熱心に行った。高校卒業後は警察学校に入校し、卒業後は9年間にわたりQLD州警察の警察官となっている。性犯罪やドラッグ取り締まり部門に配属されたが、警察官の職務を通じてダットンは、社会や人間の残忍さと同時に慈愛の深さを経験したと述懐している。警察官としての経験がダットンを鍛え上げたのは間違いない。警察官の時代にもダットンは父親と共同で小ビジネスを経営していたが、99年に州警察を辞職した後は、同ビジネスに集中し、また遅まきながらQLD工科大学より学士号を取得している。政治への関心は若い頃からのもので、実際に18歳の時に自由党に入党している。

ダットンは自由党を選択した理由として、自由党の政治哲学である個人主義に強く惹かれたためと述べている。政界入りは2001年11月の連邦下院選挙である。地元のディクソン選挙区の自由党予備選挙に勝利し、党の公認候補となったものの、本選挙での勝利は相当に困難と予想されていた。その理由は、現職が労働党のカーノーであったからだ。このカーノーは民主党の党首時代に突然記者会見を開き、民主党からの離党と労働党への入党を公表して、周囲を唖然とさせた人物だが、民主党党首時代には高い人気を誇っていた政治家である。労働党の花形リクルートとして、カーノーは98年選挙でディクソンから出馬し、勝利を収めていた。ところがダットンは、このカーノーを01年選挙で見事破り一躍有名人となった。次の04年選挙後の組閣では、早くも閣外の労働参入相として初入閣。また06年1月の改造では財務副大臣に昇格している。

当時のハワード首相は、「気合いの入った」ダットンを高く評価していた。07年選挙では保守連合が下野したが、ダットンは影の予算相や影の保健相を歴任。そして13年選挙でアボット保守政権が誕生すると保健相に就任している。ただ保健相の時代には、メディケア共同拠出政策への強い批判で苦境に陥った。それもあって、14年12月の改造では移民・国境保全相に異動し、また今年9月に誕生したターンブル保守政権でもそのまま続投して、現在に至っている。

思想・信条だが、ダットンは自由党の強硬右派に分類され、「安価な政府」を強く標榜し、また社会政策分野でも相当に「硬派」と言える。警察官出身という経歴、移民相としての厳格な姿勢、体格の良さ、そしてあまり笑顔を見せないことから、確かに「強面」のイメージがあるが、実は慈愛に満ちた公正な人物である。それを如実に示したのが、シリア人難民キャンプを訪れた際のダットンの言動であった。家族は妻のキリリーと2男1女である。

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