マーベラス・メルボルン「ホテルとパブ」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第21回 ホテルとパブ

メルボルン最古の建築物の1つでもあるデボンシャー・アームズ・ホテル
メルボルン最古の建築物の1つでもあるデボンシャー・アームズ・ホテル

オーストラリアでは、ワインなど酒類のボトルをレストランに持ち込める「BYO(Bring Your Own)」という制度がある。同国で「ホテル」は宿泊施設ではなく、酒を飲めるパブを指すことが多く、新設のパブでさえホテルと言うこともある。これは1800年代の植民地時代に「テンペランス・ムーブメント」と呼ばれる禁酒運動が盛んになり、酒の販売・提供が制限され、一部の飲食店やホテルにライセンス供与が限られたことに起因する。禁酒運動は、19世紀初頭にイギリスやアメリカで始まり、後にヨーロッパやオーストラリアで流行した。

ヤング&ジャクソンズ・ホテル
ヤング&ジャクソンズ・ホテル
マックス・ホテル
マックス・ホテル
ミトラ・タバーン
ミトラ・タバーン

イギリスの宿屋で酒が提供されるようになったのは、2世紀前後のローマ帝国のブリテン島統治時代に始まる。ブリテン島全体に軍隊移動目的でローマ街道を作り、そこに兵隊が泊る用途で宿場街を作り、兵隊に飲食を提供するために店を兼ねた宿屋を開設した。これが13世紀頃に「イン」や「タヴァン」と呼ばれるようになった。タヴァンはギリシャ語の「タベルナ」(レストラン)が語源である。

パブ(パブリック・ハウス)は、19世紀半ばにイギリスで始まった呼び名で、地方ではスポーツ・クラブなどを併設したクラブ・ハウスの意味であったが、ロンドンなど都市部では飲食施設を意味し、インは簡易宿泊所を伴った飲食店であった。

オーストラリアのホテルはインとパブを合体したもので、19世紀には宿泊設備を伴ったインであったが、徐々にパブの意味となっている。

メルボルン最初のホテルは、メルボルンの創設者ジョン・パスコ・フォークナーが建てたシェークスピア・ホテルだが、現在も初期のホテルがたくさん残存している。代表的な物を幾つか紹介する。

●デボンシャー・アームズ・ホテル(34 Fitzroy St.)
1843年建築、メルボルン最古の建築物の1つであるが、現在は皮肉にもセントビンセント病院の中毒患者を収容している。

●ヤング&ジャクソンズ・ホテル(フリンダース駅前)
1853年建築 オーストラリアで最も有名なパブ。2階の名画・クロエは必見。

●ウェリントン公爵ホテル(142 Flinders St.)
1850年建築、メルボルンで最も長くライセンスを保持しているパブ。労働者階級のパブであったが、近年は高級パブに改装。

●マックス・ホテル(34 Franklin St.)
1854年建築、2階に宿泊所を持つ。ゴールド・ラッシュ期の鉱夫や騎馬警官隊も利用した。当時の姿を最もよく残している。

●ミトラ・タバーン(Bank Place)
建築は1850年以前、ライセンス取得しパブになったのは68年。中世的な外観を持つ。シティーのビジネス街の真ん中にあり、ビジネスマンが多い。

●グレース・ダーリング・ホテル(114 Smith St., Collingwood)
1854年建築、ブルー・ストーン石材を使用したクラシカルな外観。ステーキが名物で筆者もよく利用したパブ。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

新着記事

新着記事をもっと見る

NICHIGO CHANNEL

新着イベント情報

新着イベントをもっと見る