マーベラス・メルボルン「オーストラリア最初の鉄道」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第26回 オーストラリア最初の鉄道

オーストラリア最初の駅であるフリンダース駅
オーストラリア最初の駅であるフリンダース駅

1854年9月12日に、オーストラリア初の旅客鉄道路線メルボルン・サンドリッジ線が開業した。ゴールド・ラッシュでポート・メルボルンに押し寄せる移民をシティーへ運ぶためであった(第7回、8回参照)。

メルボルンの港町は、メルボルン湾からヤラ川をさかのぼり、メルボルン中心部のクイーン橋北詰の小さな桟橋(現在のエンタープライズ・ワーフ)であった。大量に押し寄せる移民を市内中心部に運ぶにはヤラ川をさかのぼるのが一番の方法であったが、ヤラ川の水深が浅いため、小さな船しか上ることができず大量輸送には向かなかった。

オーストラリア全植民地の合意により、軌間(ゲージ)は1,600㎜広軌が採用された。53年にメルボルン・ホブソン湾鉄道会社が設立された。シドニー・パラマタ鉄道の開業はメルボルン・サンドリッジ線開業の約1年後の55年9月26日。ホブソン湾のサンドリッジ海岸にステーション・ピア桟橋を築き、ヤラ川をサンドリッジ橋で越えてテルミナス駅(現在のフリンダース駅)まで4キロの距離であった。

世界で一番移民を受容れたステーション・ピア
世界で一番移民を受容れたステーション・ピア
移民のモニュメントがあるサンドリッジ橋
移民のモニュメントがあるサンドリッジ橋
観光目的で造られたセントキルダ駅
観光目的で造られたセントキルダ駅

57年にフリンダース駅・セントキルダ駅線が開業した。セントキルダ海岸が資産家のリゾート地として人気を集めており、当初はセントキルダ通りを経由して馬車で通ったが、多くの人びとがリゾート地に向かうために鉄道路線が建設された。

メルボルン・ホブソンズ湾鉄道会社は、セントキルダ・ブライトン鉄道とメルボルン近郊鉄道会社の2つの民間鉄道会社を吸収合併し、その後ビクトリア植民地政府に接収され、ビクトリア鉄道となった。両線のゲージは、標準の1,435mmに転換され、現在はトラム・ルートの109番と96番になっている。

ジーロン・メルボルン鉄道会社がビクトリア第2の都市ジーロンとメルボルンを結ぶために52年に設立された。

ジーロン・ウィリアムズタウン線は、57年に開業したが、ウィリアムズタウンとメルボルン間の鉄道路線は開通していなかった。

そこで、メルボルンからサンドリッジ鉄道線でポート・メルボルンまで行き、ステーション・ピア桟橋からフェリー・ボートでウィリアムズタウンへ渡り、ジーロンまで鉄道で行く方法が取られていた。59年にメルボルン・ウィリアムズタウン間が開通して、不便は解消された。

英米での鉄道の普及は1830年代後半であり、メルボルンはゴールド・ラッシュによる資金を基に十数年で英米に追い付いている。日本では新橋・横浜間が72年に開業している。

オーストラリア最初の鉄道は、現在のトラム109番になっており、シティーからポート・メルボルンまで行き、歩いてステーション・ピアを回る観光コースはお薦めである。


文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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