マーベラス・メルボルン「冷蔵庫の発明と冷えたビール」

メルボルンはかつて世界一の金持ち都市となり「マーベラス・メルボルン」と呼ばれた栄華の時代があった。メルボルンを首都としたオーストラリア連邦政府ができる1901年までの50年間、メルボルンっ子はいかにして驚異のメルボルンを作り上げていったのか――。

第27回 冷蔵庫の発明と冷えたビール

冷蔵庫を先駆けて導入していたビクトリア・ビール醸造所
冷蔵庫を先駆けて導入していたビクトリア・ビール醸造所

1856年、メルボルンに次ぐビクトリア第2の都市ジーロンで、起業家兼発明家のジェームズ・ハリソンが世界に先駆けて機械式冷蔵庫を商業化し、販売を開始した。ハリソンの冷蔵庫は、原理的には英米で数年前に開発されていたが、実用化の面で先行した。

冷却の原理は、基本的に現在と同じであった。エーテルを冷媒として圧縮機で気体を圧縮、外気で冷却された気体を液化させ、その液体を冷蔵庫内で急激に膨張させることで冷気を作り冷蔵庫を冷やす方式である。ハリソンは51年に製氷機を開発し、54年に販売を開始した。5メートルの巨大なフライ・ホイルを回し1日3トンもの氷を作り出す本格的な物であった。

この時代には電気がなく、石炭ガスがエネルギー源として使用された。56年から石炭ガスがメルボルン市内の店舗や事務所にガス製造工場からガス・パイプラインを通して供給が開始された(第18回参照)。

56年にハリソンは、ビール製造会社の要望によりビール冷却用の冷蔵庫を開発した。すると、ハリソンの冷蔵庫は、瞬く間にメルボルンのビール業界に普及した。先に冷蔵庫を導入したビクトリア・ビターやカールトン・ビールなどのビール会社が冷えたビールを市内のパブに独占的に供給を開始したため、他のビール会社もすぐに冷蔵庫の導入に踏み切った。ビール冷却用冷蔵庫を開発後、ハリソンはイギリスに出向き冷蔵システムと機械で特許を取得している。

ヨークシャー・ビール醸造所
ヨークシャー・ビール醸造所
アングリス食肉厩舎
アングリス食肉厩舎
メトロポリタン・ミート・マーケット
メトロポリタン・ミート・マーケット

ビール業界に続き、食肉業界でも冷蔵庫の採用が相次いだ。

メルボルン市内中華街に当時の食肉業界を知る貴重な建物(現在は有名レストラン)がある。職業訓練専門学校のTAFEで有名なウィリアム・アングリスが経営した食肉貯蔵庫&デリバリー・センターである。

アングリスは、21歳でイギリスからメルボルンに移住し、都心のバーク通りに大きな食肉店を開店した。

シティーのレストランやパブへの食肉デリバリーのために馬と馬車の厩きゅうしゃ舎が必要となり、中華街リトルバーク通りに2階建て煉瓦作りの建物を作り、本格的な冷蔵庫を導入した。1頭立て2輪カート馬車、2頭立て4輪ワゴン馬車は1階に駐車し、馬は傾斜路を歩いて2階の厩舎に入れられた。2階では45頭の馬が飼われていた。ビクトリア・マーケットから、79年に分離された食肉市場メトロポリタン・ミートマーケットの地下にも本格的な冷蔵庫が設置された。

電気や自動車がない時代に、本格的な冷蔵庫が普及し、食肉のデリバリー体制も出来上がっていた。メルボルンっ子たちは、一流レストランやパブで上質なステーキを食べながら、冷えたビールを飲んでいたのである。


イタさん(板屋雅博)

文・写真=イタさん(板屋雅博)
日豪プレスのジャーナリスト、フォトグラファー、駐日代表
東京の神田神保町で叶屋不動産(Web: kano-ya.biz)を経営

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