第16回 ライブ・ペインティング、私の被爆証言

地球はやっぱり青かった!

絵本作家・森本順子氏がPEACEBOATで巡った世界1周の船旅の記録
文・イラスト・題字=森本順子

第16回 ライブ・ペインティング、私の被爆証言

名残惜しかったがイースター島をあとにし、タヒチに向かっての1週間あまりの航海は、船内あげての催しの準備に明け暮れる騒然とした日々であった。即ち「おりづる文化祭」である。 おりづるプロジェクトを中心に、一般船客の有志も多数交え、老いも若きも垣根を越えての協力体制の下に、それは盛大に行われた。 ところで、私は乗船後、証言活動にはあまり参加してこなかった。1987年以来、出版された私の被爆体験の絵本「MYHIROSHIMA」がその役目を今も果たし続けているからと。しかし、旅の終盤に差し掛かって、招かれた被爆者としての責務を考えた時、「絵で証言しよう」と思い立った。絵が描ける若者2人も加わり、3人共同のライブ・ペインティングである。
船内で最大のラウンジのステージを使うという準備企画の段階で反対に遭い、一時頓挫しかけた時、わが班長H・Sさんが「不発弾では帰さない !」と、企画委員会で強く説得、たちまち思いがけない多数の協力者を得て実現するところとなった。 一般船客のO氏ご夫妻の計らいで、小さな灯りに鎮魂の祈りを記した色がみを貼り、灯篭流しに見立てたものを、黒装束の人々がほの暗いステージにしずしずと並べていくところからスタート。同じ舞台の一角で、N氏と、もと民放アナウンサー出身のS女史に指導された青年男女十数名が1人ずつ、吉永小百合さん式に原爆詩を重々しく朗読していく。 黒いTシャツの描き手3人、ひっそり登場。丸い舞台中央、横向きに倒して立てた卓球台へ、船からもらったクイーン・サイズの洗いざらしの白い木綿シーツをしっかり張りつけた幅3メートル近くの中央画面。そこにスポット・ライトが集まる。 書道用の太い筆1本と、水に浸してからぐじゃぐじゃ巻きにし、墨汁に浸けて手づかみにした西洋タオルがもう1本の筆代わり。両サイドでは、1枚ずつ卓球台を画面にして、YさんとRさんが、それぞれの平和や核への思いを精一杯描き進める。平衡神経に問題がある私は、くらくらしながら左へ右へ、上に下に墨跡を走らせ、おどろおどろしいあの被爆の記憶を広い画面にぶっつけていく。 静まりかえった観衆。心身ともに真に辛い40分間をなんとか乗り切った。このへんでご勘弁を…と落ちるように床に座り込んだ時、ステージの袖からS氏による、渋いギターの弾き語りが切々と流れてきて、この「ライブ・ペインティング」に深い感動と余韻を残す素晴らしいエンディングとなった。 この「絵」は下船後、S・Hさんが広島に持ち帰られ、平和公園でのNPO活動や、イベント、学校訪問などで役立てておられ、先般はアメリカでも展示されるなど、証言の旅を続けている由、感謝のほかない。
12月18日、当初それは横浜へ帰港する予定日であった。しかしモナ・リサ号は今しばらくタヒチ島に在り。この予定日までに帰らなくてはならない多くの学生や若者たち、健康上の理由で絶対に帰国を要する人たちetcは、この島から空路帰国して行った。船は一期一会の船友たちの去った後、なにやら寂しくなった。 若き日にゴーギャンに憧れ、1度はタヒチに行って見たいと思い続けて半世紀。しかしこの島に来て、もはやゴーギャンの時代ではないと悟った。核兵器実験(ムルロア環礁)での犠牲者の碑にたくさんの折鶴と祈りを捧げ、核実験場の元労働者たちと、被爆体験を継承する方法の論議、質疑応答などなど。しかしタヒチの人々は、フランスから「核は人類に幸せをもたらすもの」と教育され、核への知識も恐れも関心も乏しく、出席したのはたったの2名のみ、人の目を恐れながら来た由。その夜、彼らは船に招かれ、講演などし、交流を深めることができたのは幸いであった。 翌年、世界の核問題への流れが変化し始め、あのムルロア環礁の核実験跡が「負の世界遺産」に指定されたことから、タヒチでも核への大きな意識の変化が起こりつつあると聞く。 タヒチから一路、ニュージーランドを経て、さらに10日あまりかけてシドニーへ。いよいよ私の地球1周の旅が終わりに近づいている。


PROFILE もりもとじゅんこ
◎1932年3月31日生まれ、広島市出身。シドニー在住。45年8月6日13歳の時、広島市で被爆。82年50歳でオーストラリアへ移住。著者自らの被爆体験を描いた英語版絵本「My Hiroshima」ほか、日本民話の英語版絵本「鶴の恩返し(The White Crane)」「一寸法師(The Inch Boy)」「わらしべ長者(A peace of straw)」「なめとこ山の熊(Kojurou and The Bears)」「仁王とどっこい(The Tow Bullies)」など著書多数。84年から4年連続で豪州児童図書評議会賞を全国3位、2位、2位、1位受賞。97年と98年にNSW州児童文学賞およびオーストラリア児童図書評議会賞1位を受賞。

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