女三代日本参上 ! その3

極楽とんぼの雑記帳

エッセイ193
ブレア照子
イラスト・タイトルデザイン:森本順子

女三代日本参上 !  その3

 女3世代、京都で開かれたOB会に出席した前夜の話と、その後の話なので、その2に続けるべきかな ? とも思ったが、枚数の関係もあり「その3」にまとめることにした。京都駅前のタワーホテルにチェック・インしてすぐ娘たちは夫の遺灰を納めてある、西本願寺へ出かけた。私の体調は未だ完全に回復していないのか、随分くたびれて、へとへと。ベッドで休む。亡夫の写真を片手に、遺灰を入れたロケットをまさぐり「私だけ行かなくてごめんね」と、夫に詫びた。それからだいぶ眠ったようだ。

 早めの夕食後、娘たちは近くのカラオケに私を誘った。冗談じゃない。もう何年もまともに発声ができなくなっているのだ。「駄目 ! 駄目 ! 」と繰り返しても引き下がらない。だが、彼女たちの歌は聴きたいので重い腰を上げた。
 個室だから人に聞かれる心配はないし、他人の歌も聞こえないのがいい。娘たちは、曲目を満載した本をめくり、好きな歌を選んでいる。3人の子どものうち長男と長女、どちらも「歌上手」とは言えないが、ヘレンがマイクを手に歌うのを初めて聞き、この子にこんな面があったのかと以外だった。ティーナの声が良く、歌が上手いのは幼い頃から。高校時代ミユージカル主役を演じている。そのティーナが水を得た魚のように活き活きと歌い、時々ドスを利かせた歌声に鳥肌が立った。孫のケリーが浮かれて歌いまくる。彼女らがトリオで歌ったが私の知らない歌だった。やがて 私に、曲目の本がまわってきた。「いやだ! 」と、言い張っても無駄。「プリーズ ! プリーズ ! 」。そして、哀願調で食い下がる。数年前に聞かせてやりたかったなあ。仕方ないや、よし。最初、目に止まった曲にしてやれ。半ば自棄気味。さて、その曲が何だったか ? 私が旧制女学校2年生のころ(1940年、なんとまぁ大昔 ! )流行った、今時の15歳は見向きもしないだろう、それは、田端義夫が歌った、「大利根月夜」。曲が流れ始めた。大正・昭和初期生まれが聞いたら鳥肌を立てるかもしれない和楽器の音色の混じる旋律だ。ティーナ母子の耳にはカルチャー・ショックだったかもしれぬ。中近東の歌曲、楽器の音色から私が人種の違い、異文化を肌で感じるように。ヘレンは度々日本に行ったし、7カ月間日本の、中学、高校で教鞭を執ったから、それほど感じなかったやらも。ソファにもたれたまま私が歌い始めると、3人がギョッとした表情で私を見つめた。お河童頭、セーラー服、“小さい”に“超”がつく15歳の自分が、ピョコンと画像に現れたような一瞬の幻覚。あんな大声で歌ったのは何年ぶりだろうか。凄い音響の中なので自然に大声になったのか。今の若者は騒音から栄養を摂っているのかなあ…。
 外へ出た。人通りが多い。孫21歳(ブロンド・ヘアを彼女に似合わぬ色に染めているのが気に食わぬ)、空色の目、身長175センチ、スリムというより痩せっぽちだ。通行人が振り返る。私の子どもたちの父親はスコットランド人だが、彼の母親はドイツ人とスコットランド人のハーフだから、彼はドイツ人の血を25%引いていることになる。したがって、子どもたちには3通りの人種の血が流れている訳だ。では、孫たちには幾通りの人種の血が何%の割で流れているのだろうか ?  

極楽とんぼの雑記帳

 話の順序が後先になるが、旅の終わりに近い、宮島1泊の日、娘たちは早く出かけたが、私に予想外の忙しいことが重なり、宮島口行きの電車に乗るころ、つるべ落としの秋の日はとっぷり暮れていた。揺れる電車。すし詰めなので吊り革まで手が届かず立ち通しには参った ! 頼りない年寄りに席を譲るような奇特な人間などいない。みんな1日の勤めを終え、くたびれた顔ばかりだ。何処も同じ秋の夕暮れ。    
 到着した宮島口駅の公衆電話でホテルにいるはずのヘレンの携帯にかけたが、数回とも硬貨を呑み込まれただけ。フェリーのターミナルに通じる人けのない薄気味悪い地下道を抜け、これまた人気のないフェリーに乗った。ライト・アップされた大鳥居。かつては弥山原始林の闇と、暗い海の間でひっそりと夜を過ごしたであろう大鳥居を、時の移りがこのような夜の姿に変身させた。
 小学校1年生の夏、父が私と2歳年下の弟を宮島へ連れて行ってくれた。汽車とフェリーに乗って ! 初めて行った宮島。幼い姉弟一世一代の大イベントである。興奮のあまり体が震えたのではなかろうか。あのころの子どもは、ささやかなことに喜び、感激する可愛いものだったと、つくづく思う。
 大鳥居を背景にした記念写真は13年後、原爆の猛火で灰燼に帰した。カラーでないのはもちろんだが77年を経た今もはっきりと思い出すことができる。私は、ぶどうの柄の少し透けて見える服を着ており、女の子のような可愛い顔の弟は、薄緑の細い縞柄の半袖シャツに白い半ズボン。その日買ってもらった茶色の革靴を履いている。私たちの前に寄って来た鹿の尻の白い部分が刷毛でなぞったようにぼやけているのが、なぜそんなにおかしいのか弟はずいぶん笑った。その後も写真を見る度に笑っていた。写す瞬間、鹿が動いたのだろう。あの日が、父と遠出をした最初で最後ではなかったか——。ずっとそんな気がしていた。事実を知る由はどこにもない。 
 回想に耽っているうち宮島着。ホテルに電話し、娘に迎えに来るよう、伝言を頼んだが、うまく通じない。日本語で話したのに。冷えて来る秋の夜気と外の暗さが心細さに輪をかける。ようやく通じたらしいので外に出た。数分後、暗がりから現れたのは娘ではなくホテルの名を入れた灯りを掲げた男子従業員だった。何階だったか覚えぬが、従業員が客室の玄関の扉を開け「ブレア照子様をお連れしました」と呼びかけると、突き当たりの部屋からヘレン、隣室からティーナ母子が歓声を上げながら飛出して抱きついた。ずいぶん心配したという。ヘレンに支えられ、ヘナヘナ座り込みやっと口を開いた私、「心配かけてごめん。私はね…難儀して、疲れて…心細かったぁ…」と言うなり、「ひーい」と泣いてしまった。入浴し、薄手のウールの着物に着替える。次々と運ばれて来る豪華な膳、しかし、私の食欲はゼロ同様。また、みんなを心配させてしまった。
 ティーナ母子は別室に引き揚げ、私はヘレンの布団の隣に敷かれた自分の床に入った。ふかふかの布団が気持ちいい。手摺の向こうに明るい大鳥居。ヘレンが静かに立ち上がり、ゆっくり障子を閉めた。        
 女3世代、4人で迎えた宮島の夜がふけて行く。明日の夜は京都だ。
 さよなら日本、また来る日まで。再見。


筆者プロフィル/ブレア照子(Teruko Blair)
1925年生まれ、広島市出身。旧制女学校卒。45年、広島市内の自宅で被爆。第2次世界大戦終戦の数年後に知り合った豪軍人ウィリアム・ブレアと結婚し、53年に来豪。82年に死別した夫との間に3人の子どもがいる。現在サウス・コースト在住。著書に、本紙に連載していたエッセイをまとめた「オーストラリアに抱かれて」、現在も本紙連載中の「英語とんちんかん記」(ともにテレビ朝日出版)がある。本連載のイラストを手掛けるシドニー在住の絵本作家・森本順子は実妹に当たる。

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